【歌詞考察】hide「OBLAAT」に込められた真意とは?“包む”という皮肉と本音のメッセージ

1996年にリリースされたhideの楽曲「OBLAAT(オブラート)」は、その挑発的なサウンドと不可思議な歌詞で多くのファンの心を掴んできました。一見すると意味がつかみにくい言葉の羅列。しかし、そこにはhideならではの鋭い社会批評と内面的な葛藤が巧妙に織り込まれています。本記事では、「オブラート」という象徴的なキーワードを軸に、hideがこの楽曲で伝えようとしたメッセージを深く掘り下げていきます。


「オブラート(OBLAAT)」という言葉が象徴するもの ― 本当の自分・不都合な現実との関係

「オブラート」とは、本来は薬を包むための薄いフィルムのこと。しかしこの曲では、それが比喩的に使われています。歌詞中でhideは、「オブラートで包んでみたら」というような表現で、本心や醜い感情、あるいは現実の不都合な部分を“隠す”ことを示唆していると読み取れます。

この「包む」という行為は、hide自身が感じていた社会との齟齬や、表現者として“見せたい自分”と“見せたくない自分”のせめぎ合いにも通じるものです。オブラートによってごまかされ、あるいはマイルドにされた“本当の言葉”を、私たちはどれだけ見抜けているのか。hideはこの問いを、あえて皮肉たっぷりに投げかけているのです。


歌詞に頻出する“目”、“見て見ぬふり”、“視界”のモチーフとその意味

「OBLAAT」の歌詞では「視界」や「目」、「見えないふりをして」など、視覚に関する表現が多用されています。これは他者からどう見られているか、あるいは社会や個人が“見ようとしないもの”への問題提起として読むことができます。

たとえば、「見えないふりして」や「視界の外へ」という表現は、嫌なもの・都合の悪い真実をあえて見ないようにする現代人の姿勢を皮肉っています。また、hide自身がメディアや世間の期待にさらされていた立場であったことを踏まえると、「見る/見られる」というテーマは彼にとって非常に切実な問題だったのでしょう。


hideのスタイルと「皮肉」「ひねくれ」な表現の使い方 ― 自由を求める姿勢と苦悩

hideの歌詞には、常に「皮肉」や「逆説的」な要素が散りばめられています。「OBLAAT」でも、メッセージをストレートに語るのではなく、わざとひねった言い回しで本音を隠しています。

これは単なる言葉遊びではなく、「わかる人だけがわかればいい」というスタンス、そして大量消費社会や画一化された価値観に対する反発の表れとも言えます。hideにとって音楽とは、自由を手に入れる手段でありながら、同時に誤解や誇張という副作用も背負うものだったのかもしれません。

この「ねじれ」は、リスナーに深い読解を要求します。つまり、「この歌詞の意味って、結局どういうこと?」と考えるプロセスそのものが、hideの意図する“メッセージの受け取り方”なのです。


音楽的背景と歌詞の融合 ― 曲調・アレンジ/時代性がもたらす歌詞の印象

「OBLAAT」は、インダストリアルでエレクトロなサウンドが特徴的で、どこか無機質で冷たい印象を与えます。この音の質感も、歌詞の「表面はきれいだけど、中身は苦い現実」というテーマと重なります。

1990年代後半という時代は、音楽も映像も急速にデジタル化され、「リアル」よりも「演出されたもの」が主流になっていきました。そんな中でhideは、テクノロジーの進化を取り入れつつ、同時にその“虚構性”をも批判していたように思えます。

つまり、音楽の表現そのものが「オブラート」的であり、そこに込められた真意を見抜けるかが試されている――そうした多層的な仕掛けが「OBLAAT」の中には潜んでいます。


多様な解釈とファンの読み ― 死、仲間、世間との折り合いをめぐる考察

「OBLAAT」は、hideの死後、改めてその歌詞に注目が集まるようになった楽曲のひとつでもあります。そのため、一部のファンの間では、「死生観」や「孤独」、「仲間への想い」といった深読みがなされることもあります。

もちろん、あくまで歌詞は受け手の自由な解釈に委ねられるべきものであり、明確な正解は存在しません。ただし、その自由を尊重しながらも、hideの作品が常に「時代」と「個人」の狭間にある矛盾や痛みに向き合っていたという視点を忘れずに読み解くことが重要です。


まとめ:hideが「OBLAAT」に込めた本当の問いかけとは?

「OBLAAT」は、一見すると不可解で皮肉に満ちた歌詞ですが、その奥にはhideの鋭い社会批評と個人的苦悩が混在しています。「包む」「隠す」「見て見ぬふり」といったキーワードは、まさに現代社会が直面する問題を先取りしていたかのようです。

私たちが普段どれだけ“オブラート”に包まれた言葉や感情に囲まれて生きているか――この曲は、その“包み紙の内側”を見せようとしていたのかもしれません。