「そういう好き/wacci」歌詞の意味を徹底考察|痛みを伴う“好き”のリアルとは?

“そういう好き”ってどんな“好き”?歌詞に潜む“胸の痛み”を解読

wacciの「そういう好き」は、一般的な“好き”とは一線を画す感情を描いています。タイトルにもある“そういう”という限定詞が示すのは、ただの恋愛感情ではなく、“痛み”を伴う愛です。サビの「胸が痛くなるような“好き”」というフレーズが象徴するように、それは幸福と切なさが同居する複雑な感情。相手を想うがゆえに苦しくなる、自分の気持ちが通じない寂しさやもどかしさが内包されています。

この“好き”は、片思いのような一方的な感情だけでなく、関係のすれ違いや心の距離感が浮き彫りになる“愛の継続の難しさ”をも表しています。感情の深さや重さが増すほど、“好き”が“痛み”に変わっていく。そのリアリティが、この楽曲の最大の魅力です。


恋のズレ/すれ違いを描くMVと歌詞——映像が補完する楽曲の世界観

MVでは女優・松井愛莉が出演し、パートナーとのすれ違いを繊細に演じています。映像の中で描かれるのは、物理的には一緒にいても、心が離れていく様子。例えば、ベッドに背を向けて眠るシーンや、朝食の準備をしても会話がない場面などが挿入され、日常の静かな空気感の中に潜む“違和感”をリアルに表現しています。

楽曲だけでは描ききれない「距離の見え方」や「視線のすれ違い」を、映像が明確に補完しており、視覚と聴覚の両方から“心のすき間”を感じ取れる構成となっています。MVと一緒に楽しむことで、より深い感情の流れを読み取れる仕掛けです。


歌詞は男女どちらの目線?女性視点で描かれる“後悔と決別”の物語

この楽曲が“女性目線”で描かれているという考察は、歌詞の言葉遣いや細やかな情景描写からもうかがえます。「あなたの背中」「同じベッドで寝てるのに」「私ばっかり気にしてる」など、相手に甘えるのではなく、客観的に状況を分析し、関係性に疑問を抱く立場は、女性的な感性を感じさせます。

また、感情を吐露しつつも決して感傷的になりすぎない文体も、内省的で理性的な女性像を想起させます。恋人との関係に限界を感じつつも、それを責めることなく、静かに結末を受け入れようとするその姿勢に、多くの女性リスナーが共感しているのではないでしょうか。


日常のリアルを切り取る歌詞表現——無印ベッドで背中が痛む訳

「195×50センチの無印のベッド」「背中が痛い」といった、あまりに具体的な描写は、wacciらしい“リアルな日常”を切り取るセンスが光ります。このようなディテールは単なる背景描写ではなく、感情を象徴する装置として機能しています。

狭いベッドで背を向けて寝るふたり。その物理的な“せまさ”が、心の距離や閉塞感を象徴しているように感じられます。相手と同じ空間にいながら、心のすき間がどんどん広がっていく。日常の中にあるささやかな違和感が、別れの予感へと繋がる布石となっているのです。


“サヨナラ”の重み——「決着をつける歌」その強さと切なさ

サビ終盤の「だからお願い、今はサヨナラと言わせて」が持つ感情の強度は圧巻です。この「お願い」という言葉は、相手にすがっているようにも見えますが、同時に“自分自身を解放したい”という意志の表れでもあります。

このフレーズは、感情の整理がつかないまま関係に終止符を打つという、非常に人間らしい弱さと強さが混在しています。「終わらせるのは私だけど、それでも悲しい」という矛盾を抱えた言葉は、楽曲全体を締めくくる象徴的なメッセージとなっています。

別れを“決断”として語るこの楽曲は、傷つくことを恐れずに前を向こうとする人へのエールでもあるのです。


🔑まとめ

wacci「そういう好き」は、単なる恋愛ソングではなく、“心のすき間”や“愛の限界”といった現代的な恋のかたちを、日常のディテールや映像表現を通じて描き出す作品です。女性視点の切なさ、リアルな描写、感情の決着——これらすべてが共感を呼び、多くのリスナーの心を打つ理由となっています。