1. 「永遠のあくる日」は「ギラギラ」への“ホワイトデーのお返し”ラブソング
Adoの「永遠のあくる日」は、以前発表された「ギラギラ」と対をなす楽曲として注目されています。「ギラギラ」がバレンタインの楽曲と位置づけられていたことに対し、「永遠のあくる日」はホワイトデーにリリースされ、同じ世界観の中で“彼側”からの返答を描いていると多くのファンが指摘しています。
「ギラギラ」では自己肯定感の低い少女が強く生きようとする姿が描かれますが、「永遠のあくる日」ではその少女を見つめる相手が、自身の想いをまっすぐに伝えようとしています。恋愛感情の受け止め方や、心の中で葛藤しながらも「愛してる」と言葉にする様子が、前作との対比により一層引き立っています。
こうした構成から、「永遠のあくる日」はただのラブソングにとどまらず、「ギラギラ」で描かれた不安や自虐を優しく包み込む、“物語の後編”としての位置づけがあるのです。
2. 「あくるちゃん」「ギラギラちゃん」MVキャラクターと物語のつながり
Adoの楽曲には、しばしばキャラクター性が与えられたビジュアルが用意され、視覚的にもストーリーを感じさせる作りがされています。「永遠のあくる日」では「あくるちゃん」、「ギラギラ」では「ギラギラちゃん」と名付けられた2人の少女が登場します。
MVに登場するこの2人のキャラクターは、一見すると別人のように描かれていますが、実は「同一人物の心の変化」「パラレルな存在」などの解釈がされています。「ギラギラちゃん」が世の中に押し潰されそうになりながらも、強がる少女であるのに対し、「あくるちゃん」は光を受け止めた後の“夜明け”のような存在です。
2つのMVは対照的でありながら連続性を感じさせる演出が随所に散りばめられており、視覚表現を通して1つの愛の物語が紡がれているのです。
3. 歌詞に込められた“雨→虹”や“一秒の停止”といった象徴的なモチーフの解釈
「永遠のあくる日」の歌詞には、数多くの比喩や象徴が織り込まれています。特に「雨は虹の予告編」といったフレーズは、ネガティブな出来事が希望の前触れであることを示し、リスナーに優しく前向きなメッセージを送っています。
また、「時間が止まったような一秒」などの表現には、恋人と過ごす瞬間が永遠に感じられるという、切なさと喜びが共存する感情が込められています。まるで映画のエンディングのように、現実と幻想の境目が溶け合うような言葉選びがされているのも特徴です。
このように、歌詞は一見シンプルなラブソングのようでいて、実は時間や季節、天気などの要素を通じて、非常に深い内面の変化を描いています。
4. リフレインされる「あいしてる」はなぜ25回?/言葉の陳腐さと真実
「永遠のあくる日」で印象的なのが、「あいしてる」という言葉が25回も繰り返される点です。多くのファンや考察者が、この繰り返しに着目し、それが単なる強調ではなく、“どれほど愛しているか”の証明でもあり、“言葉にしないと伝わらない不安”の裏返しでもあると解釈しています。
現代において「愛してる」という言葉は時に軽く扱われがちですが、この楽曲ではあえて何度も繰り返すことで、その「陳腐さ」を逆手に取り、言葉の重みと真実味を浮き彫りにしています。
また、「愛してる」と語るたびに徐々に感情が高まり、聞く側にも強い印象を残します。この繰り返しの演出こそが、Adoの表現力の真骨頂とも言えるでしょう。
5. 歌詞とMVから読み解く“別れと再生”──永遠の夜明けと続く物語
「永遠のあくる日」というタイトル自体に、“別れの先に訪れる新しい日常”という意味が込められているように感じられます。歌詞の中でも「なぜ君がいないのか」といった寂しさ、「でも信じている」といった再生への希望が交錯して描かれています。
MVでは、あくるちゃんがかつての自分=ギラギラちゃんに寄り添うような構図もあり、「君」が実は自分自身だったのではないか、という自己肯定と再生のストーリーとも取れます。
Adoの楽曲は常に“物語性”を重視しており、今作も例外ではありません。時間が進み、夜が明け、また新たな日が来る。その繰り返しの中に、確かな感情の積み重ねが描かれています。
🔑 まとめ
「永遠のあくる日」は、ただのラブソングではなく、「ギラギラ」と対になる2つの視点による感情のやり取り、象徴的なモチーフ、繰り返される言葉の力など、Adoならではの詩的表現に満ちた楽曲です。歌詞やMVの細部にまで心を寄せることで、1つの“物語”として深く味わうことができます。