【僕が一番欲しかったもの/槇原敬之】歌詞の意味を考察、解釈する。

年齢を経ても変わらぬ、深く心に響く声を持つ槇原敬之。
その中でも特に素晴らしい楽曲の一つが「僕が一番欲しかったもの」です。
あなたの人生において、最も最近に手に入れた、本当に欲しかったものは何ですか?
歌詞を通じてその意味を考えてみましょう。

目の前の人に優しく接する心

さっき とても素敵なものを
拾って 僕は喜んでいた
ふと気が付いて横に目をやると
誰かがいるのに気付いた

この曲は「僕」が「素敵なもの」を見つける瞬間から始まります。
この素敵なものが具体的に何であるか、視覚的な要素に限らない可能性もあり、歌詞を通じて最後まで明示されません。
それは、「僕」の心を満たし、同時に周りの人々を引き寄せる特別な何かです。

その人はさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった

惜しいような気もしたけど
僕は それをあげる事にした

それが何であるか分からないままでも、他人の心にとって非常に重要で、真剣に求められているようです。
それを取り上げたり奪ったりせず、ただ熱心に観察したことでしょう。
自分にとって大切なものを他人に譲ることは、容易ではありません。
それが二度と手に入らない可能性があると考えると、それほど強く欲しくないにも関わらず、他人に譲ることをためらうことがあり、親切になかなか踏み切れないこともあるでしょう。
しかし、少しの我慢をすることで、相手を幸せにできることは素晴らしいことですね。
透明な魅力的な歌声で歌われるサビの歌詞は、聴いている人にも幸福な気持ちをもたらしてくれます。


その後にも また僕は
とても素敵なものを拾った
ふと気が付いて横に目をやると
また誰かがいるのに気付いた

その人もさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった

惜しいような気もしたけど
また それをあげる事にした

2番でも、同じように素敵なものを別の誰かに譲り渡します。
自分が最初に見つけたからといって、断ることができる機会はいくらでもあるでしょう。
しかし、それをしない理由は非常に単純です。
それは、その贈り物を受け取った人の笑顔や「ありがとう」という言葉にあるのです。
その笑顔があるからこそ、「あげて良かった」と感じるのです。


きっと また この先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
その人は何度もありがとうと
嬉しそうに僕に笑ってくれた

「僕」は、大変貴重なものを見つけたにもかかわらず、無駄に感じつつも、本当にそれを必要とする人に譲り渡します。
自分の手に入れたものを他人に分け与えることは、なかなか難しい選択です。

きっと また この先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
なによりも僕を見て嬉しそうに
笑う顔が見れて嬉しかった

「たぶん再び機会は巡ってくる」と自分に言い聞かせても、もし自分が損をする可能性があると思ったり、これ以上の素晴らしいものがないかもしれないと悩むのは、人間らしい反応です。
その中で、「次のチャンスはいつかあるさ」と楽観的に考え、目の前の人に優しく接する心は本当に素晴らしいものです。

他人を幸せにすることで、自分の心も充実していく

結局僕は そんな事を何度も繰り返し
最後には何も見つけられないまま
ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の
探していたものだとわかった

今までで一番素敵なものを
僕は とうとう拾う事が出来た

素晴らしいものを見つけ、それを他人に譲り続けることで、時間が過ぎていったようです。
人生の終末に差し掛かり、振り返ってみると、「虚しい人生だったのか?」、「最終的には何も良いことがなかったのか?」と自問します。
しかし、それは違います。
自分が他人に分け与えてきたものは、その人々の笑顔とともに、心に深く刻まれ、人生を豊かにしました。
そして最後に、本当に欲しかったものは自分の手にあったことに気づきます。
それは自分が親切に接してきた人々の笑顔であり、自分の人生を豊かにしてくれたものでした。
素晴らしいものを見つけて他人に分け与えることに専念した人生は、損失ではなく、自分の人生における価値あるものとなっていたのです。
他人を幸せにすることで、自分の心も充実していたことを、長い人生の終わりに気づく。
これもまた素晴らしい人生の一部です。
譲ることは、実はそれほど難しいことではありません。
相手の立場や気持ちを少し考慮すれば、喜んでできることです。
この自己中心的な時代において、この曲は特に心に響くでしょう。