2015年に福岡県で結成された4人組ロックバンド「神はサイコロを振らない」。
彼らの2019年にリリースされたミニアルバム「ラムダに対する見解」には、「夜永唄」という曲が収録されており、2020年春にはヒットチャートで注目を集めました。
この曲が人気を博した理由と、歌詞の意味について考察してみましょう。
ヒットした背景
福岡県で注目を集める新進気鋭のバンド、神はサイコロを振らない。
彼らのバラード曲『夜永唄』が2020年春、音楽配信サイトのランキング上位に急浮上した背景には、音楽を楽しむスタイルに変化が生じたことが関わっているのかもしれません。
近年、定額制音楽サービスの普及とともに、SNSを通じて急速に人気を集めるアーティストが増えています。
『夜永唄』は、TikTokをきっかけに注目を浴び、音楽配信サイトのSpotifyバイラルチャートで上位5位にランクインしたことから、ソーシャルメディア時代が生み出した「バイラルヒット」と言えるでしょう。
どうして心ごと奪われてでもまだ
冷たいあなたを抱き寄せたいよ
曲は、逆回転したレコードのようなイントロから始まります。
そのイントロは、まるで時間が逆転しているかのような音を奏でています。
時間を遡った先に現れたのは、愛した人の美しい姿でした。
「心ごと奪われて」というフレーズは、最初は彼女の美しさに引かれたという意味ですが、その後、彼女に心まで完全に奪われてしまったことを表現しているのかもしれません。
また、「冷たいあなた」という部分は、二人の関係における温度差を表しているように感じます。
秀逸な比喩表現
この曲の魅力は、感情のコントロールと興奮を表現する力強いサウンドと、美しい比喩を用いた歌詞によって創り出される幻想的な世界ではないかと思います。
金木犀の香りが薄れてゆくように
秋が終わり消えていったあなた
歌詞には、彼女が去って行った姿を「金木犀の香り」として表現した美しい表現がありますね。
金木犀の甘い香りは、秋に咲く花であり、多くの人に切なさを感じさせるようです。
その香りが公園や校庭で感じた子供時代の思い出を呼び覚ますこともあるのかもしれません。
金木犀は「夏の終わり」や「子供時代の終わり」といった、一つの時代の「終わり」を象徴する花なのかもしれません。
花びらに似た指先を
静かに撫でながら過ごした夜が
また繰り返されてゆく
金木犀に続いて、女性を「花」として表現している箇所もあります。
女性の柔らかな白い指先を花びらに喩える表現は、耽美な純文学のような美的感覚を感じさせますね。
コロナ禍で若者たちが抱いた感情
リリースから約1年が経った2020年春には、『夜永唄』が注目を浴びた背景には、新型コロナウイルスによる外出自粛が大きな影響を与えたと言われています。
特に若者の間で人気のあるTikTokでは、この曲をBGMとして使用した切ない恋愛ストーリーやギターの弾き語り動画の投稿が急増しました。
こうして心ごと閉じ込めて
あなたが弱り切った僕から離れないように
学校が休校となり、勤務日数が減少し、時間に余裕ができた若者たち。
この状況下では、失った恋人を思い出す人々も多かったことでしょう。
あなたに逢えば二人はもう
友達に戻れないと分かっていた
元々は友人関係だった二人が恋人となり、しかし現在は別れたことで友人に戻ることもできない状況です。
この目や耳や鼻や口や身体中の五感
全てはあなたの為にあるように
未だに街で類似した人を見かけると、または一緒に聴いた曲が流れると、つい反応してしまう。
このような思いを抱きながら、若者たちは眠れない夜を過ごしています。
『夜永唄』の歌詞が、そのような心情に共鳴したのかもしれません。
さらに、公式サイトで「美しき音のカオス」と表現される世界観は、見通しの立たない漠然とした不安感を抱く若者たちに共感を呼び起こしたのかもしれません。
偶然ではなく必然だった
何度願っても触れる事さえ叶わない
枯れ果てたはずの涙がまた零れて
この曲は、失われた恋人への思いを綴ったものであり、喪失感を感じさせるエンディングに至ります。
バンド名である「神はサイコロを振らない」とは、物理学者アインシュタインの有名な言葉です。
アインシュタインは、「自然界には必ず何らかの法則が存在する」と信じており、偶然の結果によって支配される「量子力学」に批判的でした。
2020年の世界的な困難に対しても、偶然ではなく何らかの「理(ことわり)」があるのなら、『夜永唄』のヒットも2020年における必然の結果だったのかもしれません。