【MUSIC IS OUR FRIEND JAPAN 2021/King Crimson】12/7東京公演レビュー。

キングクリムゾンというバンドは不思議なバンドである。
世代としてはビートルズやローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズの少しだけ下の世代、エリック・クラプトンやレッド・ツェッペリン、プログレッシブ・ロックの扉を共に開いたピンク・フロイドと同世代と言ったところだろうか。
既に上記のレジェンド達は原型を留めず、解散かもしくはほぼ活動休止という状態にあって、キング・クリムゾンという名前は途切れながらも50年以上に渡って活動を続けている。(とは言っても今現在在籍している当時のメンバーはロバート・フリップという絶対的心臓と、初期に途中加入したメル・コリンズという奇才だけだが)
ポール・マッカートニーは時々思い出したように日本に来る。
ローリング・ストーンズも、時々思い出したように日本に来る。
ジミー・ペイジはこっそり西新宿のブートレグ屋に来てはレッド・ツェッペリンのブートレグを持ち帰っている。(噂によると勝手に持っていくらしい)
エリック・クラプトンも時々日本に来ては神宮前のトンカツ屋で舌鼓を打っている。
キング・クリムゾンは80年代の所謂「ディシプリン期」から90~00年代の「ヌーヴォ・メタル期」、2010年代の「ダブルカルテット及びトリプル・ドラム期」まで、割とコンスタントに来日しては往年のファン達と、結成当時はまだ生まれても居なかったような若い世代を楽しませてきた。
ポール・マッカートニーやローリング・ストーンズのように東京ドームではなく、エリック・クラプトンのように日本武道館でもない。
Bunkamuraオーチャードホールや大阪フェスティバルホールといった良質の音響が展開できるホールを選んでライブを行っている。
おそらくはフリップの音響へのこだわりから会場を選択しているのだろう。(山下達郎も音響面からホールでのコンサートを選んでいる)
名前としては決してビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンといったレジェンドと比べて遜色のないレベルのバンドだと私は思う。
みんなが歌えるようなポップソングも、ハッピーに踊れるロックンロールも、ドラマチックで叙情的なギターソロがあるわけでもない。
複雑で精巧かつ緻密な展開を持った楽曲は決して万人受けするものではない。
しかし、お約束のナンバーよりも常に進歩を続けるクリムゾンの楽曲が与えてくれる感動と興奮は「イエスタデイ」や「サティスファクション」に負けず劣らない芸術だと私は思う。
そのクリムゾンが度々来日しては「レジェンドにしてはお手頃な価格で」最新の姿を見せてくれるというのは今を生きる私たちにとって他に類を見ないほど貴重な機会なのだ。
もう何年も前からフリップは引退を口にしている。
今回の来日ツアーも「日本に来るのはこれが最後」と言っている。
これを見なければ一生後悔すると思った私は12月7日、渋谷のオーチャードホールへと足を運んだのだった。

雨がそぼ降る日となった。
オーチャードホールのエントランス付近はそれらしき人たちで賑わっている。
半数くらいは往年のファンだろうか。
長髪だったり、(年齢にしては)ロックな服装の紳士の姿が多く見られる。
会社ではそれなりの地位に従事しているであろうスーツ姿の年配の男性も多い。
その一方で女性の姿も、若い男性の姿もある。
入場に際しては昨今のコロナウィルス対策という事情もあり、事前の情報登録やマスクの徹底といった施策が取られている。
エントランスではツアーグッズが販売されていて、何か買おうかな、と思うもおよそ最後尾の見えない長蛇の行列を見た私は早々に諦め、ホール内へと足を踏み入れた。
開場BGMは何本かのストリングスをシンプルに重ねたアンビエントが流れている。
コロナウィルスの渦中だからなのか、ファンが元々そういう客層なのか、それとも何か「大きな声を出してはいけないような空気」をみんなが感じているのか、大きな声で会話する人たちは皆無で、人々の足音や衣擦れの音、微かなざわめきが会場内に漂っているだけだ。
クラシックのコンサートにも少し似ている気がする。
ただ、クラシックよりもっと静謐な空気感がそこにはある。
まるでジョン・ケージが提唱した「4分33秒」が会場内の微かな息遣いや譜面をめくる音を表現した楽曲だったように、このストリングスと密やかなざわめきもキング・クリムゾンのライブの一部のように感じられた。
時々、注意事項などを伝えるアナウンスが流れる。
ステージ上にも日本語と英語で撮影録音禁止などの注意事項が記載された立て札が置いてある。
ステージはシンプルだ。
ステージ前方には3つのドラムセット、後方は高台になっていて、下手からサックス、ベース、ギター、そして「フリップの空間」がある。
およそセットらしきものはない。
黒幕と、高台。
それだけだ。
何度目かのアナウンスがあり、ステージに設置された撮影禁止の立て札が撤去される。
何か録音された会話のようなものが流れた後、大きな拍手と共にメンバーがステージに姿を表す。
パット・マステロット、ジェレミー・ステイシー、ギャヴィン・ハリソンのトリプルドラム。
世界最高峰のベーシストの1人であるトニー・レヴィン。
堅実なボーカルとギターで現在のクリムゾンには無くてはならない存在のジャッコ・ジャクジク。
様々な感情をクリムゾンに付与するサックスプレイヤー、メル・コリンズ。
そして、ロバート・フリップが姿を表すと拍手が一層大きくなり、メンバーは満場の拍手を身に受け、スタンバイを始める。
ストリングスのアンビエントはまだ流れている。
トニー・レヴィンがアップライトベースでアンビエントにほんの少しの色を添える。
他のメンバーもサウンドチェックのようなプレイでアンビエントに少しのエッセンスを加える。

既にライブは始まっていた。
音が止み、「ワン・ツー・スリー・ツー・ツー・スリー」という声が流れる。

ほんの少しの、間。

トリプル・ドラムが一斉に咆哮を挙げる。
よく見ると、センターに位置するジェレミー・ステイシーのバスドラムだけが他の二人のものより少し大きい。
緻密に計算された音楽。
しかし、それぞれに特色がある。
全編を通して感じた印象だが、上手のギャヴィン・ハリソンのドラムは3人のドラムの中で最も手数が多い。
メリハリがはっきりとしていて、複雑なビートであっても確かなタイム感を感じるプレイだ。
対して下手のパット・マステロットのドラムは少し変化を加え、うねりのあるグルーヴを感じる。
様々な音色のパーカッションも混在しており、生き物のように変化するドラムプレイだ。
個人的に最も脳みそをかき回されたのがセンターのジェレミー・ステイシーのドラムである。
わけのわからない拍子を叩いているような気がするかと思うと、他の楽器に絡みつくようにその謎のグルーヴが宙を舞う。
なんだこれは、と戸惑っているとギャヴィン・ハリソンかパット・マステロットが全く別のグルーヴを始めてジェレミー・ステイシーのリズムは姿を消したりする。
かと思うと突然、赤ん坊が癇癪を起こす様な不規則なフレーズを刻む。
まるで口を塞がれて呼吸を止められたり、無理やり空気を吸わされたりするような気味の悪さだ。
しかし、それがたまらなく快感だと感じるまでに長い時間はかからなかった。
今までに聴いたどんなリズム、どんなグルーヴよりも難解で緻密なトリプル・ドラムとフリップ、トニー・レヴィン、メル・コリンズ、ジャッコが全く別々のところで全く違う物語を紡いでいたかと思うと、ある瞬間にバンド全体が渾然一体となって押し寄せる。
これが平均年齢70歳近いバンドのプレイなんだろうか。
今までに見たどんなライブでも感じたことのない興奮と、研ぎ澄まされるような集中を感じる。
導入のドラムが鳴り止んだかと思うと甲高いシーケンスのみが残り、フィリップ・グラスのミニマルのような音が暫し流れる。
そして、まるで遠くから押し寄せる何かが徐々に姿を表すようにフリップのギターが始まっている。
始まりのタイミングはよくわからない。
いつの間にそこで蠢いていた、そんな感じだ。
徐々にトニー・レヴィンとジャッコ・ジャクジクも音を加える。
フリップのギターは不穏そのものだ。
そして、ある瞬間に一斉に音楽が立ち上がる。
太陽と戦慄。
トリプル・ドラム、トニー・レヴィン、ジャッコ・ジャクジク、メル・コリンズ、ロバート・フリップ。
それまで絡み合う事のなかった楽器が全て調和する。
凶悪なフレーズが渾然一体のバンド・サウンドとなって押し寄せる。
その時、私はビートルズやローリング・ストーンズとキング・クリムゾンは何が違うのか、という問いの解答を思いついた。

キング・クリムゾンには緊張がある。
ビートルズやローリング・ストーンズには緊張はない。
一音たりとも聴き逃してはならない、という緊張感がキング・クリムゾンの音楽にはあるのだ。

圧倒的な音像に気圧されながらも、私はもう一つ別の事を考えていた。
こういう風に始まる音楽をどこかで目にした気がする。
耳にしたのではない。
文章で、読んだ。
村上龍の「五分後の世界」。
純血の日本人が26万人にまで減少し、未だ戦争を終わらせていない1990年代の日本。
「我々のいる世界」から「五分時間が進んだ」その世界に存在する天才音楽家、ワカマツ。
そのコンサートは巨大なクレッシェンドとポリリズムを基調としたシンコペーションで構成されていて、作中に登場する麻薬「向現」に似ている感じがするのだという。
緻密で不穏な導入と、圧倒的技巧、そして、突然訪れる爆発と快楽。
もしかしたら、ワカマツの音楽はこんな感じなのかもしれないな、と私は興奮しながらも頭の片隅でそう感じていた。

最新の「太陽と戦慄パートⅠ」が終わると、ディシプリン期の佳作「Neurotica」が始まる。
残念ながらエイドリアン・ブリューはいないが、再構築された構成と当時はいなかったメル・コリンズのサックスが別の楽曲のような新鮮さを感じさせる。
今回のツアーのセットリストは意外にもキャリアを総括したグレイテスト・ヒッツと呼んで差し支えのないものとなっていて、エイドリアン・ブリューなしでの演奏は難しいであろう「Elephant Talk」と「Thela hun Ginjeet」、そして個人的にクリムゾンの楽曲で好きな曲上位に入る「Fallen Angel」が入っていない事を除けば大満足のセットリストだった。
キング・クリムゾンには多くのメンバーが参加し、そして脱退していったが、エイドリアン・ブリューはその中でも代替の効かない重要なプレイヤーだと思う。
フランク・ザッパ仕込みの自由奔放なギターとコロコロと色を変えるボーカル、そしてブリュー自身の天真爛漫なステージングは彼が加入した80年代までのキング・クリムゾンにはない要素だった。

一味変わった「Neurotica」が終わると、もう何回聴いただろうか、というストリングスのフレーズが始まる。
初期の代表曲の一つである「The Court Of The Crimson King」。
こういった歌ものはあまり大きな変化をさせず、比較的原曲に忠実に再現されている。
ジャッコのボーカルもグレッグ・レイクに負けず劣らず叙情的で、イアン・マクドナルドが吹いたフルートはメル・コリンズが精巧に奏でる。
ジェレミー・ステイシーはドラムではなく、少し前にはビル・リーフリンが担当していたであろうシンセサイザーと向き合い、原曲のフレーズを忠実に演奏している。
「宮殿」は壮大に終わりを告げ、会場は万雷の拍手に包まれた。
途切れる事なく音は続いている。
不穏なシーケンスがしばらく鳴ったかと思うと、骨太のベースとドラムスのイントロが始まる。
「The ConstruKtion Of Light」。
ヌーヴォ・メタル期の佳曲だ。
この時のメンバーはギターにエイドリアン・ブリュー、ベースにトレイ・ガン、ドラムスにはパット・マステロットだった。
終始ヘヴィなリズムと不穏なフレーズが展開する。
メル・コリンズはフルートを持ち、ブリッジ部分で幻想的な旋律を奏でる。
かと思えば今度はサックスに持ち替え、複雑なリズムと難解な展開の中にあってジャジーなソロを吹いていた。
続けざまにトニー・レヴィンがチャップマン・スティックに持ち替え、不規則なフレーズを叩く。
それに合わせてトリプル・ドラムがソロ回しのように様々なリズムを刻む。
三人のドラマーにはそれぞれやはり特色がある。
共通するのは「全員が化け物レベルにうまい」という事だ。
何回かのソロ回しの後、不意にバンドが立ち上がる。
「Indiscipline」だ。
フリップのギターとメル・コリンズのサックスが狂乱のメロディを奏でる。
これもディシプリン期の名作だ。
楽曲をリードするのはトニー・レヴィン。
ジャッコは変拍子の中、自ら奏でるギターとユニゾンで歌う。
時々、トニー・レヴィンが変態的リズムをチャップマン・スティックで奏でながらコーラスで参加する。
繰り返しになるが75歳である。
トニー・レヴィンは今年(2021年)の春にジョン・ペトルーシ、ジョーダン・ルーデス、マイク・ポートノイといったプログレッシヴメタルバンド、ドリームシアターのメンバーや元メンバーによるサイドプロジェクト、Liquid Tension Experimentの新譜まで出した。
ジャズやブルースならまだしも、テクニカルなヘヴィメタルバンドである。
フリップも未だ衰えないテクニックを維持しているが、トニー・レヴィンのそれはフリップを上回る安定感だと私は思う。
メル・コリンズは74歳だし、フリップは75歳。
他のメンバーは比較的若いが(それでも最若手はギャヴィン・ハリソンとジェレミー・ステイシーの58歳で間も無く還暦を迎える)世界一エキサイティングな後期高齢者バンドである。
原曲ではエイドリアン・ブリューが「I like it!」と叫んで終わったこの曲だが、ジャッコは日本語で「イイネー!」と叫んだ。
続けて放たれる小曲、1970年発表のセカンドアルバム「ポセイドンのめざめ」のオープニングを飾るナンバー、「Peace: A Beginning」でここまでで最も美しいピアノと歌声が披露される。
原曲は歪んだような音質だが、この歌が持つ美しさに改めて気付かされる。
そして1974年発表の「レッド」に収録されている「One More Red Nightmare」へと繋がる。
この辺りの作品がクリムゾンの作品バランスとしては真ん中あたりになるのだろうか。
初期の壮大で幻想的かつフォーキーな世界と、80年代からの機械的なディシプリン期のちょうど間に来る時期である。
歌心があり、緻密な構成とテクニカルなフレーズが並び立つ時期はこの辺りの時期が絶妙なバランスを保っている。
のっけからポリリズムが吹き荒れる「Discipiline」が始まる。
ただでさえ複雑なリズムにドラムが三人である。
一体どうやって構成を覚えてるんだろうという感じだ。
ただリズムに身を任せて耳を澄ませる。
またしても何回聴いたかわからないアンサンブルが始まる。
「Red」だ。
ジャッコとフリップのギターが寸分違わずにアンサンブルを奏でる。
ドラムは原曲の雰囲気を壊さない程度にアレンジされ、メル・コリンズのサックスも世界を変えてしまうほどのものではない。
ただギターが2本、延々と重厚なリフを刻み続ける。
おそらくこの曲がディシプリン期の前、初期キング・クリムゾンの集大成の曲になるのだろう。
再びジェレミー・ステイシーがシンセサイザーを操る。
美しいストリングスと太い音色のギターによって「Epitaph」が展開される。
キング・クリムゾンの楽曲の中で最もメロディアスで叙情的な楽曲だ。
ドラムスは手数を抑え、様々なギターの音色とサックスが悲しい物語を彩ってゆく。
激しくも悲しい人間の姿を描いたこの歌はピート・シンフィールドが作詞した楽曲の中でも最高傑作の一つだろう。
トニー・レヴィンがアップライトベースを鳴らす。
しばしジャジーなベースソロが演奏され、続いて様々な効果音がクレッシェンドし、もう何百回と聴いたリフと共に弾ける。
「21st Century Schizoid Man」。
クリムゾンの代表曲と言っていいだろう。
間奏こそ大幅にアレンジされ、サックスやトリプル・ドラムといった楽器をフィーチャーしたパートが追加されているものの、原曲に忠実に演奏されている。
それだけにこの楽曲が持つエネルギーとパワーがダイレクトに響いてくる。
そうだ、私はこの曲を聴きにここに来たんだ、そう思い出す。
全世界が熱狂し、ビートルズの「アビイ・ロード」をチャートの一位から蹴落としたという都市伝説さえ生んだ名曲に心を震わせる。
ジャッコの歌もグレッグ・レイクに負けず劣らず尖っていて、まるで遜色がない。
圧倒的な「スキッツォイド・マン」が終わると会場はスタンディングオベーションとなり、拍手の渦がバンドを讃える。
メンバーも立ち上がり賞賛を受けると、一部終了のアナウンスと、開場BGMのストリングスアンビエントが流れてきた。
そうか、二部構成だったのか。
私はようやくそこでキング・クリムゾンの世界から一歩足を外に出す事ができたのである。

休憩時間で余韻に浸っていると、アンビエントはそのままに、メンバーがステージに登場する。
最初と同じく拍手を持って迎えられたメンバーのスタンバイと共に徐々に照明が暗転する。
暫し、アンビエントのみが流れる。

ドラムスから始まった。
トリプル・ドラムの三人が一人づつ思い思いのリズムを叩き始める。
割合乗りやすいリズムだ。
とは言ってもタイム感はやはり一筋縄ではいかないアクセントになっていて、凄腕のドラマーとしての三人の姿をようやく意識して確認する。
「Drumzilla」と名付けられたドラムだけの楽曲が終わるとヘヴィなギターリフが始まる。
現在のところ最新のスタジオアルバム、2003年リリースのアルバム「The Power To Believe」収録の「Level 5」。
ヌーヴォ・メタルと名付けられたその名にふさわしく、クリムゾン史上最もヘヴィな作品の一つである。
このアルバムがリリースされる少し前、キング・クリムゾンはオルタナティヴ・メタルバンド「TOOL」とツアーを行った。
緻密な構成と複雑なリズムを用いるのは共通しているが、勿論TOOLの方がヘヴィである。
フリップの制作指向にTOOLのヘヴィネスが多少なりとも影響したのは間違い無いだろう。
ヘヴィかつ複雑なリズムの上で狂気を孕んだサックスが叫びを上げ、事切れたように曲が終わると美しい小曲が奏でられる。
「ポセイドンのめざめ」の最終章、「PEACE – AN END」。
クリーントーンのギター、オルガン、そして美しいメロディの歌。
暫しの安らぎを感じる間も無く、不快な高音と共にそれは姿を現した。
「太陽と戦慄パートⅡ」。
精神を掻き乱すようなギターリフと変拍子。
先の読めない展開に息を呑んで耳を傾ける。
集中するのは耳だけではない。
目は全メンバーに向けて注視される。
誰が何をやるのか全く読めない。

「見逃してはいけない」

そう直感する。
誰が何をやっているのか、その目で確かめなければいけない。
そう自分に言い聞かせる。
不意に楽曲が終わりへと向かう。
いや、終わりへと向かっているような気がする。
終わりはあっけなく来る。
客電が点き、スタンディングオベーション。
どうやら二部の終わりのようだ。
メンバーも立ち上がり、拍手を受ける。
一人、また一人とステージから立ち去ってゆく。
フリップは感慨深そうに客席を眺め、最後にその場を立ち去った。

拍手は鳴り止まず、手拍子へと変わる。
アンコールを、観客は求めている。

間を開けずにメンバーがステージへ戻る。
暫しの、静寂。

悲しげなストリングス、揺蕩うようなベース・ドラムと共にその曲が始まる。
Starless。
太く、丸みを帯びたフリップらしい音色のリードギターが物語を彩る。
ジャッコはここでもジョン・ウェットンと遜色のないソウルフルなボーカルを聴かせる。
サックスは儚く宙を漂っている。
構成としてはほぼ原曲通りだろうか。
ボーカルパートが終わると海の底のような深みに連れていかれる。
数えるのは野暮だろうなあという複雑な変拍子。
ベースはうねり、フリップのギターは警報のように素っ頓狂なリズムをただ刻んでいる。
そこにこれまたどういう拍子で叩いているんだというようなドラムスとパーカッション。
ジャッコのヘヴィなギターも絡んでくる。
後半は高速変拍子とフリーキーな狂乱のサックスに息を呑む展開だ。
サックスが歌のメロディを奏でると今度はフェンダー・ローズに続いてギターソロ。
一般的に見られるようなギターソロではない。
狂気そのものと言ってもいい、掻きむしるように鳴らされるギターソロからメインテーマに戻り、アウトロ。
この曲はまごうことなく、「組曲」と呼ばれるべき曲である。

三度目のスタンディングオベーション。
メンバーは拍手を受け、声援に答える。
そして、一人、また一人とステージを後にする。

フリップは最後までそこにいて、満足げな表情で客席を眺めている。
改めて、ロック史に残る一人の巨人の姿を見つめる。
生で見られるのはこれで最後なのかな。
私は残念に思う。

フリップも、そう思っているんだろうか。

偉大な巨人が深くお辞儀をした時、涙が溢れた。
なぜだろう。
色々と当てはまる言葉を考えるが、思いつかない。
ただ、私は嬉しかったんだと思う。
最高のバンド、最高のパフォーマンス、最高の曲。
そして、ロバート・フリップという人がそれを楽しんでくれたのが、嬉しかったんだと思っている。
来てよかった。
私は人生の一ページとして、この日のライヴを見られたことを心に刻みつけ、会場を後にした。