【モンスター feat.yama/ジェニーハイ】歌詞の意味を考察、解釈する。

ジェニーハイとyamaのコラボ楽曲「モンスター feat.yama」の歌詞には、深い意味とメッセージが込められています。
この曲の歌詞と感じることについて、詳しく探ってみましょう。

歌詞全文

熱愛とか言って 私たちで騒いで
火をつけっぱなしで忘れる 軽いモンスター

ラブが調子づいていく 人生の拍子がルンルン
スキップの途中から 足されてく2ステップ
ありのままになって 周りが見えなくて
優しい世界に身を委ねて寝そべる

そんなハッピーエンドはないよ 徐々に聞こえる
カウントダウンが始まる それは何故かわかった

雨だれが絶え間なく 私を乱していった
いつも突然だ 見たことあるスタンピード お祭り騒ぎで御乱心

熱愛とか言って 私たちで騒いで
火をつけっぱなしで忘れる 軽いモンスター
何も言えない 人形みたいな顔で
ショパンも驚くような切なさ 演じれるかも 今なら

嫉妬と野次馬で 好き勝手に波打った
私たちは今偽装中 くだらない賭けをしながら

弱くはないから 投げ出さないけど ピークは去った
暴れたくって 溜め込んだ何かも どこかへ去った

マジで疲れた 何もできない嘘ばっか
想像してみる価値があるもの 逃してばかり
優しさに定評のある 皆さん注目
あなたのことを歌ってます さっきから

言葉に水を垂らして
消えかかる意味を知って初めて
心がわかるっていうのに

過激なリップサービス おかげさまで悲しいよ
火をつけっぱなしで忘れる 軽いモンスター

ゼロになる頃 可哀想なフリした
私たち感情偽装中 忘れられるまで
きっと無駄じゃないと 信じ込んで 元より熱上げる
もっと マジでもっと 私たちだけが優しくなるため

おそらく「あの騒動」のことだろう

もちろん歌詞の捉え方は個人差があります。
様々な解釈が存在しますが、私自身は「報道に流される人々への皮肉」という印象を受けました。


ゼロイントロで幕が上がると同時に、yamaの歌声が鮮烈に響き渡る。
このような歌詞から楽曲が展開されます。

熱愛とか言って 私たちで騒いで
火をつけっぱなしで忘れる 軽いモンスター

初めの歌詞からは、7年前のベッキーとの騒動が含まれているのではないかと予想されます。
そして、「モンスター」とは、「メディアの芸能報道」または「一般の人々」と解釈できるかもしれません。
とりあえず、曲を聴き進めてみることにします。

その後、ラストサビの前の間奏が始まる直前に、以下のような歌詞が挿入されます。

優しさに定評のある 皆さん注目 あなたのことを歌ってます さっきから

「一般の人々」でしたね。

近頃、こんなに率直なメッセージを込めた曲が出てくるのは珍しいですが、よく考えてみれば、音楽を通じて社会にメッセージを送ることは、歴史的に古今東西で行われてきたことです。

このようなテーマの曲は、おそらく7年前の出来事を背景に、その表現を試みているのでしょう。
当時の騒動は称賛されるべきことではありませんが、一方で、これに限らず誰かが悪いことをした場合、メディアやSNS上での非難が極端なレベルに達することも事実です。

情報を提供する側が変わるのは難しい

このような個人攻撃に関する議論は、メディアの報道方針やセンセーショナリズムを非難することがしばしばありますが、実際にメディアは視聴者や読者を映し出す鏡のようなものです。
テレビは視聴率、印刷メディアは部数、ウェブメディアはページビューやユニークユーザー数が重要視されます。
従って、視聴者や読者の要望に応じたコンテンツを提供し、数字が低下するとPDCAサイクルを採用して、常に最新のニーズに合ったコンテンツを提供するよう努力しています。

ただし、「だからといって些末な話題ばかりを報道するのは疑問だ」「有益な情報や必要な情報を提供すべきだ」と感じる人々も多いでしょう。
これについては、マクドナルドの「サラダマック」の失敗例と同じ原理が当てはまります。


エンターテインメントや芸能関連の情報を減少させて、政治や経済など生活に密着した重要な情報を増やすと、視聴率や販売部数の低下が懸念されます。
特に、一社独占で情報提供しているわけではなく、競合他社も存在するテレビや新聞などのメディアは、読者や視聴者が別の情報源に流れてしまう可能性が高いです。
このような状況で、自社だけが高潔な方針で運営しようとしても、結局は他媒体に客を奪われることになるかもしれません。
そのため、自社だけが「エンタメや芸能の情報」の提供を削減する判断は容易ではないと考えられます。

リスクをどう見ているか

では、どのような解決策が考えられるでしょうか。
それは、視聴者や読者自身がセンセーショナルな情報に流されず、メディアが自然と報道スタンスを変えるよう促すことです。

ただし、これは容易なことではありません。
センセーショナリズムに乗った強硬な意見を発信している人々は、自分が正義を追求していると信じており、自身の考えや行動を見直すことが難しい場合もあります。
なぜこうした考えや行動に至るのかは、個々の合理的な判断力が欠けていることに起因している可能性があります。
近年注目されている「ネットリンチ」なども、同様の問題を抱えていると考えられます。

度を越えた批判的な行動は、自分にとって有益ではなく、むしろ名誉毀損などのリスクを伴う可能性があります。
それでもなお批判的な行動をとる理由は、自己満足や感情のはけ口を求めているからかもしれません。
言い換えれば、一時的な感情の充足を、リスクを上回るほど重要視している、もしくはリスクの存在を十分に認識していない可能性があると思われます。

やはり私たち(一般大衆)が変わる必要がある

前述の理由が、合理的な判断を行えていないことを示す兆候だと考えます。
しかし、合理的な判断を行うためにはスキルを習得し、実際の経験を通じてそのスキルを発展させる必要があります。

社会全体の安全性向上のためにも、先述の「モンスター」の歌詞に描かれるような「優しい気持ちで火を点けるモンスター」になることを避け、個々人が自身の行動を合理的に考えるためのスキルを身につけることが重要です。
これにより、社会全体がより健全な方向に進むことができると信じています。