n-buna(ナブナ)は、繊細かつ深淵な世界観を持つボカロ楽曲を数多く手がける音楽クリエイターとして知られています。なかでも代表曲のひとつ『ウミユリ海底譚』は、2013年に投稿されて以来、多くのリスナーの心を惹きつけ、今なお高い人気を誇っています。
この曲は、一聴すると美しい海底の情景や淡い恋心を描いたようにも感じられますが、歌詞を丁寧に読み解いていくと、より深い孤独や喪失感、生の意味すらも内包していることに気づかされます。本記事では、歌詞の背景や象徴を考察し、その世界観を紐解いていきます。
1. 曲名「ウミユリ海底譚」が示す比喩 ― ウミユリ/海底/散歩というモチーフの意味
「ウミユリ海底譚」というタイトルは、幻想的で詩的な印象を与えますが、ここには深い意味が隠されています。
- ウミユリとは、実在する海洋生物で、海底に咲く花のような姿をしていますが、移動せずその場で静かに生きる存在です。この特徴は、心の中に閉じこもったまま、動けない「僕」の姿に重ねられているように思えます。
- 海底は、深い孤独や閉ざされた心象風景の象徴とも捉えられます。日常から隔絶された場所での「譚(ものがたり)」という設定が、現実逃避や死後の世界を暗示している可能性もあります。
- 散歩という日常的な行為が、「海底」という非現実的な場所で語られることで、現実と幻想の境界が曖昧になり、夢か現か、過去か未来か分からない、揺らぐ心情を表現しています。
2. 「僕」と「君」、そして「歌」の関係性 ― 歌詞に描かれる登場人物と立場
この曲の語り手は「僕」であり、相手は「君」という存在です。この二者関係の中に、重要な物語が隠れています。
- 「僕」は自己を「海底に沈んだ存在」として描写し、社会や現実から距離を取った視点に立っています。
- 対する「君」は、現実世界に生きていた、あるいは生きている存在であり、「歌ってよ、歌ってよ」と繰り返されるフレーズは、まるで過去に何かを伝えたかったという後悔や願望のようにも感じられます。
- そして「歌」とは、二人をつなぐ唯一の手段であり、「歌を通じてしか思いを伝えられない」「歌の中でしか再会できない」といった儚さや無力さも読み取れます。
3. 「海」「空」「灰」などの風景描写から読み解く心象世界
歌詞の中には、視覚的なイメージが豊かにちりばめられています。特に「海」「空」「灰」などの描写は、心の状態を象徴していると考えられます。
- **「海」**は深淵や感情の奥底を示すとともに、静けさや孤独も表します。「君」との関係が過去のものとなったことを象徴しているかのようです。
- **「空」**は本来、希望や解放を意味することが多いですが、この曲においては「空っぽ」や「曇り」といった描写から、むしろ喪失や空虚さを感じさせます。
- **「灰」**という言葉は、すでに燃え尽きたもの、過去の痛みや死を暗示しているとも取れます。
これらの比喩表現が織りなす風景は、「僕」の内面にある諦め、悲しみ、そして微かな希望までもを表現しているのです。
4. 歌詞の“救い/絶望”の二面 ― SOS・一等星・ハッピーエンド否定から紡がれる物語
歌詞には、「助けて」のメッセージが繰り返される一方で、それを拒むような表現も含まれています。
- 「SOS、SOS」は明確な救難信号であり、「僕」が本当は誰かに気づいてほしいという叫びを内包しています。
- しかし、「ハッピーエンドの絵本のようにはいかない」というフレーズは、その救いが訪れないことへの諦念、あるいは現実の残酷さを象徴しています。
- 「一等星を君と見たい」という願いは、救済や再生の象徴でもありますが、実現されない夢として提示され、希望が届かないことの虚しさを浮き彫りにします。
このように、楽曲は「助けてほしい」と「助けられない」の間で揺れ動く矛盾を描いており、それがリスナーの心に深く訴えかける所以でもあります。
5. 歌詞解釈の広がり ― 自殺・喪失・成長など、複数の読み筋とその根拠
『ウミユリ海底譚』は、その解釈の幅広さでも知られています。多くの考察の中から、代表的な読み筋をいくつか紹介します。
- 自殺説:「海底に沈む」「助けて」「灰になった」などの表現は、自死や死後の世界を連想させるため、この曲を「死後の視点から語られる物語」と解釈する人も少なくありません。
- 喪失説:「君」がすでにこの世にいない存在(亡くなった友人・恋人)と捉え、「歌」を通じて語りかけるという構造で読む解釈もあります。
- 成長と再生の物語:一方で、「海底」=心の底に沈んでいた「僕」が、「歌」や「思い出」を通じて再び立ち上がっていくプロセスと捉え、前向きな視点で見る解釈も存在します。
これらの解釈はすべて、歌詞の曖昧さや象徴性の高さによって成り立っており、リスナー各々の経験や心境によって受け止め方が異なる点も、この楽曲の魅力のひとつです。
Key Takeaway
『ウミユリ海底譚』は、n-bunaが生み出した極めて繊細かつ詩的な楽曲であり、その歌詞は、孤独、喪失、希望といった人間の根源的な感情を豊かな比喩で表現しています。その解釈は一つに定まることなく、リスナー自身の心と重ねることで初めて真の意味を持ち始める――そんな、聴く人の「心の深海」にそっと寄り添う一曲です。


