【わがまま/KALMA】歌詞の意味を考察、解釈する。

3人組バンドKALMAの注目曲「わがまま」。
その歌詞は率直でありながら、その裏に隠された真意が読み取れると話題です。
日常のだらだらした時間が過ぎる中で、何故か空腹を感じる心情に対してストレートに歌い上げており、その率直さが聴く者を魅了しています。
ここでは、その歌詞の深層にある魅力を解説します。

わがままだけどさみしがり屋

わがままなボクを愛してね
朝は起こしてね
電話したらすぐに出てね

KALMAの「わがまま」は、非常にシンプルな楽曲として知られています。

彼らのライブでは、曲の合間にも頻繁に演奏され、手軽な楽曲として親しまれています。

歌詞も非常にシンプルで、全体的には「僕のこういう一面があるんだよね」という感じで書かれています。

ただ、それだけが全てではありません。

歌詞の裏側には、深い感情が込められていることが、一つ一つ読み解くことで分かってきます。

冒頭からご紹介します。

この楽曲は、僕のわがままな部分から始まっているけれど、実はそれは愛してほしいという願いが込められています。

ただ、自分のわがままを公言しているだけではないのです。

実は、僕自身ができないから、君に頼んでいるんです。

まるで、開き直っているように見えるかもしれませんが、それは愛情からくるものなんです。

朝は弱いので、自分では起きられないんです。
だから、君に起こしてほしいという気持ちが込められています。

そして、電話をかけたら、どんな状況でも必ず出るようにという願いが込められているんです。

他人の自由を度外視しているようにも見える「わがまま」な性格が描かれているのですが、実はそれは自分の愛情の表れでもあるのです。

こうして、シンプルな歌詞の奥に隠された深い感情を探ってみると、より楽曲の魅力が引き立ってきます。


気紛れなボクの
そばにいて

「わがまま」の楽曲のリリックは、冒頭から自分のわがままさを公表しながらも、同時にその本当の姿を表現しています。

一般的に「ボクはわがまま」と言えば、自己中心的で傲慢なイメージを抱かれることがあります。

わがままな振る舞いを理由に、自己中心的な行動をすることが許容されると思われるかもしれません。

しかし、この歌詞はそれだけではないのです。

「そばにいて」と寂しがり屋な一面も垣間見せています。

強さと弱さの両側面が描かれており、自分自身を包み込むような表現となっています。

勝手な振る舞いをする一方で、自分が寂しがり屋であることを認識している。

気まぐれな自分でも、嫌がらずに傍にいてくれることを望んでいる。

自分のわがままで甘えん坊な性格は、他人から見れば面倒かもしれないことを自覚しているようです。

それでも、心の中には君と共にいたいという気持ちがあります。

心を許せる相手は君だけで、だからこそ独りぼっちにしないで欲しいという心情を表現しているのです。

以上のように、歌詞の深い感情と複雑な心情が織り交ぜられており、それが「わがまま」の魅力を形作っています。

感謝はしている

いつか有名になって
お金が増えたら

お金が増えたら何をしたいでしょう。

このような質問は誰もが一度は考えることでしょう。

そして、そうした時には大抵お金が限られている状況かもしれません。

お金がある時は、何をするか考える必要がないかもしれませんが、お金が足りない時には、何故か時間が余ることがあります。

時間が余ると、些細なことに思考が向いてしまうこともあります。

その時によく考えるのが、「お金が増えたら」というシチュエーションかもしれません。

そして、そのお金が増える理由にもフォーカスが当たります。

「宝くじが当たったら」「有名になったら」などと考えることもよくあります。

ただ、こうした考えは夢の中の話かもしれません。

先行する「何で」という言葉がないため、具体的な目標が明確ではないのです。

もちろん、KALMAのアーティストとしての等身大で考えるなら、有名になることも夢ではないかもしれません。

しかし、その点は明確ではありません。

つまり、具体的な目標がない、夢物語のようなイメージなのです。

なんとなく、有名になればお金が増えると考えるものの、現実的にはそう簡単にはいかないこともあります。


君のわがままに
なんでも付き合うよ
毎日焼肉食べに行こうよ!

夢は続きます。

「なんでも付き合うよ」というフレーズは、軽々しく受け取らない方が良いです。

この表現は、何かしてもらったときに感謝の気持ちを示す言葉として使われることがあります。

しかし、実際に本当に「なんでも付き合う」ことができるかどうかは別の話です。

現実には、「なんでも付き合う」というケースは稀であり、実際の状況によっては難しいこともあります。

この表現は、「ありがとう」と似た感情で用いられているのです。

例えば、お金が増えたら、毎日焼肉を食べに行こうという表現も同様です。

焼肉は多くの人に愛される料理であり、特に男性にとっては好物の一つかもしれません。

歌詞の中で、「ボクは焼肉が大好きで、お金が増えたら君と一緒に毎日焼肉を楽しみたい」という思いが表現されています。

それは、君が毎日ボクのわがままに付き合ってくれていることへの感謝と、お金が増えたら共に好きな食べ物を楽しむ願望が込められています。

このリリックには、感謝の気持ちと共に、わがままな願いが融合しているのです。

頭ではわかっている

あぁ だらだら過ぎていく

「だらだら」の前にある「あぁ」。

これは感嘆詞として使われる表現であり、心の様子を表現しています。

特に「あぁ」という感嘆詞は、発した側の感動や感情を描く際によく用いられます。

感動とは限らず、良い感情だけでない場合もあります。

この歌詞では、「あぁ、何にもしていないのに」という表現が使われています。

この感情は、失望に近いものかもしれません。

何も行動していない、成長していない、変わっていない。

それなのに、時間だけがだらだらと過ぎていく。

「だらだら」という表現は、何もしていない状態を強調しています。

ボクは何も成し遂げていないのだという感情が込められています。


先述したリリックにもある通り、ボクはお金が増えることを夢見ています。

しかし、その夢に向けて具体的な行動はとっていません。

むしろ「だらだら」とした過ごし方をしています。

その理由は、何か問題があって「だらだら」としているわけではなく、また意図的に「だらだら」としているわけでもありません。

単純に何も特別なことがなくて、自然と「だらだら」と過ごしているのです。

わがままなボクは、他人に色々と世話を焼いてもらっています。

1人だと何もできないくらい頼りっぱなしです。

でも、何となく「お金が増えたら」という夢を抱いています。

ただ、その夢に向けて具体的な行動を起こすことはしていないのです。

このようなボクのありさまが表現されているのです。

何かしないとなぁ

あぁ ただただ腹が減る

「ただただ」という表現は、ひたすらという意味合いで使われます。

この文脈では、何もしていないのにいつも腹が減るということを指しているでしょう。

ただただ、何もせずに時間だけが経過しています。

何も行動していないだけでなく、何も思いつかない。

無為な状態が続いていることを表現しています。

そして腹が減るというのは、何かしら結果が明確な行動をした後に生じるものです。

ただただ何にもしていない。

それなのに、何もしていないのに腹が減るのです。

何も行動していないのに、お腹が空くという状況が表現されています。


人はなぜお腹が減るのか、何もしていないのに時間が経つとお腹が空いてきます。

この歌詞では、単にお腹が減っている状態を表しているだけではないかもしれません。

お腹という表現は、ボクの心を指しているのかもしれません。

つまり、お腹が減っているのは体だけでなく、心も減っているということを意味します。

歌詞の中で有名になったら、いつもわがままな君の言うことを何でも聞くと言っています。

お金が増えたら、毎日焼肉を食べに行こうと語っています。

そして、君と離れたくないという願いも表現されています。

ボクは今は何にもなくてだらだらしている状態だけれど、「いつかは」そうなると信じているかもしれません。

でも、自分でも確たる保証も感じられず、不安感も抱えているのです。

日々、君をわがままに振り回している自分に気づいています。

君がいなくなってしまうかもしれない。

その不安感から、心が減って寂しい気持ちを抱えているのかもしれません。

それを「お腹が減る」という形で表現しているのです。

未来に期待しよう(笑)

いつか大人になってお金が増えたら
君のわがままになんでも付き合うよ
毎日ラーメン食べに行こうよ!
行こうよ!

「いつか」大人になってお金が増えたら。

その「いつか」が果たしていつ来るのか、この歌詞では疑問視されています。

「いつか」の到来は遠い未来のことであり、実現しないかもしれない。

しかし、それにも関わらず、このリリックでは「いつか」の未来に対してポジティブな考えを示しています。

「いつか、お金が増えたら、その時には好きなラーメンを毎日食べに行こう」と繰り返し語っています。

この繰り返しは、不安を払拭するように感じられます。

ラーメンを毎日食べたいから、具体的にそのことにこだわっているわけではなく、お金が増えた未来に対する希望と明るい展望が表現されています。

このリリックは、絶対に明るい未来が来ると確信している心境を描写しています。

具体的な裏付けはないかもしれないけれど、そんな心模様が見え隠れしているのです。


そうだ!何か美味いもん
喰いに行こう!

「わがまま」では、ボクは自分のわがままを自覚しています。

しかしそれは、わがままというよりも、自分の弱さや感情を表現すべき部分でもあるでしょう。

朝は弱くて、誰かに起こしてもらいたいという気持ちがあります。

電話に出てくれないと、不安な気持ちが消えないから「すぐに出てほしい」と願っています。

そして、未来が不安だけど、今は特にすべきことが見えない。

だから「だらだら」と過ごして、「ただただ」腹が減るのです。

でも、不安ばかりではダメだということも理解しています。

明るく、今できることをするしかないと。

何か美味しいものを食べて、元気をつけることです。

美味しいものを食べて元気をつけると、見えるものもあるかもしれません。

何かできることもあるかもしれない。

そんな未来に期待したい思いが綴られています。

まとめ

KALMAの楽曲「わがまま」は、夢を抱きながらも上手く実現できない心情を表現しています。

モヤモヤした感情を抱えながらも、明るく今を楽しもうとする意欲が込められています。

楽曲は軽快なメロディラインとKALMAらしい新鮮さが調和し、軽やかな印象を醸し出しています。