【晴ときどき曇/スキマスイッチ】歌詞の意味を考察、解釈する。

2011年にスキマスイッチが初めて試みたプロジェクトは、三作連続の配信リリースでした。
このシリーズの最後に公開されたのが「晴ときどき曇」でした。
この曲は最初は爽やかな印象を受けるかもしれませんが、実際には歌詞には怖い要素が含まれているという噂が広まっています。
その真相について詳しく調査してみましょう。

変わりゆく空模様(人生)は今後も変わり続ける

「いい天気だね」
君が言うから「本当だね」と答える
今日の空のこと話題にしたなら心がふっと近くなる
歩道を歩く 所々で水たまりが邪魔する
君と手を繋いで飛び越えてみる 太陽の光が舞う

歌詞の最初は風景の描写が中心です。
道路に散らばる水たまりから、雨が降った後であることが明らかです。
5行目の「舞う」表現は、太陽光が雲間から優雅に現れる様子を鮮やかに表現しています。
また、物語には主人公と「君」の2人の登場人物が存在することも示唆されていますね。


次の季節が香り始める
その変化に抗うように
“暑かった日々を忘れないで”と最後の力
振り絞って照らす

季節の描写が人生にリンクし始めます。
次の季節という表現は、人生の重要な節目や新たな人々との出会い、別れを思い起こさせます。
三・四行目では太陽が過去を象徴し、忘れないでというメッセージを強調しています。


空は見上げるたびそっと 色や模様うつり変わって
それはもう僕らの毎日のようだね
繰り返さないからもっと この日この時この瞬間
思い上がらずに刻みつけていたいよ

空のように、人生もさまざまな表情を見せ、私たちの日々を豊かにしています。
同じ天候が二度と現れることはありません。
人生も同様です。
だからこそ、現在の瞬間を、その瞬間を大切にしなければなりません。
「思い上がらず」という言葉は、特に印象的です。
人生には良いことばかりではなく、明日には曇り空になることもあるかもしれません。
良いことが続くからといって、慎重さを失ってはいけません。
この1フレーズから、そんな心構えが感じられますね。


宇宙まですぐ届く高さで泳いでいる魚たち
そういえば昨日は鈍色の空
どこに潜っていたんだろう?

この部分も風景描写が中心です。
魚が比喩されているのは雲のことでしょう。
昨日の曇り空がどこかへ消えてしまうのは、空が瞬く間に変わることを示しています。
これを人生に適用すると、嫌なことがあっても、すぐに忘れてしまうことがあります。
失敗や後悔の感情も、時間が経つと薄れてしまうのです。
その瞬間に感じた後悔や反省も、積極的に意識しなければ、すぐには忘れてしまうのです。


激しい雨にも耐えぬいた木の葉
へっちゃらな顔で伝えている
やりきれないと逃げ出すことで救われるくらいなら
そんな未来は必要(いら)ない

1行目では逆境を克服した人々を比喩しています。
困難を乗り越えた人ほど、何事もなかったかのように振る舞うことがあります。
何かを達成できないと諦めることもあるかもしれませんが、それによって何の後悔や代償もなく済むなら、その人生は充実していないかもしれません。
このような人生には今後必要がないと、スキマスイッチの二人のストイックな人生観が伝わりますね。

今日も誰かが空の下 泣いて笑って悔しがって
恋したり落ち込んだりして暮らしている
満たされない何かがあって
得られる喜びがあると思う
少なくとも、今の僕はそうだよ

同じ空の下で、人々はさまざまな感情を抱えています。
私たちは感情のるつぼの中で生きています。
歌詞の三・四行目から、何かを得るためには何かを犠牲にしなければならないというメッセージが伝わります。
自分の欲望や他の人々の幸せをすべて実現することは不可能です。
しかし、何かを手に入れるためには、何かを捨てることや選択をすることが必要です。
この歌詞は、理想論だけでは物事は進まないことを深く考えさせるものですね。


君が僕の方を振り返って
その思草(しぐさ)がたまらなくて
幸せはいつもそうやって傍にいる
移り変わっていく空の下 僕らいつまでもこの瞬間
抱きしめながら ふたり歩いていこう

この物語の主人公は、そのような選択を経て手に入れたものが「君」との幸せな時間であったでしょう。
変わりゆく空模様(人生)は今後も変わり続けます。
今目にする風景や感情を胸に抱きながら、これからもふたりで共に歩んでいくでしょう。
物語はここで終わります。

幸せの複雑な本質を描いた歌詞

「怖い」と噂されているのは、歌詞が幸せについて単純ではないことを表現しているからかもしれません。
今日が幸せであっても、明日は分からないし、自分が幸せを手に入れるためには他の誰かが不幸になることもあるでしょう。
幸せは単なる喜びだけではなく、さまざまな感情が絡み合ってできるものです。
この幸せの複雑な本質を描いた歌詞は、確かに一部の人には「怖い」と感じられることでしょう。
バンドのメンバー、常田真太郎も、「怖い」という反応について、「そういう声があってうれしい」と述べています。
この「怖さ」は、意図的に取り入れられた要素であることが分かります。