竹内まりや『縁の糸』歌詞の意味を徹底解釈|見えぬ糸がつなぐ運命と人の縁

「袖振り合うも多生の縁」とは何か?歌詞冒頭に込められた仏教・禅の教え

「縁の糸」の歌詞の冒頭に登場する「袖振り合うも多生の縁」という表現は、古くからある仏教的な言葉であり、「たとえ道ですれ違い袖が触れただけでも、それは前世からの因縁によるものだ」という意味です。この一節には、日々の何気ない出会いもすべて偶然ではなく、何らかの意味や縁があるというメッセージが込められています。

竹内まりやはこの言葉を使い、人生における出会いの尊さを伝えています。特に、人と人との関係性を「縁」として捉える仏教思想がベースになっており、運命的な要素や宿命というテーマが浮かび上がってきます。


見えない糸でつながる出会い――人生には偶然などない

歌詞の中で繰り返される「見えぬ糸」という表現は、まるで人と人との間に目には見えない絆が存在するかのようなニュアンスを帯びています。ここでの「糸」とは、縁や運命を象徴するものであり、たとえ現在は見えなくとも、それは確かに存在しており、私たちの人生を導いているのだと示唆しています。

人と出会い、つながることの背景には、見えない力が作用している――。この考え方は、日本人の精神性の中に深く根ざしている「運命論」とも重なります。そして竹内まりやは、その目に見えない力に身を委ね、あるがままの人生を受け入れていく姿勢を歌詞の中で描いているのです。


「八雲立つあの場所へ」とは?出雲・京都の土地への郷愁とルーツ

「八雲立つ」という言葉は、出雲地方を象徴する古語であり、『出雲風土記』や『古事記』などにも登場します。この表現が歌詞に用いられていることから、竹内まりやが故郷・出雲への想いを込めていることがわかります。出雲は縁結びの神・大国主命を祀る出雲大社のある地であり、「縁」との関連性も非常に強い場所です。

また、竹内まりやの出身地である島根と、現在の生活の拠点である京都という二つの場所が、彼女の心の中で交差しているようにも読み取れます。郷愁やアイデンティティ、そして土地との「縁」もまた、この曲における重要なモチーフです。


糸がもつれても結び直す――人間関係の修復と絆の強さ

「もつれた糸を結び直す」という表現からは、人間関係の複雑さや、過去のすれ違いや誤解を乗り越えて再び絆を取り戻すことの大切さが伝わってきます。この部分は単なる恋愛関係だけでなく、家族、友人、職場など様々な人間関係にも当てはまります。

人生の中で何度も糸が絡まり、切れそうになる瞬間が訪れますが、それでも互いに歩み寄ることで再び糸を結ぶことができる――竹内まりやはこの楽曲で、修復可能な希望や、長く続く「縁」の本質に光を当てているのです。


「縁の糸」は夫婦の絆か?大辞典から読み解く歌詞の深層

「縁の糸」という表現自体、日本の文化や文学において古くから「夫婦の縁」「結ばれる運命」を象徴する言葉として使われてきました。平安時代の文学にも登場し、時には赤い糸として、神秘的で浪漫的な運命のつながりを表現します。

竹内まりや自身、山下達郎という伴侶と長年にわたり音楽を共にし、人生を共にしてきた背景を考えると、この曲には「夫婦の絆」という個人的な体験も反映されている可能性が高いです。日々の積み重ねの中で確かに育まれる絆――それこそが「縁の糸」の真意とも言えるでしょう。


✅ まとめ

『縁の糸』は、仏教的な「縁」や、日本の伝統的価値観、土地とのつながり、夫婦の絆といったテーマを静かに、しかし深く描き出した名曲です。竹内まりやは、見えないが確かに存在する「縁」というものを詩的に、かつ日常の中に落とし込み、聴く者の心に寄り添う作品を創り出しました。どんなに時が流れても結ばれ続ける縁の強さ――それは私たちにとって、生きる希望そのものと言えるかもしれません。