【瞳をとじて/平井堅】歌詞の意味を考察、解釈する。

2020年5月13日にデビュー25周年を祝った平井堅は、多彩な音楽スタイルで活躍するシンガーソングライターです。
彼の楽曲の中から、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌としても知られる『瞳をとじて』の歌詞について考察してみましょう。

胸がきゅっと締め付けられる

あの日 見せた泣き顔 涙照らす夕陽 肩のぬくもり
消し去ろうと願う度に 心が 体が 君を覚えている

「君」という存在が「僕」の前から失われた瞬間の涙。
「僕」の肩に頼りにされた思い出から生まれた「肩のぬくもり」。
これらをどれほど消し去ろうと試みても、それは難しいことでしょう。
それゆえ、そうした感情を消し去ろうと「切に望んで」います。
この「切に望んで」の言葉から、失恋だけでなく、もっと深刻な別れを経験したのかもしれないと感じることができるでしょう。
あまりにもつらい出来事として、それが過去から消えてほしいと切に願うのです。
しかし、大切な「君」との思い出でもあるため、苦しい記憶であっても愛おしいと思うこともあるかもしれません。
本当はそれを消し去りたくないのかもしれませんね。
だから、努力ではなく、心から願うことを選びます。
この言葉を聞いた瞬間から、胸がきゅっと締め付けられる感覚が広がります。

悲しみの中に立ち尽くす「僕」の姿

瞳をとじて 君を描くよ それだけでいい
たとえ季節が 僕の心を 置き去りにしても

大切な人を見る瞬間、私たちはしばしば目を大きく見開きます。
相手の姿をできるだけ鮮明に、自分の心に刻みたいと願うことがあるでしょう。
しかし、「僕」は「君」と対面する際、目を閉じることを選びます。
そして、「それだけで充分だ」と感じています。
その理由は、「君」が目の前にいないからだけではありません。
例えば、恋人との関係が終わり、別れることになった場合を考えてみましょう。
しかし、その相手と完全に縁を切ることは難しいことです。
驚くべき偶然により、再び出会うこともあるでしょう。
また、共通の友人から相手のことを聞くこともあるでしょう。
何より、相手を諦めきれない場合、心の中で相手の幸せを願うことができます。
しかし、「僕」には「君」とそういった現実的な接点すら存在しません。
だからこそ、瞳を閉じて「君」との思い出を思い浮かべます。
「それだけで十分だ」と断言するのは、一生懸命に頑張っても、「それしかできない」からなのです。
『瞳を閉じて』というタイトルの意味を考えると、季節が過ぎ去る中で、目を閉じて「君」を思い出し、悲しみの中に立ち尽くす「僕」の姿が心に浮かび上がります。

もう会えない人への深い愛情を歌った『瞳を閉じて』

いつかは君のこと なにも感じなくなるのかな
今の痛み抱いて 眠る方がまだ いいかな

大きな苦しみや悲嘆が存在しても、「君」に対する感情が薄れることよりも、むしろ好ましいと言えるでしょう。
「君」への深い愛情が伝わり、胸に強く迫る感覚があるようですね。

記憶の中に 君を探すよ それだけでいい
なくしたものを 越える強さを 君がくれたから
君がくれたから

「君」との辛い別れが「僕」を強くしました。
おそらく、「僕」は何度も「君」のそばにいたいと思ったことがあったかもしれません。
しかし、今では愛する「君」から得た強さを大切にしたいと考えています。
『君がくれたから』という言葉が繰り返されるのは、それだけ「僕」が「君」からもらったものを大切にしているからです。
もう会えない人への深い愛情を歌った『瞳を閉じて』。
その感情に浸ってみませんか。