【チキンライス/浜田雅功と槇原敬之】歌詞の意味を考察、解釈する。

2004年11月にリリースされた曲『チキンライス』は、作詞をダウンタウンの松本人志さんが手がけ、作曲は槇原敬之さん、歌は相方の浜田雅功さんが担当しました。

この曲はオリコンチャートで週間2位を記録するなど、多くの人々の心を捉えました。

クリスマスソングが恋愛をテーマにしたものが主流だった中、松本さんの幼少期の貧困を描いた歌詞は、新鮮な印象を与えました。

彼の貧しい幼少期を象徴するクリスマスの思い出は、以前『探偵!ナイトスクープ』内で語られました。

クリスマスといえばチキンが思い浮かびますが、松本さんの家庭では、贅沢な七面鳥ではなく、せいぜい手羽が食卓に並ぶ程度でした。

貧乏やったんで、手羽を食べていた。食べ終わった後にアルミホイルの部分あるやろ? あれを(足の)親指入れてず~と見ていた

カンニング・竹山からの質問「なんでですか?」に対し、

自分が手羽になってるみたいな。まだ(クリスマスが)終わりたくないみたいな

子ども時代の心境を語る際、「この話をすると、聞く人の反応が笑いと涙で半々に分かれるんですよ」と述べ、相手も戸惑った様子を見せることからも、彼の貧乏な状況が伝わってきます。


『チキンライス』の歌詞は、親孝行の思いから始まります。物語はクリスマスが近づいた頃に展開します。

親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない

その後、貧しい少年時代の回想シーンが描かれます。

子供の頃たまに家族で外食
いつも頼んでいたのはチキンライス
豪華なもの頼めば二度とつれてきては
もらえないような気がして
親に気を使っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?

私の話になりますが、子どもの頃、自分の家が貧乏だと思い込んでいました。

両親がいろんなものについて、買う・買わないかで揉める姿を目にしたことが始まりで、家計の状況を気にするようになりました。

そういうわけで、買い物に行っても無意識に安いものを選び、お小遣いも最低限しかもらえませんでした。

そのため、松本さんの歌詞に共感する部分が多いです。

高いものを買えば家計が苦しくなり、外食に行けないどころか日常生活も危うくなるかもしれないという不安が頭の中をよぎります。

なんとも健気な少年時代でした。

そうした貧乏だった頃の思い出から、現在のクリスマスに戻り、サビを迎えます。

今日はクリスマス
街はにぎやか お祭り騒ぎ
七面鳥はやっぱり照れる
俺はまだまだチキンライスでいいや

お笑い芸人として大成功を収めた松本さん。

しかし、「三つ子の魂百まで」という諺の通り、貧乏だった頃の感覚は完全に抜けきることはありませんでした。

クリスマスといえば手羽鳥ではなく七面鳥を食べるようになり、何でも自由に手に入れられるようになりました。

しかし、貧乏性なのか、七面鳥を注文することには抵抗があります。

自分が以前から憧れていたものや人物を目の前にすると、このような感情になるのです。

歌詞には書かれていませんが、松本さんの心の奥底には「お金を大切にしないとバチが当たる」という当時の思いが根付いており、それがこうした感情を引き起こしたのかもしれません。


そして、2番では『貧乏』の概念について掘り下げられます。

貧乏って何?って考える
へこんだとこへこんだ分だけ笑いで
満たすしかなかったあのころ

松本さんにとって、貧乏とは常に何かが不足しており、不均衡な生活を象徴していました。

しかし、そうした状況でも、笑いで穴を埋めていたのです。

昔話を語り出すと決まって
貧乏自慢ですかと言う顔するやつ
でもあれだけ貧乏だったんだ
せめて自慢ぐらいさせてくれ!

芸人としては、エピソードトークが欠かせません。

松本さんにとって、貧乏はある種の”ウマい”ネタになったでしょう。

ただ、過去の困難をあまりにも強調すると、逆に反感を買うこともあります。

自身が過去に貧乏だったことを持ち出す際、「少なくともこれくらいの自慢は許してもらえるだろう」と考えるかもしれませんが、彼のような注目を集める人物にとっては、制約も多いのです。

彼は幼少期、貧乏で自転車を手に入れられませんでした。

しかし、「自分は自転車を持っている」と思い込み、想像上の自転車で街を駆け回ったというエピソードがあります。

これは非常に奇抜な貧乏エピソードのように思えますが、どんなに悲惨な状況でも笑いでカバーしていました。

そして最後には、ある”オチ”が待っています。

「その想像の自転車、盗まれちゃったんや」

彼には、貧乏ネタに飽きさせない、お笑い芸人としての誇りがありました。

最後は笑いに変えるから
今の子供に嫌がられるかな?

彼がお笑い界の頂点に立った今だからこそ、”最後は笑いに変える”という言葉には、頼もしさと同時に、どこか切なさを感じます。

これは彼ならではの、力強くも繊細な歌詞だと思います。


そして、今の松本さんは冬の寒さの中、裕福になった自分の状況について考えます。

彼が貧乏から抜け出し、成功を収めたことを象徴する歌詞が並びます。

今ならなんだって注文できる
親の顔色を気にしてチキンライス
頼む事なんて今はしなくても良い
好きなものなんでもたのめるさ

トップスターに上り詰め、過去の貧乏な生活を乗り越えたはずだった。

しかし、彼の心には、貧乏だった頃の記憶が蘇ります。

特に、両親に連れられてきたお店での出来事が、彼の脳裏をよぎります。

酸っぱい湯気がたちこめる向こう
見えた笑顔が今も忘れられない

少年時代、親に気を遣っていつも頼んでいたチキンライス。

出来立てのチキンライスからは、ケチャップの香りが立ち込め、その向こうに笑顔の両親が見えます。

両親は、「人志はチキンライスが好きだね」と笑いかけていたのかもしれません。

それは、彼がいつも気を遣ってチキンライスを頼んでいたこととは対照的なものでした。

しかし、彼にとって、その”無邪気な笑顔”は、かけがえのないものでした。

そして、物語はクリスマスパーティーのシーンへと移ります。

過去の貧乏な経験を忘れるかのように、クリスマスを彩る華やかな言葉が何度も登場します。

今日はクリスマス
街はにぎやか お祭り騒ぎ
でかいケーキもってこい
でもまぁ 全部食べきれるサイズのな

赤坂プリンス押さえとけ
スイートとまでは言わないが

七面鳥もってこい これが七面鳥か
思ってたよりでかいな

思いっきり派手に演出しようと思っていた。

クリスマスだからこそ、貧乏な過去を忘れようと心に決めていた。

しかし、彼はこの瞬間に、いくら贅沢をしても貧乏性が抜けきらないことを痛感する。

ケーキは余るともったいない。

だから、食べ切れるサイズで注文した。

会場は一流のホテルだが、高価な部屋でなくても構わない。

チキンはもちろん七面鳥。

ただし、こんなに大きいのは食べきれるか不安だ。

この時、彼は心の中で「やっぱり貧乏だ!」と自嘲する。

同時に、少年時代のチキンライスの記憶が鮮明に蘇る。

家族で外食する際、親に気を遣っていつもチキンライスを選んでいた。

いや、選ばされていたと言ってもいいだろう。

二度と連れてこられないかもしれないと感じたからだ。

そして、成人し、経済的に余裕ができた今でも、どれだけ豊かになっても、貧乏だった過去から抜け出せないことに気づく。

しかし、それは決して不幸ではない。

彼が大切にしているのは、『貧乏ながらも家族と過ごした思い出』だ。

もはや強制ではなく、自らが選び取っているのだ。

だからこそ、最後はこのような言葉で締めくくります。

やっぱり俺はチキンライスがいいや


歌詞には描かれていないが、このクリスマスパーティーは、松本さんが両親に感謝を示すために開催されたのではないかと考えられます。

チキンライスの湯気の向こうには、少年時代から歳を重ねた両親の笑顔が見えるでしょう。

もしかしたら、チキンライスを選んだ理由は、両親が「人志はチキンライスが好きだ」と信じていることを裏切りたくないという思いがあったのかもしれません。

さまざまな想いが込められた一文には、想像以上の深い意味があると『チキンライス』を聴くたびに感じます。

ボーカルを務める相方の浜田さんの、温かく親しみのある声と相まって、胸がキュッと締め付けられる思いがします。

温かくも切ない気持ちになります。

松本さんは嘘つきだ。

“最後は笑いに変える”と言っていたじゃないか。


私は、お笑い芸人の中で松本人志さんが一番好きです。

長年にわたってお笑い界をけん引し続けるそのセンスやカリスマ性はもちろんのこと、彼が人間味あふれる情景を捉え、言葉にできる力が魅力的です。

そして、「チキンライス」は、これまで聴いてきた曲の中でも特に気に入っています。

その理由の一つは、テレビで見てきた松本さんと、曲中の松本さんのギャップが大きいからです。

普段は人々を笑わせるためにボケの役回りを演じながら、今の姿からは想像できないほど貧乏な過去を背負っている事実を知ったからこそ、心に深く響きます。

これは、笑いが起こるメカニズムである「緊張と緩和」に近いのではないかと考えることもありますが、考えすぎでしょうか。