【FLAT/女王蜂】歌詞の意味を考察、解釈する。

女王蜂の歌詞には、直感的に魅力的でありながら、深く考えさせられる要素があります。
彼らの楽曲「FLAT」も例外ではありません。
この歌は、一部の人には深く共感し、一部の人には理解しづらいかもしれませんが、多くの人にとって救いとなる可能性があります。

「FLAT」は、性別に関する葛藤を抱える人々へのエールであり、同時に鎮魂の歌とも言えるでしょう。
歌詞からは、苦悩と闘いの末に、自分自身を受け入れ、信じる勇気を持とうとするメッセージが感じられます。

以下は、私のお気に入りの歌詞の一部です。

この膨らみがなければ
Tシャツ一枚で着れば

-中略-

膨らまなければ
同情買って見せれば

最初の詩では、成長とともに変化する自身の身体に対する戸惑いが表現されています。
女王蜂のファンにとっては一般的な知識かもしれませんが、実はボーカルのアヴちゃんは性別を公にしていないことが知られています。
この歌詞は、アヴちゃん自身の経験をにおわせつつも、より広いテーマに触れており、その深みを垣間見せています。

ほんとうは
「こんな筈じゃなかった」
「こんなの要らなかった」
じゃあ なにがほんとは欲しかった?
選択肢はあみだくじ
「こんな筈じゃなかった」
「こんなの要らなかった」
じゃあ なんであのとき欲しがった?
回答用紙はほぼ白紙

自分で選べない状況下で、ジェンダーに対して無理に期待することは、時に無駄な努力に感じられることがあります。
しかし、自己の成長過程を経て、言葉や視点が変わり、異なる見解が生まれることもあるのです。
その過程で、異なる立場での共感や理解が生まれ、個人間の一致も多様性を受け入れる一環として成立することがあることを考えると、ジェンダーについての捉え方は多様であるべきだと感じさせられる歌詞です。

FLATでいたいよ
心をどうか失くさないよう
うらやましさと比べ合いの
いたちごっこはやめたいよ
FLATでいたいよ
心がどうかはぐれないよう
疑うから信じられる
平坦な戦場

「FLAT」というタイトルを冠したこの歌詞は、毎回聴くたびに新たな解釈を呼び起こす不思議な魅力があります。
私自身、この曲を「FLAT」(平均的な)という言葉を天秤のようなシンボルとして捉えています。
一方が男性であり、もう一方が女性であるような対立概念を強調するのではなく、バランスを保ちつつ、自分自身でいたいというメッセージが込められていると考えています。
これは、ジェンダーにとらわれず、自己を尊重し、受け入れることの大切さを示唆しているのかもしれません。

いつからか
「どこにもいけなかった」
「誰にも言えなかった」
BL GL NL 勝手なCMばっか流れてるTL
単館系ジェンダームービー
主人公は病むか死ぬか恋に敗れるか
ちょっと判んないね
判んないぜ

まさに、周囲との比較からくる違和感や、孤独感を感じることがあります。
自分自身を受け入れながら生きているにも関わらず、しばしばBL(ボーイズラブ)、GL(ガールズラブ)、NL(ノーマルラブ)といったカテゴリーに押し込められ、商業的な消費対象とされることがあります。
最近では寛容な態度が広がってきたように感じられますが、過去にはこの歌詞が描くような偏見や固定観念がより顕著であったことを振り返ると、この歌詞は実際の経験に基づいていることを示していますね。

自分らしさってやつ
パンツの中身だけじゃないはず
複雑でも特別でもなく
みんな要求にはストレート

生物学的な性別が全てではないという部分の言葉に触れて、多くの人が救われてきたことは本当に素晴らしいことだと思います。
そのメッセージは非常にシンプルで、自分らしくありたいという願いを自由に表現しています。

最初に述べた通り、この曲はジェンダーの違いや自己受容の難しさに悩む人々への鎮魂歌であり、特に自分自身を奥底に閉じ込め、本当の自己を抑え込んでしまっている人々への鎮魂歌としても捉えられます。
この曲が、そのような人々にとって鎮魂歌から応援歌へと変わり、彼らに力と勇気を与えることを心から願っています。