【花火/aiko】歌詞の意味を考察、解釈する。

aikoの代表曲である『花火』は、恐らく「夏の恋愛ソング」として多くの人に愛されています。
一方で、歌詞をじっくりと聴いてみると、実は恋愛にフォーカスしたものではないのではないかという仮説が浮かび上がります。

この楽曲は、aikoの楽曲の中でも確固たる人気を誇っています。
しかし、その歌詞には恋愛の要素以外の要素が散りばめられています。
「天使」といったキーワードが登場したり、花火が恋愛を表現するためのメタファーではなく、何か別のものに例えられているようにも感じられます。

この解釈が難しい楽曲において、恋愛の側面が主題ではない可能性を考慮してみましょう。
恋愛ソングという一般的なカテゴリーに囚われずに、歌詞が持つ異なる意味や象徴があるかもしれません。
歌詞の表面的な意味だけでなく、その背後に潜む深層のテーマやメッセージにも注目することで、新たな視点が得られるかもしれません。

自分の気持ちを客観視している

眠りにつくかつかないかシーツの中の瞬間はいつも

あなたの事 考えてて

夢は夢で目が覚めればひどく悲しいものです

花火は今日もあがらない

「眠りにつくかつかないか」という状況は、しばしば静かな暗闇の中で描かれます。
この無音の瞬間に浮かび上がるのは、特別な存在である『あなた』への想いです。
夢の中でその人が登場すれば喜びもひとしおですが、目を覚ますと現実の中でその人とは一緒になれないという苦い現実が込み上げてきて『ひどく悲しい』と感じます。

この楽曲の中で言及される『花火』は、おそらく「恋の気持ち」を象徴していると考えられます。
そして、花火がまだ「あがらない」という表現は、「まだ自分の気持ちを素直に受け入れることができていない」というニュアンスを持っているかもしれません。

「花火は今日もあがらない」という歌詞は、一見して「今日も彼との進展がなかったな…」という意味とも受け取れます。
しかし、このフレーズを考える際には、サビで歌われる「花火を見下ろして」という部分との整合性も考慮しなければなりません。
この部分は、むしろ「自分の気持ちを客観的に見つめて」いるようなニュアンスを持つかもしれません。

自分の気持ちを抑える選択

胸ん中で何度も誓ってきた言葉がうわっと飛んでく

「1mmだって忘れない」と…

もやがかかった影のある形ないものに全て

あずけることは出来ない

まず、歌詞中の「もやがかかった影のある形ないもの」とは、言わずもがな花火を指しています。
この表現は、歌詞において花火と恋心を対比させる比喩としても捉えられます。
恋心は「恋は盲目」と言われるように、形のない存在でありながら、その背後には暗い側面も存在するとされます。

恋心は「脳のバグ」や「一時の勘違い」と形容されることもあり、その不安定さによって時間やお金、心の平穏などが揺らぎ、生活が乱れることもあります。
歌詞に登場する「あたし」は、忙しい日常に追われており、そんな恋に生活の全てを委ねることは難しいと感じています。
そのため、まだ花火(恋心)は打ち上がらないと解釈できます。
このフレーズは、まだ自分の気持ちを正面から受け入れることが難しいという意味合いを持っているのかもしれません。


前後の文脈を考慮しつつ、次に登場するフレーズ「何度も誓ってきた」や「1mmだって忘れない」がどのような意味を持つのかを考えてみましょう。
その後のフレーズからも分かる通り、「疲れてる」ことが明らかです。

「疲れてるんならやめれば?」

「忘れないと誓った」というのは、おそらく恋愛以外の何かの目標や努力に関してのことを指しているのかもしれません。
たとえば、学生であれば「〇〇大学合格!」、仕事の場合は「〇月までに資格合格!」といった具体的な目標が該当するかもしれません。

何か忙しいことがあるために、恋愛に関する気持ちや行動が押し寄せる前に、目標に向かって努力することを忘れないように誓っていたかもしれません。
しかし、その一方で、恋心(花火)が脳裏にチラついてしまって、1mmの隙間にその気持ちが浮かんできているのかもしれません。

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして

こんなに好きなんです 仕方ないんです

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして

涙を落として火を消した

気になる「天使」の存在に触れる前に、サビ部分で歌われる「あたし」の状況を整理してみましょう。
歌詞中に登場する夏の星座からの視点は、冒頭のシーンで言及されたように、ベッドの中で眠る「あたし」の状況を指しています。
星座が輝く夜の情景から、歌詞が始まると同じく夜のシーンであることが伺えます。

サビ部分では、「眠りにつくかつかないか」の瞬間に打ち上げられる花火(=恋心)を、星座の視点から見下ろしている(=客観的に見ている)構図を想像します。
このシーンは、恋心を抱えながらも「あたし」がその気持ちを客観的に見つめている瞬間を描写していると解釈されます。

この客観視の視点から、「あたし」は自身の恋心を客観的に評価しています。
自分自身に対して、「これはもう好きだと認めるしかない」という思いが浮かび上がるでしょう。
しかし、同時に現実的な事情から、恋愛に没頭する余裕はなく、花火(=恋心)を消して気持ちを抑える選択をしている様子が伝わってきます。

「天使」の存在

三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて

右腕に止まって目くばせをして

「疲れてるんならやめれば?」

1番および2番に登場する「天使」について考察してみましょう。
まず、1番における「天使」の描写です。
歌詞中で描かれる三角の目から怒りや悲しみを読み取ることができるとされています。
この表現から、「天使」は「あたし」の状況を真剣に考え、その状況に対してアドバイスを提供していると解釈されます。
また、「恋の知らせ」を聞いたということから、最初は「あたし」が恋に陥っているとは考えていなかった可能性が示唆されています。
これにより、「天使」はむしろ恋愛に対して否定的な立場にあるかもしれないと考えられます。

このため、「天使」は「右腕」に象徴されるように、直接的なアプローチで「あたし」を制止しようとしているのかもしれません。
つまり、「天使」は「あたし」に対して、恋に陥ることを避けるように忠告している可能性があります。
そのため、「天使」は恋愛に消極的な立場を取り、その理由から「あたし」を守ろうとしていると考えられるでしょう。


三角の耳した羽ある天使は恋のため息聞いて

目を丸くしたあたしを指さし

「一度や二度は転んでみれば」

それに対して、2番における「天使」の描写です。
歌詞中で言及される三角の耳は、エルフのようなイメージを連想させ、いたずらっ子的な印象を持たせます。
歌詞に登場する「恋のため息」を聞いて飛んできた「天使」は、おそらく恋に悩んでいる「あたし」へのアドバイスを提供するために現れたと考えられます。
ここから、「天使」は恋愛に関して応援する役割を果たしていると解釈できます。

「転んでみれば?」という口ぶりは、あたかも「あたし」が失敗するかのように思わせますが、実際には「あたし」の弱気な心情に寄り添っています。
このアドバイスは、仕事や勉強の成功だけでなく、恋愛においても自分の本当の気持ちに素直に向き合うことを示唆しているのかもしれません。
また、「指さし」ている距離からは、三角の目の天使よりも遠くからの視点で、他人事のようなアドバイスを提供していることが伝わってきます。

さらに、「あたし」の目が丸いという描写から、花火(=恋心)を見つめていることが分かります。
これは、ラスサビ前のCメロで示唆されているものであり、恋愛における「あたし」の感情を表していることが考えられます。

諦めるのが難しい

赤や緑の菊の花びら 指さして思う事は

ただ1つだけ そう1つだけど

「疲れてるんならやめれば…」

花火は消えない涙も枯れない

確かに、「あたし」は花火を見て「わ!あれキレイ〜」と興奮し、その光景を指さしていることが描写されています。
これは恋心に向き合っている状態を象徴しているのでしょう。
また、歌詞中で「ただ1つ」や「思う事」と歌われている部分は、やはり「あなた」を好きだという感情を指していると考えられます。

しかし、「軍配が上がるのは」、「疲れてるんならやめれば…」という意見です。
これは、恋心に関するアドバイスや意見を反映している部分です。
それにも関わらず、「花火=恋心」は消えず、むしろ諦めがたいと感じるほどの力強さを持っていることが描かれています。
涙が流れるほどに、その恋心を諦めることが難しい状態を歌詞は表現しています。

思い出を美しく保つために

そろったつま先 くずれた砂山 かじったリンゴの跡に

残るものは思い出のかけら

これらの歌詞は、おそらく「あたし」と「あなた」にしか理解できない、特別な思い出の一端を表現しているのでしょう。
しかしながら、もし考察を進めるなら、次のようなストーリーが浮かび上がるかもしれません。

最初の歌詞、「そろったつま先」は、「あたし」と「あなた」の足並みが揃う瞬間を象徴していると解釈できます。
お互いが友人としてお互いを尊敬し、対等な立場で関係を築いていたことを示唆しています。

次に「くずれた砂山」は、「あなた」と「あたし」が築いてきた友情が崩れた瞬間を描写しているようです。
砂山を積み上げるのには時間がかかるが、崩れるのは一瞬であることから、友情が崩れる過程も早く、思わぬ出来事で破壊されたことが考えられます。

そして「かじったリンゴ」は、禁忌を犯す行為を象徴しているかもしれません。
恋心を認めることは、友人関係を壊す可能性や他の重要なことを軽視する可能性があることを意味しており、それが「あたし」にとっては避けるべき行為であったと示唆されています。
この部分は、アダムとイブの物語における「赤い実」を思わせるもので、リンゴとは直接的には言及されていないものの、類似性が見られます。

しかしながら、この歌詞を通じて伝えられるのは、恋心を諦めることで、美しい「思い出」を保ち続けることができることを気付いたのかもしれません。
「禁忌」を超えても残るのは、この思い出であり、それを大切にしようとする「あたし」の心情が描かれているようです。

前に進む決意

少しつめたい風が足もとを通る頃は

笑い声たくさんあげたい

季節が変わり、秋が訪れるころには、現在の「涙も枯れない」状態を克服し、新たな時期に「笑い声」が響くことを望む気持ちが歌われています。
秋が近づくと、花火大会も次第に減少していく時期です。
これはつまり、花火(=恋心)が徐々に終息していくことを意味しています。

この歌詞は、秋になったら、この恋愛の思いを断ち切り、恋に悩まされることなく、笑顔を取り戻したいという願いを表しているようです。
秋の到来によって、花火も減少し、恋心も次第に薄れていくイメージを通じて、新しい季節に向けての希望や意欲が描かれています。

恋心との決別

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして

涙を落として

涙は、「あたし」の恋心への未練を象徴しています。
この部分では、その未練を断ち切るために、涙を流すことで花火(=恋心)を消し去っていると描写されています。

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして

たしかに好きなんです もどれないんです

一度恋に落ちてしまうと、その感情を元に戻すことは難しいです。
しかし、「あたし」は強がらずに自分の気持ちを否定せず、「たしかに好き」と認めていることは立派です。
その姿勢は素晴らしいですね。

夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして

最後の残り火に手をふった

歌詞の中で「花火は消えない」と歌われていた部分が、最終的には実際に消えたようです。
面白い小ネタとして、その違いが指摘されています。
歌詞中では「花火は消えない」ときは花火を「指さして」いましたが、ここでは「手をふった」としています。
この差異から、サビの歌詞を追いかけるだけでも、自分の恋心を認めて客観視した上で、恋心に決別の意思を示していることが理解できますね。

「何かを得るために何かを捨てる」ことに置き換えられる

高校時代に好意を寄せていた人との夏にまつわる思い出から、aikoの『花火』が欠かせない存在となりました。
成長して大人になった今、自分なりに熟考し、その歌詞に込められた意味を理解することができました。

「花火」は、単なる「若者のひと夏の恋愛ソング」ではなく、「何か重要なことに忙しく取り組む人が、恋心という障壁に立ち向かい、勇気を持って決断する熱い歌」と私は考えています。
つまり、恋愛ソングに限らず、人生の中で誰もが経験する大切な決断に焦点が当てられているのです。

aikoの歌詞に登場する「あたし」は、常に恋愛によって感情が揺れるタイプの人物として描かれています。
そのため、「あたし」が他にも取り組むべき重要なことがある中で、恋心に向き合い、「好きだけど、諦める」という決断をする姿勢は、本当に立派だと思います。
この歌詞の中で、その勇気と強さが表現されているのです。