【桜/川本真琴】歌詞の意味を考察、解釈する。

今回は川本真琴の楽曲『桜』について話してみたいと思います。
私がこのブログを始める前からずっと気になっていた曲です。
やっと自分の言葉で感想をまとめることができたので、今回取り上げてみたいと考えています。

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

こんなキャッチーなサビの歌詞が本当に印象深いですね。
何を言っているのかよく理解できないけれど、不思議な魅力があります!
この爽快な気分を持って、今日は川本真琴の楽曲『桜』について考察してみたいと思います。


しかしながら、歌詞の全体像はどれだけ読んでも一つの明確なイメージに結びつかないままです。
そんな状況に困った私は、これまでに聴いてきた桜ソングに思いを馳せてみることにしました。
私は桜に関する曲が大好きです。
中には「桜というキーワードを入れれば売れるとでも思っているのか!」と批判的な声もあるかもしれませんが、私は好きです。
その切なさに惹かれるんですよね。
これまでにWhiteberryの『桜並木道』、コブクロの『桜』、森山直太朗の『さくら(独唱)』、AKB48の『GIVE ME FIVE!』など、数々の桜ソングに触れてきましたが、私が特に感銘を受けたのはAKB48の『10年桜』でした。
この曲を参考にすると、桜と別れの情景が少しずつ見えてくるような気がしました。
『10年桜』では、桜の花びらが風に舞う光景が、人々の新たな一歩や卒業といった出発と重ね合わされています。
その表現が、川本真琴の『桜』と共通しているように感じました。

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

桜の花びらが風に揺れて、枝から離れて飛び立っていく光景。
この歌詞ではそれを「ひとりぼっちになる」と歌い表しています。
花びらが枝を離れて旅立つさまを、自分自身の姿と掛け合わせ、別れや離れ離れに直面する自身を振りかえっているのかもしれません。

くしゃくしゃになってた 捨てるつもりの卒業証書を
ねぇ かえっこしよ

最初の2行を引用いたします。
物語の中で、主人公は卒業生として描かれています。
しかしながら、普通は卒業証書を無造作に取り扱うことはありません。
しわくちゃにもしません。
公式的には重要なものであるべき卒業証書が、主人公にとってはあまり重要ではないようです。
主人公にとって真に大切なのは、お決まりの卒業ではなく、自分自身で選び抜く別れの瞬間だと私は解釈します。
これ以降、このような前提で物語を読み進めてみたいと思います。

今誰か使ってるの 窓際ならんだ席 こっから見えるかな
「絶交だ」って彫った横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

以下、Bメロの一部を引用させていただきます。

1回目の「机に『絶交だ』って彫る」場面は、おそらくケンカなどの理由から生じたものでしょう。
一緒にいることが耐えられなくなり、口を聞きたくないし、顔を見たくないという強い感情が、机に向かって発散されているのだと考えます。
しかし、時間が経過すれば、それも過去の思い出として振り返り、「今誰か使ってるの 窓際ならんだ席 こっから見えるかな」と軽快なノリで思い起こすことができるのでしょう。

一方で、「今度こそ絶交だ」というフレーズはもっと重い意味を持っています。
この表現が刻まれたのは、卒業式当日の瞬間だと私は解釈します。
「今度こそ絶交だ」と机に刻むことで、他の誰にも見せずに、そして時間を超えて、その感情を外に表そうとしているのかもしれません。
しかし、実際にはその感情はもはや遠い過去の出来事であり、現在はふたりの関係は修復されています。
したがって、この刻まれた言葉の背後には、過去のネガティブな感情はなく、自分自身への決意が込められていると感じます。

主人公は別れる決断をしなければならないと自覚しています。
そのために、自分に向けてメッセージを刻むことで、前進し、別れに向かって進む覚悟を固めているのかもしれません。

桜になりたい いっぱい 風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない

サビの部分をもう一度引用したいと思います。
徐々に理解が深まると、このサビの情熱が感じられますね。
桜が枝から離れるように、私も別れを受け入れる覚悟が必要です。
「深呼吸の途中」で、主人公はおそらく別れの言葉を口にしようとしているのでしょう。
何かを伝えるには、まず深呼吸しなければなりません。
勇気を出して深く息を吸い込み、想いを言葉にしようとするたびに、その意志は挫けてしまうこともあるでしょう。
緊張からくる速口で、「できない」という言葉ばかりがついて回るのかもしれません。

神様は創りかけて やめてしまった
こんな気持ちわかんない ぜんぜん
あたしとあたしの手があなたにふれた時
できない できない できない

次に、サビの後半を取り上げましょう。
「神様は創りかけて やめてしまった/こんな気持ち」という部分の意味も理解できるようになりました。
おそらく、別れたくはないけれど、それでも別れなければならない、そんな複雑な感情を表現しているのでしょう。
この曲は、途中でさまざまな表現を使い分けながら、徐々にそのテーマを深く描いていると感じます。
そして、特に注目すべきはここです。
2番のサビの後半部分です。

発車のベルが鳴っても 言い出せなかった
今年で一番やさしい風が
あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる
できない できない できない

「発車のベル」はおそらく、別れの瞬間の制約を意味しているのでしょう。
このモチーフは、スキマスイッチの『奏』にも登場します。
その場面で吹いた風は「今年で一番やさしい風」でした。
「今年で一番やさしい風!」
考えてみれば、桜にとって風は別れを後押しする存在でした。
主人公にとっても、「風」は別れの言葉を告げるきっかけになるかもしれません。
しかしその風が、「あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる」のです。
今年で最も穏やかな風と、タイミングが合わない瞬間なのです。


ところで、この曲の「あたしたち」とは誰を指しているのでしょうか?
主人公とその彼氏だろうかと考える人もいるかもしれませんが、私はやや異なる見方をします。
この曲には、2つの「あたし」が存在していると思うのです。
一方は、別れを受け入れる覚悟の「あたし」であり、もう一方は別れたくない気持ちの「あたし」なのです。

「絶交だ」って彫った横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

1番のBメロを引用しました。
この部分は、さきほどは軽く触れましたが、言い回しが少し不審に思えます。
具体的に言うと、「『今度こそ絶交だ』って彫った」がこの複文の主節となります。
「今度こそ絶交だ」を刻んだ時点で、「絶交だ」という文言は既に刻まれているわけですから、引用した部分の文は本来であれば、

「絶交だ」って彫ってあった横に 「今度こそ絶交だ」って彫った

の方が自然な気がします。
しかし、この歌詞はそのような形ではありません。
私はこれを見て、少し奇妙な印象を受けました。
なぜなら、まるで「絶交だ」と「今度こそ絶交だ」の両方が同じタイミングで、しかも自分自身によって書かれたように感じたからです。
しかし、もし実際に両方の言葉が同じ瞬間に、そして同じ人物によって書かれたものなら、この表現はまったく不自然ではありません。
もしそうであるならば、この歌詞は美しく調和しており、一方は別れたくない「あたし」を表し、もう一方は別れを受け入れなければならないことを理解している「あたし」を表しているのかもしれません。
そして、この曲では「あたし」が二つに分かれ、それぞれが相反する気持ちを持ち合わせており、一人称の立場をめまぐるしく交換しながら描かれているのです。

知らない人が声かけてくるの知ってたけど あの夕焼けで
友達にまざっていた ただそれだけで
あったかくなれたの

2番のAメロについてですね。
ここで急に「知らない人」という表現が現れ、突然の登場に少し戸惑ったような気がしました。
しかし、さきほどの考え方を当てはめれば、この部分も自然に解釈できます。
この部分では、別れたくない「あたし」が主人公となります。
おそらく友達と過ごす中で、一時的な青春を楽しんでいる様子を描いているのでしょう(なんだか不思議ですね)。
そして「知らない人」という表現が登場しますが、これはもうひとりの主人公、つまり別れを理解している「あたし」を指しているのかもしれません。
つまり、別れを受け入れる覚悟を持つ自分が、友達の前で突然表れた際に、「し、知らない人だよ…」とあたかも知らない人物のふりをしているように見せているのかもしれません。
もしもふたりの「あたし」が同時に存在するのであれば、この歌詞の中での「あたし」の使われ方が面白いと思います。
ほとんどの場面で、一人称は単独では登場せず、「あたし」は常に他の要素と結びついているように感じます。

あたしたちがそっと息している

あたしとあたしの手があなたにふれた時

あたしたちがずっと追いかけてた

あたしたち新しくなれるの?

といった具体的な形で表現されています。
これらは全て、ふたりの「あたし」を指していると捉えると、非常に素晴らしい調和が生まれることでしょう。
離れているような気持ちであっても、実際には別々の存在として分かれているわけではないのです。
まるで、ピントがずれて物事を見たときに、ひとつのものが複数に見えてしまうのと同じように、外見は複数でも本質はただひとつです。

そして、この曲において、ふたりの「あたし」が一つに融合する瞬間が唯一存在します。
それは、

今年で一番やさしい風が
あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる

さきほどの部分で、この瞬間だけ「あたし」が単独で登場します。
ここで、ふたりの「あたし」が一つに融合していることが明確に感じられます。
この場面はまさにチャンスですね。

しかしながら、ここでこうした感情を整理し、深呼吸をして、あとは別れの言葉を口にするだけでよいはずなのに、「今年で一番」の風とタイミングがわずか一瞬ずれてしまいます。
そのため、お別れの言葉も結局「できない」ままとなってしまうのです。
この瞬間の切なさは本当にすごいですね。

歌詞全文

くしゃくしゃになってた 捨てるつもりの卒業証書を
ねぇ かえっこしよ
はしゃぐ下級生たちに 押されてほどけてしまう指先

かたっぽの靴が コツンてぶつかる距離が好き
ねぇ キスしよっか
春の風うらんだりしない桜が 髪にほら こぼれた

今誰か使ってるの 窓際ならんだ席 こっから見えるかな
「絶交だ」って彫った横に「今度こそ絶交だ」って彫った
誰も気づかない机の上 あたしたちがそっと息している

桜になりたい いっぱい
風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない
神様は創りかけて やめてしまった
こんな気持ちわかんない ぜんぜん
あたしとあたしの手があなたにふれた時
できない できない できない

知らない人が声かけてくるの知ってたけど あの夕焼けで
友達にまざっていた ただそれだけで あったかくなれたの

だって泣いちゃうと やっぱブスな顔見られちゃうからさ Woo
春の風うらんだりしない 一緒に改札まで歩こうよ

「どっかいこっか」「こっちから一番遠いところ」
授業抜け出した
もっとスピードをあげて きっつく抱きしめるから
誰も選ばない風に吹かれて
あたしたちがずっと追いかけてた

桜になりたい いっぱい
風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習しているの
深呼吸の途中 できない できない できない できない
発車のベルが鳴っても 言い出せなかった
今年で一番やさしい風が
あたしの迷ってる一秒前 通りすぎる
できない できない できない

「どこかにいこっか」「こっから一番遠いところ」
授業抜け出した
「いい思い出化」できない傷を 信じていたい
真っ白に敷き詰められていく
あたしたち新しくなれるの?

桜になりたい いっぱい
風の中で いっぱい
ひとりぼっちになる練習してるの
深呼吸の途中 できない できない できない
神様は創りかけて やめてしまった
こんな気持ちわかんない ぜんぜん
あたしとあたしの手があなたにふれた時
できない できない できない