【深夜高速/フラワーカンパニーズ】歌詞の意味を考察、解釈する。

30年以上もの間、精力的な活動を続けるフラワーカンパニーズ、通称フラカン。
彼らの代表曲とも言えるこの曲が人々の心に響く理由に迫ります。

繰り返される印象的なフレーズ

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる

高らかに歌われるサビ部分。
ヴォーカリストの鈴木圭介氏の情熱的な声が深く感心を刻む。

この楽曲の全編を知らなくても、この部分だけは耳に触れたことがある人も多いかもしれない。
初めて耳にした人にも強烈な印象を与える、記憶に残るフレーズである。

タイトルは「深夜高速」。
情熱的な歌声とは異なり、暗闇の情景を想像させるタイトルがついている。


歌詞をじっくりと見てみると、「生きててよかった」というフレーズが繰り返し現れます。
しかしその後に続くのは「そんな夜を求めてる」という一節です。
言い換えれば、まだそのように感じられていないという意味合いが伺えます。

では、なぜこの印象的なフレーズが何度も繰り返されるのでしょうか?
この曲の核心に迫る際に、その理由を解明していきます。

光景が浮かぶ

元々はライブ会場でのみ手に入ることができる限定販売だったが、その人気は急速に高まり、2004年にシングルとして一般リリースされることとなる。
その後、「深夜高速」は多くのアーティストによってカバーされるアルバムも発表され、これがさらなる広がりを見せる一因となる。
特に、NHKの成人の日の番組において、メンバーが出演し、この曲を披露したことは、この歌が幅広い世代の心に響くことを証明するものだろう。
老若男女を問わず、多くの人々に愛される歌としての確固たる地位を築いている。


大学時代に出会ったメンバーが集い、バンドを結成するというスタートを切った彼らは、その後も不断の努力を積み重ねてきた。
しかし、その過程は容易ではなかった。
一度はメジャーデビューを果たすも、後に一旦インディーズに戻り、再びメジャーシーンに舞い戻った。
そして現在、彼らはインディーズの自主レーベルを通じて活動を続けている。
メンバーの入れ替わりや活動休止などもなく、一貫してバンドとしての道を歩み続けてきた。

その軌跡の中で、2015年には日本武道館でのライブを成功させるなど、着実に実績を積み上げてきた。
そして今もなお、彼らの音楽の道のりは続いている。


青春ごっこを今も 続けながら旅の途中
ヘッドライトの光は 手前しか照らさない

楽器を積んだ機材車を駆って、各地のライブハウスを訪れる彼らの光景が浮かび上がります。
「深夜高速」を聴いていると、その情景が目に浮かぶようです。
外灯や車のヘッドライトの微かな光以外に照らされていない、真っ暗な夜道を進む車の中。
窓の外にはほとんど何も見えず、静寂な夜に心がふさぎ込むこともあるでしょう。
その中で内なる思いが深くこもった言葉が歌詞に込められており、叙情的な雰囲気が漂っています。

永遠に続く夢の中

十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち

「青春」という言葉は、もともとは10代から20代の期間を指すものとされています。
しかしながら、最近では、心が若々しく保たれている状態を表す言葉としても用いられています。
“今が青春だ”や”あの頃が青春だった”と感じる瞬間は、個々に異なるでしょう。
いずれにせよ、キラキラとした時期をイメージすることが一般的です。

とはいえ、この曲では「青春」や「若さ」をそのようにポジティブにとらえているわけではありません。
むしろ、この曲は「青春」のイメージとは異なり、身に着けたものがなく、理解者も少なく、孤独感が深まっている様子を描写しています。


壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない
だからといって全てに 満足してるわけがない

キラキラとしたイメージとは裏腹に、10代は葛藤に満ちた時期でもあります。
思春期と呼ばれるこの時期には、鬱屈した感情を抱えている人々が多いでしょう。
過去に抱えた思いを今もなお引きずっている人々も存在します。
また、その感情を破壊的な行動で発散する人々もいるかもしれません。
例えば、深夜に学校の窓ガラスを壊すなどの行動もあるかもしれません。
しかしこの曲の中では、そうした行動を肯定しているわけではないのです。

この歌は、満ち足りない思いを抱えたまま、それをどうすれば埋めることができるのか分からない状態を描写しています。
心が揺れ動く様子を通して、その苦悩や葛藤が伝えられています。
これもまた、青春と呼ぶことのできる瞬間であると言えるでしょう。


考えてみると、”ロックンロール”はもともと、既存の体制に対抗するための音楽として生まれました。
大衆向けではなく、社会的にはみ出した存在たちの表現手段でした。
その楽曲の魅力は言うまでもないですが、そのスタンスに共感する人々も多かったことでしょう。
満たされない気持ちや未来への夢を抱えていた人々が、その音楽に熱中したことでしょう。
今やロックは一大カルチャーとなっていますが、かつては青春時代真っ盛りの若者たちの支えだったかもしれません。
その情熱に駆られた人々は、楽器を手に取り自分たちでも音楽を奏でるようになりました。
フラワーカンパニーズのメンバーたちも、その一例でしょう。
そして思春期を超えても音楽活動を続ける彼らは、若かりし頃の情熱を失わずに、夢を追い続けているのかもしれません。
まるで永遠に続く夢の中にいるような気がします。
そういうわけで、彼らの姿を「ごっこ」と表現するのは、一理あるのかもしれませんね。

青春ごっことは

青春時代が過ぎ去っても、私たちは長い人生の旅を続けていきます。
ただし、未来の展望を正確に予測することは難しいです。
それが何十年後であろうと、たった1秒後であろうと、同じです。

彼らが「青春ごっこ」を続ける姿勢も、同じように理解できます。
まるで夜の高速道路を進むように、先が見えにくい旅を続けている様子。
これは私たちの人生と重なる部分があります。


目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

人生は、歩く(または走る)道に例えられることがあります。
通常、私たちは歩く際には特定の「目的地」を持っています。
買い物に行く店、職場、学校などへ向かうために歩きます。
しかし、彼らが「深夜高速」を走る旅には目的地が存在しないようです。
むしろ、今まで進んできた道ですら忘れてしまっているかのようです。
彼らには、”今、ここ(そして、ライトで照らされているわずかな先の道)”という状況しかありません。
これは一体どういうことなのでしょうか。


「青春ごっこ」は、バンド活動を指す隠喩として使用されていると述べました。
では、バンド活動における「目的地」とは何なのでしょうか。
例えば、ある人は日本武道館でのライブを夢見るかもしれません。
CDの売上やダウンロード数が目指すべき目標となることもあるでしょう。
そしてその目標を達成すると、多くの場合、達成感を感じることでしょう。
長い努力の成果を享受し、その瞬間は「生きててよかった」と感じられるでしょう。
ただし、ほとんどの場合、活動はその先で続きます。
人生は進行するからです。
新たな目標を設定し、着実に前進する人もいれば、次々と立てる目標が疲労を引き起こすこともあります。
目標を達成できなかった場合、心が折れてしまうことも考えられます。

それでも、「青春ごっこ」を続けるなら、どのように進むべきでしょうか。
彼ら自身がその問いに対して見つけた答えが、この歌詞の中に込められているのです。

目的地なんてない

生きててよかった そんな夜はどこだ

「生きててよかった」という言葉は、歌が進むにつれて情熱をこめて歌われます。
おそらく、歌詞通りに「そんな夜」を切望し、熱心に探し求めているからでしょう。
そのような夜を求めることが、彼らの持続的な意欲の源泉なのです。
その夜に込めた願いこそが、彼らの旅の目的です。
彼らは、「生きててよかった」と感じるような夜を手に入れるために、絶えず進み続けているのです。


しかし、「生きててよかった」と感じるかどうかは、個人の受け取り方によるものです。
それは数値や具体的な基準で計ることはできません。
そのため、その感覚が得られたかどうかは非常に曖昧なものです。
だからこそ、彼らはこのように歌っているのです。

全開の胸 全開の声 全開の素手で
感じることだけが全て 感じたことが全て

感情を率直に受け止め、心を広げておくこと。
それによって、些細なことでも心が共鳴し、心動かされる自分でいられるでしょう。
それがたとえ小さなきっかけであっても、強い感情を抱くことが可能です。
「生きててよかった」と感じる瞬間が訪れることでしょう。
そして、そのような機会は確実に増えていくはずです。
ただし、走り続ける限りにおいてです。
その営みを保ち続ける限り、そうした瞬間を逃すことはないでしょう。


こう考えると、彼らの旅には確かに「目的地」がないことが分かります。
その理由は、人生自体にもっともらしいゴールや終着点がないからです。
人はみな、終わりを迎えるという共通の宿命を持ちますが、それはあくまで旅路の終わりであり、「目的地」とは異なります。
この観点から見れば、彼らの旅は「目的地」を持たないとも言えます。
その代わり、バンドとしての活動や音楽制作といった行為が、彼らの人生そのものと結びついています。

さらに言えば、「生きててよかった」と感じる瞬間は、音楽以外にも多く存在するでしょう。
こうした瞬間を求め、楽しむことが、彼らの旅を彩る重要な要素です。
その願いを胸に秘め続ける限り、彼らの旅は続いていくのです。

走り続けるという事

前述した通り、青春時代は物足りない気持ちを抱える時期であると述べました。
この時期を過ぎると、人々は成熟して大人になります。
一般的には、大人は不足している部分でも何とか生活していく方法を見つけます。
我慢をすることや、不足を埋めることに慣れることが含まれます。
これは「分別がついた」とも言えるでしょう。
しかしながら、求め続ける姿勢を諦めてしまうと、感情が鈍ってしまうことがあります。
素直に受け入れることや、内に秘めた感情を自然に表現することが難しくなっていくのです。

社会において過度なわがままは好まれないかもしれませんが、自分自身の感情や思考を無視してしまうことも問題です。
このバランスを保つことは重要です。
自己主張しすぎることなく、同時に自分の本当の気持ちや考えを失わないようにすることが、自己同一性を保つ鍵かもしれません。


僕が今までやってきた たくさんのひどい事
僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ

人間の感情には、良いものも悪いものも含まれています。
心を解放して、全てを受け入れると、嫌な感情が湧いてくることもあるでしょう。
このような感情は、時間が経つごとに積み重なるかもしれません。
しかし、それでも、心を開いたままでいたいという意志が彼らには存在します。
これは、彼らが「忘れたよ」と言いつつも、実際には忘れることのできない出来事が多いからかもしれません。
つまり、青春時代を遥かに超えても、彼らがどれだけ生きてきたかという証のようです。
このような覚悟を持つことで、彼らは大人としての一面を示しているのです。


そのため、彼らはますます情熱を注ぎながら、繰り返し行動します。
自身が「生きててよかった」と感じる瞬間を探し求めているのです。
些細なことでも見逃すことなく、感情を揺さぶられるような自分でありたいと願っています。
これは、自らに徹底的に刻み込んでいると言えるでしょう。

実際、彼らは歳を重ねるにつれて、大人と呼ばれる年齢を経験していきます。
この過程で、強い気持ちや情熱を薄れさせてしまう可能性もあるかもしれません。
こうした中で音楽は、人々の心を深く揺さぶる力を持っています。
感情を込めなければ、音楽は聴衆に伝わることはありません。
つまり、彼らが自分たちの旅を続けるためには、「そんな夜」が欠かせないのです。
あるいは、その夜を追求し続ける心が重要なのかもしれません。
この点が、実は「青春ごっこ」の本質なのかもしれません。


目指す場所に向かって走るのではなく、走り続けること自体が重要です。
その意味は、生き続けることそのものです。
このため、彼らは一つの理由として「生きててよかった」と感じる夜を追い求めています。
この感覚は、実際のところ、私たち自身にも当てはまることかもしれません。
些細なことでも、それがあるからこそ、私たちは日々を乗り越えていけるのです。
多くの人にとって、これに共感する経験があるでしょう。

青春時代を超えても、人生は(幸運ならば)続いていきます。
この持続は、なかなか難しいものです。
人生を続けるためには、「生きててよかった」という気持ちが必要不可欠です。
ただし、大人になると、この感覚を持ち続けることが難しくなることもあります。
こうした背景から、何度もその気持ちを求める熱い情熱が湧いてくるのです。

この歌が多くの人々に共感される理由は、ここにあるかもしれません。
彼らが青春時代を超えても音楽を続けることで、この歌が歌われる意味と深さが生まれているのかもしれません。