Vaundy「呼吸のように」歌詞の意味を考察|「愛」と言い切らない二人の関係とは

Vaundy「呼吸のように」は、一見すると大切な人と共に生きたいというラブソングに聞こえます。

しかし歌詞を丁寧に追うと、二人の関係はそれほど単純ではありません。

主人公は「これは愛だ」と断言しない。

相手と一緒にいることさえ、当然の権利として求めない。

何度も迷い、問いかけ、相手との距離を測り続けています。

そして終盤では、二人の距離を示す言葉そのものが変化します。

この変化こそ、「呼吸のように」を単なる恋愛ソングではなく、映画『正欲』に驚くほど似合う曲にしているのではないでしょうか。

Vaundy本人のコメントと映画の公式情報を確認しながら、歌詞の意味を考察します。

「呼吸のように」はVaundy初の映画主題歌

「呼吸のように」は2023年11月8日に配信リリースされたVaundyの楽曲です。

11月10日公開の映画『正欲』主題歌に起用され、11月15日発売の2ndアルバム『replica』にも収録されました。Vaundy公式ディスコグラフィーでリリース情報を確認できます。

また、「呼吸のように」はVaundyにとって初めての映画主題歌でもあります。Vaundy公式サイト

ただし、ここには重要なポイントがあります。

この曲は『正欲』のために書き下ろされた楽曲ではありません。

Vaundyがそれまでに書き溜めていた未発表曲の中から、映画の世界観に合う曲として選ばれたものです。Vaundy公式サイトでも、その制作経緯が明記されています。

つまり先に映画があって、その内容を説明するように歌詞を書いたわけではない。

もともと存在していた歌が、偶然とは思えないほど『正欲』の世界と重なったのです。

Vaundy本人が語った「呼吸」の意味

Vaundyは『正欲』について、とても興味深いコメントを残しています。

映画には、自由でいることの窮屈さや、人が誰かとの共鳴を求めてしまう寂しさが描かれている。

しかしVaundyは、必ずしも相手に共感しなくてもいいし、共感できなくてもいいのかもしれない、と受け取ったそうです。

そして「呼吸のように」には、生きることを息をすることとして捉え、大切な相手と少しでも長く同じ空気の中にいたいという、非常にシンプルな思いを込めたと説明しています。BARKS掲載のVaundyコメント

ここは、この曲を理解するうえで非常に重要でしょう。

「相手を理解したい」ではないのです。

「同じ価値観になりたい」でもない。

相手を完全に理解できなくても、同じ場所で呼吸していたい。

この距離感が「呼吸のように」の中心にあります。

「呼吸のように」は“愛が自然になる歌”ではない

タイトルだけを見ると、

「君を愛することは、呼吸するのと同じくらい自然なこと」

という意味にも思えます。

実際、そうした解釈も可能でしょう。

しかし歌ネット掲載の歌詞を読むと、主人公は二人の関係をそこまで確信していません。

むしろ何度も相手の反応をうかがっています。

相手が呼吸しているのなら、自分もそこに存在していいのか。

そんな条件付きの形で問いかけ続けているのです。

つまり、この歌における呼吸は「愛は当然に続く」という象徴ではありません。

私はむしろ、

「相手の存在を確認しながら、自分もここにいていいか確かめ続けること」

の象徴だと考えます。

だから歌詞には断定よりも問いかけが多い。

この二人は、関係に名前をつけただけで安心できるような状態にはいないのです。

過ぎた時間は「傷を治す」のではなく、置き場所を変えていく

冒頭では、時間が流れ、その中には意味がなかったように思える日々もあったことが振り返られます。

それでも主人公は、過ぎた時間そのものを否定しません。

ここだけなら「時間が傷を癒やしていく歌」とも読めます。

しかし、そのあとに写真立てが登場します。

主人公はそれを見ることに苦しさを感じ、目の前に置き続けるのではなく、しまっておこうとします。

ここが重要です。

思い出を捨ててはいません。

かといって、完全に乗り越えたわけでもありません。

痛みが消えるのではなく、

「今の自分が生きていける場所へ、思い出を移動させる」

のです。

人は過去を全部克服できるわけではない。

忘れられないものは忘れられないまま、それでも現在を生きていく。

「呼吸のように」の時間感覚は、意外なほど現実的です。

なお、この写真が誰のものなのか、なぜ見ていると苦しいのかは明示されません。

別れとも、喪失とも、別の事情とも解釈できます。

そこを一つの物語に限定しないことも、この曲の魅力でしょう。

「吸う」と「吐く」が別々なのが重要

この歌では、二人がまったく同じ行為をしているわけではありません。

一方が息を吸い、もう一方が息を吐く。

対になってはいますが、同一ではないのです。

私はここに『正欲』との大きな接点を感じます。

一緒にいるために、二人が同じ人間になる必要はない。

同じ価値観を持つ必要もない。

相手と自分が違うまま、それでも一つの空間を共有することはできる。

Vaundyが映画について「共感できなくてもいい」という趣旨を語っていることを踏まえると、この「違う動作をしながら同じ空気を共有する」という呼吸の構造は非常に象徴的です。

「分かり合うこと」より先に「共に存在すること」がある。

これが「呼吸のように」というタイトルの、もっとも深い部分ではないでしょうか。

なぜ主人公は「愛」だと言い切れないのか

歌詞の中盤では「愛」と「夢」という二つの言葉が登場します。

ところが主人公は、二人の関係をどちらかに決めていません。

特徴的なのは、僕と君の位置が入れ替わりながら、これは愛であってほしい、夢であってほしいという願いが反復されることです。

ここで使われているのは「これは愛だ」という断言ではありません。

あくまで「そうであってほしい」という願いです。

この違いはかなり大きい。

普通のラブソングなら、二人の感情に「恋」や「愛」という名前を与えることで物語が完成します。

しかし「呼吸のように」は、最後までそのラベルを確定させません。

それでも二人の間に何もないわけではない。

むしろ名前を決められないほど大切な関係がある。

ここにも『正欲』との接点があります。

社会は人と人との関係に名前をつけたがります。

恋人。
友人。
家族。
理解者。

けれど、現実の人間関係は必ずしもその分類にきれいに収まりません。

この曲が描く二人もまた、「何という関係なのか」より、「それでも一緒に存在したい」という感情を優先しているように見えます。

「君の中」から「君の横」へ――最大の変化

そして、この曲でもっとも注目したいのが終盤です。

前半の主人公は、相手と自分が互いの内側に入り込むような距離感で二人を捉えています。

非常に親密ですが、同時に境界がなくなってしまいそうな近さでもあります。

ところが最後になると、二人の位置関係が変わります。

主人公が求める場所は、相手の内側ではなく、相手の「横」になります。

私はここが「呼吸のように」という曲の到達点だと思います。

愛とは、相手と一つになることではない。

相手を完全に理解することでもない。

自分と相手がそれぞれ別の人間であることを保ったまま、隣にいられること。

前半の「入り込む関係」から、終盤の「並んで存在する関係」へ。

この小さな距離の変化によって、曲の意味そのものが変わっています。

そしてVaundy本人の「共感できなくてもいい」という『正欲』への感想を重ねると、これは単なる偶然以上に美しい一致です。

なぜ最後まで「いいか?」と問い続けるのか

もう一つ重要なのが、主人公が相手との関係を勝手に決めないことです。

大切だから一緒にいる。

愛しているから隣にいる。

そう言い切るのではなく、自分が相手のそばに存在してもいいのかを問い続けます。

最後も完全な答えでは終わりません。

ここには、相手の意思を残しておこうとする姿勢があります。

「僕は君が必要だから、君も僕を必要としているはずだ」

とはならない。

自分が求めていても、相手がどう感じるかは別です。

だから尋ねる。

非常に親密なラブソングでありながら、相手との境界線を消さないのです。

この距離感があるからこそ、「君の横」という終盤の位置が効いてきます。

タイトルは「愛」ではなく“伝え続けること”にかかっている

「呼吸のように」というタイトルが登場する位置にも注目したいところです。

歌詞では、主人公が相手に何度も言葉を伝えようとする場面と結びついています。

つまりタイトルは、

「愛することが呼吸のように自然」

というだけではなく、

「相手に伝え続けることが呼吸のように繰り返される」

とも読めます。

関係は、一度分かり合えば完成するものではない。

今日分かり合えても、明日は分からなくなるかもしれない。

だからまた話す。

また確認する。

また相手の反応を聞く。

吸って、吐いて、また吸うように。

「呼吸のように」は、関係を完成させる歌ではなく、関係を続けるための行為を描いた歌なのではないでしょうか。

映画『正欲』と「呼吸のように」が重なる理由

映画『正欲』は、朝井リョウの同名小説を岸善幸監督が映画化した作品です。

映画公式サイトでは、異なる家庭環境や性的指向、境遇を持つ人物たちが描かれ、「誰ともつながれない、それでも誰かとつながりたい」という切実さが物語の重要な要素として紹介されています。

だからこそ「呼吸のように」が響きます。

この曲は、

「違いを理解しましょう」

という啓発的な歌ではありません。

Vaundy自身も、相手に必ずしも共感できなくていいという趣旨のコメントをしています。

理解できない。
同じになれない。
関係に名前もつけられない。

それでも、同じ空気の中で生きることはできるかもしれない。

『正欲』と「呼吸のように」が共有しているのは、多様性という抽象的なスローガンではなく、

「分からない他者と、それでもどう一緒に生きるのか」

という、もっと難しい問いなのだと思います。

MVも「接触する人/できない人」の距離を描く

2023年12月に公開された「呼吸のように」のMVには、映画『正欲』にも出演した磯村勇斗が主演しています。

Vaundy公式サイトに掲載された磯村のコメントによれば、MVでは街中で抱き合う人々を眺める孤独な青年を演じたとのこと。

人との接触を遮りたくなる気持ちを抱えながらも、目の前の人々の温もりを見て、誰かを求めたくなる――そんな作品として説明されています。Vaundy公式サイト

ここでも描かれるのは「誰とでもつながれる世界」ではありません。

つながりたい気持ちと、つながれない気持ちが同時に存在する。

その矛盾を消さないところが、歌詞にも映画にもMVにも共通しています。

まとめ|「呼吸のように」は、分かり合うことより“隣にいること”を選ぶ歌

Vaundy「呼吸のように」は、大切な人とのつながりを描いた曲です。

しかし、そのつながりは「二人なら完全に分かり合える」という理想的なものではありません。

思い出にはまだ痛みがある。

二人の関係を愛と呼んでいいのかも分からない。

相手の気持ちも、自分の気持ちも完全には確定しない。

それでも主人公は、相手と同じ時間を生きたいと願います。

そして前半では互いの内側へ入り込むほどだった距離が、最後には「横にいる」という距離へ変わる。

ここに、この曲の答えがあるように思います。

相手と一つにならなくていい。

完全に理解できなくてもいい。

同じ価値観になれなくてもいい。

それでも、隣で呼吸することはできる。

「呼吸のように」が描いているのは、理想的な愛の完成形ではありません。

分からない他者と、それでも共に生きようとする関係そのものなのではないでしょうか。

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