【光るとき/羊文学】歌詞の意味を考察、解釈する。

2022年1月12日、ロックバンド・羊文学が『光るとき』を配信限定で公開しました。
この楽曲はTVアニメ『平家物語』のオープニングテーマとして特別に制作されました。
『平家物語』の物語を背景にしつつ、歌詞に込められた深いメッセージを考察いたします。

アニメ「平家物語」とリンクしている歌詞

羊文学のボーカル・ギターである塩塚モエカが、『光るとき』の作詞作曲を手掛けました。

TVアニメ『平家物語』のオープニングテーマとして、羊文学が初めて主題歌を書き下ろしたことが話題となりました。
このアニメは、鎌倉時代の軍記物語『平家物語』を元にしており、平家一門の栄華と滅亡の物語が描かれています。

物語の主人公は、未来を予知する力を持つ琵琶法師の少女であり、平家の滅亡を知っている状態で平家の人々と関わりながら生活しています。
視聴者も歴史的な背景として平家の滅亡を知っているため、物語を追う中で主人公との共感を持ちながら楽しむことができる工夫がされています。

このようなアニメの世界観を反映し、羊文学が描いた『光るとき』の歌詞にはどんなメッセージが込められているのかを考察していきます。

永遠なんてない

あの花が咲いたのは、そこに種が落ちたからで
いつかまた枯れた後で種になって続いてく
君たちの足跡は、進むたび変わってゆくのに
永遠に見えるものに苦しんでばかりだね

楽曲『光るとき』は、「あの花」というフレーズから始まります。

「平家物語」冒頭に登場する有名なフレーズ「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。」を考慮すると、「あの花」はおそらく「沙羅双樹の花」を指していると解釈されます。

このフレーズには、「どんなに栄華に満ち溢れていても、必ず衰退する運命にある」という意味が込められています。

歌詞の「君たちの足跡は、進むたび変わってゆくのに 永遠に見えるものに苦しんでばかりだね」と重なりますね。

平家のように栄光を極めたものが滅びたように、永遠という概念は存在しないことを示唆し、私たちが永遠だと思っているものは、実際には永遠のように見えるだけである可能性があるでしょう。

今を大切に生きる

最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても
今だけはここにあるよ 君のまま光ってゆけよ

楽曲『光るとき』には「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても」という歌詞が含まれています。

この歌詞は、主人公や視聴者が平家の滅亡を知っている状態を表現していると考えられます。

YouTubeに公開されている『平家物語』のオープニング映像では、「今だけはここにあるよ」という歌詞と共に、主人公が平家の人々と笑い合う場面が映し出されています。

「今だけはここにあるよ」という歌詞は、平家が滅びることや大切な人々が戦で亡くなることを知りながらも、最終回が訪れるまで、大切な瞬間を笑顔で過ごしたいという主人公の想いを表現していると考えられます。

この歌詞は『平家物語』の物語に漂う悲しみとともに、主人公の心情に寄り添ったものと言えるでしょう。

今、苦しい人に希望を与えるメッセージ

いつか笑ってまた会おうよ
永遠なんてないとしたら
この最悪な時代もきっと続かないでしょう
君たちはありあまる奇跡を
駆け抜けて今をゆく

TVアニメ『平家物語』は、平家の滅亡に向かうストーリーを通して、主人公の視点から「永遠なんてない」という儚さや切なさを丁寧に描いた作品です。

平家の人々は、「永遠なんてない」という現実を嘆いたことでしょう。

しかし、「永遠なんてないとしたら この最悪な時代もきっと続かないでしょう」という歌詞は、そんな「永遠なんてない」という考えを前向きに捉え直しています。

歌詞は、良いことも永遠ではないかもしれないけれど、悪いことも永遠ではないという意味を持ち、苦しい状況にある人々に希望を与えるメッセージとなっています。

このあたたかい楽曲によって、鎌倉時代と現代が結びつけられたことに、喜びを感じることができるでしょう。