1. ノスタルジーと時間の巻き戻し:あの町・路地を辿る旅
ハナレグミの「発光帯」の冒頭から漂うのは、かつて暮らしていた町を久しぶりに訪れたときの、あの独特な感覚です。埃を被ったままの看板、誰かの尿の匂いが混じる路地――これらは明らかに美しい風景ではないはずなのに、なぜか胸が締め付けられるような懐かしさを感じさせます。
歌詞に登場する「帰ってきたような気がした」や「まるで映画のワンシーンのように」といった表現は、ただの風景描写ではなく、“記憶の再生”を通して心の奥にある大切な何かと再びつながる瞬間を描いています。
こうした描写は、聴き手自身の記憶をも呼び覚まし、過去に自分が大切にしていたものや、いつの間にか忘れてしまった感情を思い出させてくれます。
2. 自分再発見の痛みと揺らぎ
「幻さえ 心残りで」といった歌詞に現れるのは、ただ懐かしい記憶に浸るだけではなく、その中に封じ込めていた“未解決な自分”との再会です。
昔の自分は、ひねくれていて、イラついていて、それでもどこかで自分を守ろうとしていた。そんな未熟で不器用な自分を、今の自分はどんなまなざしで見つめ直すことができるのか――「戸惑うまま ずっと立ち尽くしていたの?」というフレーズには、問いかけと同時に小さな赦しの気配が滲んでいます。
再発見という言葉の裏には、喜びだけでなく痛みも伴います。しかしその痛みこそが、自分が過ごしてきた時間のリアルさ、そして今を生きる意味を静かに教えてくれているようです。
3. 憧れとのギャップに向き合う瞬間
「憧れ追いかけて 全然追いつかなくて」――この一節は、夢に向かって走っていた若い日々を思い出させます。全力で頑張っていたのに結果が出ない、誰かと自分を比べては落ち込んでしまう。そんな日々に心当たりのある人も多いのではないでしょうか。
しかし、歌詞の語り手はその悔しさをただ嘆くのではなく、「それでも今ここに大切なものがある」と、立ち止まった先で気づいた“本当に守りたいもの”に目を向けています。過去の理想とは異なるかもしれないが、それでも今の自分が立っているこの場所には意味がある――その確信は、非常に静かで力強いものです。
4. 「発光帯」というタイトルに込められた意味
この曲のタイトル「発光帯」は、一見すると抽象的な言葉ですが、永積崇自身の言葉によれば、都市の片隅に残る古びた商店街や人々の営み、つまり「自分たちの光を今も放ち続けている存在」にインスピレーションを受けたそうです。
コロナ禍を通して“当たり前の日常”が壊れた時、人々の心に残ったのは、華やかさではなく、地に足の着いた“しぶとく光る存在”でした。そうした存在は目立たずとも、たしかに世界の片隅で光を灯している。その象徴が「発光帯」なのです。
この言葉をタイトルに冠することで、曲全体が過去と現在をつなぎ、私たち一人ひとりの中にもある“光り続けるもの”への讃歌となっています。
5. “現在地”としての自己認識と未来への希望
楽曲の終盤に現れる「そして僕は 自分ていう“現在地” ワイドアングル 上へ上へ」というフレーズには、明確な希望の兆しがあります。振り返り、痛みを知り、自分自身と向き合った末にたどり着く「現在地」。それは決して派手な場所ではなく、確かな実感のある場所です。
「ワイドアングル」という視点の広がりは、過去にとらわれず、未来を見据える意志の表れ。そして「上へ上へ」という言葉には、どこかポジティブな余韻があり、再び歩み出すことへの前向きな決意が読み取れます。
この曲は、自己回帰から始まり、赦しと受容を経て、再び前を向く――その一連の感情の流れを、美しく繊細な言葉で綴っています。