【ぼくらが旅に出る理由/小沢健二】歌詞の意味を考察、解釈する。

新たな生活をスタートさせる時期。
このような時には、小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」(1996年)という曲が心に響くのではないでしょうか。
今日は、この曲の歌詞の意味について考えてみました(個人的な解釈も含まれています)。

タモリさん

この曲は、遠くへ旅立つ恋人へのメッセージとして捧げられたものですが、恋人以外の身近な人を見送る時にも心に響く曲です。
息子が社会人として上京してしまった時や、同僚が転職して去ってしまった時などにも聴くと感動的です。

小沢健二さんは2014年に「笑っていいとも」の最終回直前に16年ぶりにテレビ出演しました。
その際、タモリさんとスタッフの皆さんに対して「長い間お疲れさまでした」と感謝の気持ちを込めてこの曲を披露しました。
私は隣で笑顔で聴いているタモリさんの顔を見て、「タモリさんも新たな旅に出るんだなあ」と、何故か全く関係のない私まで涙ぐんでしまいました。

大好きなフレーズ

サビの歌詞。

遠くまで旅する恋人に あふれる幸せを祈るよ

突然話が逸れますが、「私をどれだけ愛している?」という質問に答えるのは非常に困難ですよね(実際に聞かれたことはありませんが)。
ここでは、愛の大きさを具体的に示すことが求められるため、単に「たくさん」と答えるだけでは足りません。

それに対して、「あふれる幸せを祈るよ」というフレーズは、明るいメロディと相まって、まるでギフトボックスからキラキラと輝くものが溢れ出てくるようなイメージが瞬時に頭に浮かびます。
「あふれる」という言葉は非常に一般的ですが、このフレーズは単純明快に「たくさん」を表現していて、そのセンスに惹かれます。
私はこのフレーズが大好きで、もうたまりません。

旅に出る理由は?

この曲のタイトルである「ぼくらが旅に出る理由」は、実際の歌詞の中では具体的には明示されていません。

ぼくらの住むこの世界では 旅に出る理由があり
誰もみな手をふっては しばし別れる

確かに、旅に出る理由は人それぞれ異なりますよね。
そのため、この曲は見送る側や見送られる側、進学や転職、留学など、様々な立場の人々に共感を呼ぶのです。

この曲を聴きながら旅に出て、「自分が旅をする理由は何なのか」と考えることが、この曲の最大の魅力かもしれません。
実際に行動を起こす際の理由は、自分自身でも意識していないことが意外とありますからね。

新たな発見と成長

しかしながら、旅に出る理由は個人によって異なるとは言え、共通する要素も存在します。
例えば、「発見」と「成長」ということです。
歌詞を2番まで辿ってみると、「摩天楼」という単語が登場することから、「遠くまで旅する恋人」がニューヨークに向かったことが分かります。

そして君は摩天楼で 僕にあてハガキを書いた
「こんなに遠く離れていると 愛はまた深まってくの」と

ニューヨークに滞在している彼女から届いた手紙には、「離れていると愛は深まってくる」という言葉が綴られていました。
彼女は新たな環境に身を置くことで、近くにいる間は気づかなかった彼の大切さを「発見」し、この関係をもっと大切にするために「成長」することができたのではないでしょうか。

世界は一つである

「発見」と「成長」というテーマは、恋愛に留まらず、世界の見方にも広がります。
この曲の主人公である「ぼく」は東京に残りますが、ニューヨークへ旅立った「君」の姿を通じて、自分自身と世界との確かな繋がりを実感するのです。

ぼくらの住むこの世界では 太陽がいつものぼり
喜びと悲しみが時に訪ねる

「ぼくらの住むこの世界では、太陽がいつものぼり」という言葉通り、朝が訪れ、夜がやってきて、そして再び朝が迎えられるという日々の繰り返しは、どの場所にいても同じです。
長い間同じ環境で生活していると、なかなか気づくことができないものですよね。
私自身、海外で暮らしている友人が割といるのですが、時折、月や太陽を見つめながら「こんなに遠く離れた場所に住んでいるのに、やはり私たちは同じ世界に生きているのだなあ」と不思議な感覚に包まれることがあります。

遠くから届く宇宙の光 街中でつづいてく暮らし
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってはしばし別れる

そして、視点は「世界」から「宇宙」へと広がり、また「街」へと戻っていきます。
日々、私たちは様々な場所で「暮らし」を営んでいますが、それは日本の人々もニューヨークの人々もアフリカの人々も同じです。
そして、「誰もが手を振ってしばし別れる」瞬間がやってきます。
その「しばし」という言葉には、一生会えなくなるかのような気持ちも含まれますが、どこまで行ってもこの世界は変わらないのです。
どの場所に住んでいても、朝は訪れ、喜びも悲しみもやってきます。
だから、「遠く」と言ってもそれほど重要なことではなく、むしろ手を振りながら幸せを祈ることが大切なのだと、この曲は伝えているのではないでしょうか。