【赤橙/ACIDMAN】歌詞の意味を考察、解釈する。

ご存知でしょうか、ACIDMANというバンドを?
ACIDMANはロックバンドで、2022年に結成25周年とメジャーデビュー20周年を迎えました。
彼らは2022年11月に、多くの著名なアーティストが参加した「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI” 2022」というロックフェスティバルも主催しました。

最近、ACIDMANのヴォーカルである大木伸夫さんが作詞作曲し、yamaさんに提供した「世界は美しいはずなんだ」という楽曲をご存知の方も多いかもしれません。

ACIDMANの魅力の一つは、彼らの歌詞の世界観にあります。
例えば、「宇宙」や「世界の終わり」といったスケールの大きなテーマが取り上げられており、その深みに引き込まれることでしょう。
私もデビュー当時からACIDMANの曲に惹きつけられ、ずっと彼らの音楽を聴き続けています。

今回は、ACIDMANの中でも特に私が彼らを知ったきっかけであり、デビュー当時に彼らの知名度を高めた楽曲「赤橙」についてお話ししたいと思います。

抽象的な言葉で表現される世界

今回は、ACIDMANの楽曲「赤橙」の最初のサビの終わりまでの歌詞について考えていきたいと思います。

曲の冒頭では、以下のような歌詞で始まっています。

眠りの浅い朝の回路
埃にまみれてるカイト
フワフワの音が眠ってる

そこはかとなく日々は続き
左利きの犬がまさに
片足ひきづり笑ってる

初めの歌詞が何かの比喩であるのか、自分自身で考えたり、他の人の解釈を探したりしましたが、なかなか納得できるものはありませんでした。
しかし、その過程である記事を目にしました。

ACIDMANのデビューアルバム「創」が2019年にアナログ盤として発売された際のインタビューで、大木さんは以下のように答えています。

当時は抽象的なものを目指してました。
これも本当にひねくれていて、みんなにわかってほしいのに、わかりやすい言葉で共鳴するのは嫌だったんですよ。
なるべく抽象画でありたい。

情景なんですよね。

といったことから、埃をかぶったカイトや足を引きずる左利きの犬などのモチーフは、具体的な意味を指すものではなく、それらの情景を通じて感じられる感情や思いを伝えたかったのだと思います。

個人的には、ぼんやりとしたまどろみの中で流れる時間の中に漂う不穏な雰囲気をイメージしました。

太陽と空の間
静かに開いた世界に
憧れてしまったんだろうか

「太陽と空の間」という表現は、おそらく宇宙空間を指しているのでしょうか?
また、「憧れて『しまった』」という一節からは、到達困難な世界や避けるべき世界に憧れを抱いているのかもしれません。
後者の場合、亡くなった人々が「空に昇る」や「星になる」と表現されるように、死後の世界を指している可能性も感じられます。
この解釈は、後続の歌詞でも似たような要素が現れているように思われます。
そして、「静かに開いた」という表現は、誰かの死に直面したり、死を感じさせるような出来事が身近にあったからかもしれません。

赤い煉瓦をそっと積み上げて
遠き日の魔法をかけてみる
丸い地球の裏側なら これで行ける

そして少年は一握りの
オレンジ色の砂を蒔いた

「赤橙」というタイトルに関連する色が、歌詞の中で多く登場します。
多くの人が夕日を思い浮かべる色として認識しているかもしれません。

また、「丸い地球の裏側」という表現について考えると、夕日との関連性から「夕陽が沈む場所」と解釈することができます。
夕陽が沈むのは西の方角ですが、仏教の観点では極楽は西方に存在するとされています。
このことからも、死後の世界との関連性が連想されます。

「赤い煉瓦をそっと積み上げて」という一節については、一般的には賽の河原の石積みを表しているとされることがありますが、私はこの解釈に納得しつつも違和感を覚えていました。
賽の河原は死後に訪れる場所ですが、この歌詞に登場する「少年」はまだ死を迎えていないと思っていました。
そこで、別の解釈を考えました。
それは、「夕陽が沈む場所」を少年が現在いる場所に作りたいと考えたのかもしれないということです。

「赤い煉瓦を倒れないようにそっと積み上げて」は、本物の夕日ではないにもかかわらず、少年が「遠き日の魔法」という想像力で本物にしたいと思った壁を表しています。
そして、そこに散らばるオレンジ色の砂がキラキラと輝き、夕日のイメージをより強くしています。

黄金色に輝く音を いつか奏でよう

ACIDMANの歌詞には、何度か「金色」という言葉が現れます。
私は大木さんが何かを称えたり、重要な要素を表現する際にこの色を使用しているのではないかと感じています。
今回は「黄金色」という表現がありますが、同様に、「黄金色に輝く音を奏でる」というフレーズは、生命を享受するようなイメージを持っています。
そして、それは「いつか」のことです。
今、死後の世界に旅立ってしまうと、その「いつか」を迎えることはできなくなってしまいます。

解釈まとめ

まとめると、私の解釈では、身近な人の死や何か沈み込むような出来事によって迷いや混乱が生じ、死後の世界を魅惑的な場所として想像してしまうが、今の現実世界での生を大切にすることが重要であるというメッセージを感じました。

この赤橙という曲は、抽象的な表現が多く、明確な意味は理解しにくいかもしれませんが、自分自身がそれに対してストンと納得する解釈を見つけることで、曲をより愛着を持って楽しむことができました。
もちろん、この解釈が絶対的に正しいとは限りませんが、この記事を通じて歌詞を何度も読み込み、自分の感じたことを言葉にすることは非常に有意義な時間でした。

ACIDMANには赤橙以外にも素晴らしい曲がたくさんありますので、この記事を最後まで読んでくださった方で、まだ他の曲を聴いたことがない方はぜひ一度聴いてみてください。
もし気に入っていただければ、ぜひライブに足を運んでみてください。
ACIDMANのライブは素晴らしい経験ですよ。