Eveの楽曲は、心の奥深くに触れるような歌詞と美しいメロディで、多くのリスナーに愛されています。その中でも「さよならエンドロール」は、アルバム『廻人』や『Under Blue』の文脈の中でも、特に内面の葛藤と再生を描いた作品として注目を集めています。タイトルに込められた“終幕”のイメージと、その中に宿る微かな希望。この記事では、「さよならエンドロール」の歌詞を細かく読み解きながら、その意味やメッセージについて考察していきます。
楽曲が紡ぐ“青”の世界観 — アルバム『Under Blue』における「さよならエンドロール」の位置づけ
「さよならエンドロール」は、Eveが2022年に発表したアルバム『Under Blue』に収録されています。このアルバムタイトルの“青”は、若さ・未熟・迷い・痛みといった感情の象徴と捉えることができます。
本楽曲はアルバムの後半に配置されており、「物語の終わり」を示唆するタイトルとは裏腹に、どこか再出発を感じさせるメッセージが込められています。アルバム全体のストーリーラインにおいて、内省と向き合い、過去と決別するための“儀式”のような役割を果たしていると考えられます。
歌詞冒頭から見える〈倦怠・疎外〉の感情 — 「明日も愛も無関係だわ」から読み解くもの
冒頭の歌詞には、「明日生きられるだけの泡銭だわ」「先の未来も愛も私には無関係だわ」という一節があります。ここに現れているのは、自己と世界との間に引かれた境界線です。社会の中で生きながらも、どこか浮遊し、実感を持てずにいる感覚。この倦怠感と疎外感は、現代を生きる若者たちの多くが抱えるものでもあります。
このような言葉を通して、Eveは「生きづらさ」や「他者との距離感」といったテーマを、抽象的ながらも鋭く描き出しています。
「手を繋いで輪になって/手を繋げない人はどうして?」 — 共鳴と孤独の対比
この一節は、社会的な繋がりや「共感」という言葉の裏にある排他性を暗示しているように見えます。輪に加わることができる人々と、そこに入れず孤立する人々。つまり、誰もが“共にある”ことを求める中で、同時に“仲間外れ”を生み出すという皮肉。
この視点は、Eveが常に提示してきた「光と影」の世界観とも共鳴します。優しい世界の裏には、必ずその外にいる者がいる。その事実に目を向けさせる歌詞です。
“善も悪も意味をなさない”という言葉の奥にある、価値観の崩壊と再構築
「善も悪も意味をなさない/歪な想いと愛を知るまでは」というフレーズは、道徳や倫理といった“既存の価値基準”を疑う視点を表しています。この世界には明確な正解や答えは存在せず、それを知る前に個人の“歪な感情”や“曖昧な愛”と向き合う必要があるという示唆。
この歌詞には、思春期特有の自我の揺らぎや、大人になることへの戸惑いが色濃く反映されています。正しさを捨ててでも、“本当の自分”を求める姿が見えてくるのです。
「夢なら覚めないで」—エンドロールという名の“終わり”と、そこから生まれる“また明日”
曲の終盤に出てくる「夢なら覚めないで」という言葉は、物語の余韻を残しながらも、現実へと戻ることの拒否感を示しています。タイトルの“さよならエンドロール”が示すのは、映画や物語の終わり、すなわち一区切り。しかしその終わりは、同時に「次の始まり」を予感させます。
Eveの楽曲に共通する「終わりの美しさ」と「再生の可能性」が、この一節にも色濃く表れています。まるで夢の中にいたような時間にさよならを告げながらも、そこから何かを受け取り、前に進む力を得ている——そんな印象が残ります。
終わりに:あなたの“物語”にもエンドロールは訪れる
「さよならエンドロール」は、単なる失恋や別れの歌ではなく、自己の再構築や人間関係の機微を描いた、深いテーマ性を持った楽曲です。Eveの紡ぐ言葉は、聞く人それぞれに違う意味を与えます。あなたがこの曲を聴いたとき、どの言葉に心が動いたか。それこそが、あなた自身の“エンドロール”なのかもしれません。