近年、注目を集めるオルタナティブロックバンド・羊文学。彼女たちの楽曲は、繊細でリアルな感情描写と独自の世界観で多くのリスナーを惹きつけています。中でも『金色』は、その象徴的なタイトルと歌詞に込められた想いが深く、多くのファンが考察を重ねる楽曲の一つです。
本記事では、歌詞の中に込められたテーマや感情、背景にあるストーリーを丁寧に紐解いていきます。
「金色」という言葉の象徴性:輝きと影を纏う色の意味
タイトルにもなっている「金色」という言葉は、一般的には「輝き」「高貴」「幸福」などポジティブなイメージを連想させます。しかし、羊文学の『金色』では、その表現が単なる美しさだけでなく、どこか痛みや違和感も伴って響いてきます。
歌詞の中で描かれる「金色のドレス」や「金色の彼女」は、主人公にとって眩しすぎる存在であり、同時に自分がなれないものの象徴でもあります。つまり、「金色」は羨望と憧れ、そして自分には届かない理想の姿を表すメタファーとして機能しているのです。
「彼女」と「私」の対比構造:羨望と自己肯定の揺らぎ
歌詞では一貫して、「金色の彼女」と「私」が対比的に描かれます。彼女は「目立って」「注目されて」「愛される」存在。一方で「私」は「地味で」「自信がなくて」「誰の目にも留まらない」と感じている。
この構造は、自己肯定感の揺らぎを象徴しています。人と比べて落ち込んだり、自分にないものばかりを見てしまう気持ちは、多くの人が共感できるのではないでしょうか。そして「金色の彼女」が実際に完璧な存在なのかは歌詞からは明かされず、むしろ「私」の視点でそう見えているだけかもしれない。そうした不確かな対比こそが、リアルな人間の感情を映し出しています。
日常の風景と感情の狭間:光るものと曖昧な心象
歌詞の中には「電車」「服屋」「歩く街」など、日常的な情景が散りばめられています。しかし、その描写はどこか淡く、非現実的な光に包まれているように感じられます。
これは主人公の内面の揺らぎや、現実と理想の境界が曖昧になっている心情を表現していると考えられます。現実の中に理想を投影し、目の前にあるものがまるで「金色に輝いて」見える。けれど、その輝きが本当に美しいものなのかは分からない。そんな不安定な心象が、情景描写と相まって美しくも切ない印象を与えています。
「平気だよって誤魔化す」から見える本音と決意
歌詞の終盤に登場する「平気だよって誤魔化す」という一節は、作品の核心を突いています。この言葉には、主人公が抱える「本当は平気じゃない」という本音と、それでも強くありたいという決意が込められているように思えます。
ここには単なる感情の吐露ではなく、「他者との距離感」や「見せたい自分」と「本当の自分」のギャップといった、複雑な内面が見え隠れします。そして、それをあえて「誤魔化す」と言い切ることで、かえって主人公の強さや潔さが浮き彫りになっている点も印象的です。
制作背景・作詞意図から読み解く『金色』の位置づけ
羊文学のボーカル・塩塚モエカ氏は、過去のインタビューなどで「自分の弱さや迷いをそのまま作品に落とし込むことが多い」と語っています。『金色』も例外ではなく、等身大の自分自身をテーマにしている可能性が高いです。
また、この楽曲は多くのCMやタイアップではなく、純粋に音楽としての表現を重視している点も特徴的。つまり、商業的なキャッチーさよりも「聴く人の心に寄り添う」ことを優先した楽曲であることがうかがえます。
そうした制作スタンスも、『金色』というタイトルの「表面的な美しさ」ではなく、「その裏にある本当の感情や痛み」を描き出すことに繋がっているのではないでしょうか。
まとめ:『金色』が描くのは、「なれない自分」とどう向き合うか
『金色』という楽曲は、一見すると華やかなタイトルながら、その実、非常に内省的で繊細なテーマを扱っています。「他人と比べてしまう自分」「理想と現実のギャップ」「それでも前に進もうとする気持ち」——それらが巧みに織り込まれた歌詞は、聴く人の心に深く刺さるものです。
「なれない自分」を受け入れながら、それでも少しずつ歩いていく。
羊文学『金色』は、そんな等身大の物語を音楽という形で静かに語りかけてくれる一曲です。