「初恋」は”神はサイコロを振らない”のヴォーカリスト、柳田周作と、楽器を持たないパンクバンド、Bishのメンバーの一人であるアユニ・Dが共演し、作曲はロックバンド、ヨルシカのギタリストとコンポーザーが手がける。
今回は「初恋」の歌詞について考察していきます。
過去と現在の時間の流れ
神はサイコロを振らない、アユニ・D、そしてヨルシカのn-bunaによる3人組ユニットが、「初恋」という曲をリリースしました。
曲は「神はサイコロを振らない」のライブで初めて披露され、そのほぼ同時に公開されました。
この曲はBillboard JapanのHeatseekers Songsで8位にランクインし、注目を集めました。
そして、実際の売り上げも好調で、話題を呼んでいます。
この曲は、3人の個性がうまく融合した作品であり、注目を浴びています。
今後もこのユニットの活躍から目が離せません。
YouTube上でコメントを寄せたn-bunaは、「男女が会話するようなイメージの楽曲を作ろう」と述べています。
初恋には人それぞれの経験があります。
初恋と気付く人もいれば、後になって初恋だったのかと思う人もいます。
n-bunaにとって、初恋は会話するようなイメージだったようです。
「初恋」は、n-bunaのメロディーに「神はサイコロを振らない」の柳田周作のアンニュイな歌詞が乗った作品です。
この曲では、2人が描く初恋の世界には甘さや切なさだけでなく、「過去と現在の時間の流れ」というキーワードが含まれています。
彼らは過去の会話を思い出しているのか、それとも過去に戻って仮初の会話をしているのか、という問いを掲げています。
今回はこの「初恋」の歌詞について考察していきますので、最後までお付き合いください。
まだ未成熟な部分があるのかも
ねえ 海が見たいと笑った
君のようには うまく笑えなかった
曲は、アユニ・Dと柳田周作が交互に歌うことで始まります。
これは、女性が静かに問いかけ、それに男性が答えるという構図です。
女性は笑顔でいるものの、男性はその笑顔に応えられない様子です。
男性には何か秘密を抱えているように思われます。
女性が海を見たいと言っていますが、その年齢はどのくらいなのでしょうか。
日本は海に囲まれた島国ですから、ある程度の年齢であれば海に行くことは普通のことです。
しかし、彼女が実際に行けない理由があるのかもしれません。
自分の望みがかなわない状況にあるのかもしれません。
うん いつか連れていくねって
指切りをして 少し恥ずかしくなって
わざと戯けてみた
約束をした後、少し恥ずかしくなってしまった。
“いつか”という言葉を付け加えることは、即座に実現することが難しいことを意味します。
しかし、指切りをするというジェスチャーからは、本気で海に連れて行きたいという気持ちが伝わります。
こうした歌詞からは、誠実な男性像が浮かび上がります。
そして、彼は少し照れくさそうに振る舞っています。
恥ずかしくなるということは、彼が誠実な自分に対して照れているのではなく、自分の本心が相手に見透かされることを嫌がっていることを示しています。
人は自然と自分の感情が相手に伝わることを恐れます。
それは、心を読まれそうで怖いという本能が働くからです。
そうはいっても、優しさからくる心遣いの気持ちが相手に読まれることを望まないのは、幼い印象を与えるかもしれません。
この男女の年齢は比較的若いため、まだ未成熟な部分があるのかもしれません。
君本人には会えないかもしれない
夏霞たなびいて 空に溶けては また君を想う
今年もあの海まで 辿り着いたなら 逢えるかな
砂の足跡
夏霞という言葉は、あまり耳にする機会はありませんが、実は春だけでなく夏にも起こり得る現象です。
これは一般的な気象用語ではなく、俳句などで使われる季語の一つです。
夕立ちなどの強い雨が降った翌日に、上空の湿度が高い状態で安定し、空気中の水蒸気が小さな水の粒子となって浮遊する自然現象です。
霞や靄はこのような微細な水の粒子が空中に漂っている状態を指し、その区別は視界の良さにあります。
霞はこの中でも比較的視界が良い状態ですが、夏霞は一定の期間しか現れず、上空で発生し、すぐに消えてしまうかすかな存在です。
また、君を想うということは、以前にも君のことを思っていて再び思い出したということを意味します。
そして、また逢えるかなということには、会えない可能性が含まれています。
さらに、逢えたとしてもあるのは足跡だけです。
これは、君本人には会えないかもしれないということを示しているのでしょうか。
それとも、足跡の先には君が待っている可能性があるという意味なのか、この歌詞はかなり複雑なものです。
君と僕の運命を変える大きな出来事を予感させる
気の抜けてぬるくなった
ラムネ越しでも 眩しく見えるもんだから
なんでもないラジオの会話で
誤魔化すけれど 恥じらう僕に
微笑みかける君
ラムネの炭酸が抜けて、涼しさが消えてしまうまでの時間を過ごしたのは、暑い夏の日差しの影響かもしれません。
それでも、その時間を共に過ごしたことで、君がますます魅力的に感じられる僕。
ここでも、彼女に恥じらいを感じてしまいます。
自分が彼女に惹かれていることを明かしたくないのでしょう。
そんな僕の様子に、彼女は微笑んでいます。
2人の関係性からは、なんとも微笑ましい雰囲気が漂っています。
あの夏まで
もう一度だけ戻れるのならきっと
照れ隠しも躊躇うことも忘れて
夕凪の中 時間を止める魔法を
「あの夏まで、もう1度だけ戻る。」
この歌詞は確かに不思議な表現ですね。
通常であれば、「もう1度あの夏に戻る」という表現になると思いますが、ここでは過去の夏を未来のように表現しています。
おそらく、照れ隠しや躊躇いを忘れて、時間を止める魔法をかけたいという意味合いが込められているのでしょう。
過去の未熟な感情に後悔しているのかもしれません。
そして、時間を止めることは、その瞬間が本当に大切だったということを示しています。
通常、時間を戻せるとすれば、何かが起こる前の時間まで戻ることが一般的ですが、ここでは過去に戻ってさらに時間を止めるという意思が表現されています。
これが、この後に君と僕の運命を変える大きな出来事を予感させるのかもしれません。
再び逢える日を夢見ている
行方も知らされず
風に流されてゆく雲のようで
何処かで見てるかなあ
雲が知らせることなくただ流れ去る様子は、その自然の流れの中で雲が自らの行方を決めることなく移動していく様子を表現しています。
同時に、「雲のよう」という表現と「何処かで見ている」という文脈から、おそらくその「君」のことを指しているのでしょう。
つまり、「君」は雲のようにどこかにおり、何処かで僕を見守っているという意味合いが含まれています。
この文脈から、君が僕の手の届かない場所にいる可能性が考えられます。
あるいは、君が雲の上から僕を見守っているという解釈もできます。
そして、この歌詞からは、過去の夏に戻って時間を止めることで、君との別れを暗示する出来事を回避したいという思いが伝わってきます。
最後のメロディーへの入り方からも、この曲がさまざまな想いを残していることが感じられます。
今年打ち上がれば 花火の下で 待ち合わせよう
同じ世界でまた 出逢えた時は 伝えるさ
初恋の人
通常であれば花火の下で待ち合わせをするべきですが、この歌詞ではそうはしていません。
花火が打ち上がればという仮の話をしていますが、それは花火が打ち上がらない可能性があることを示唆しているのかもしれません。
もしかしたら、君と最後に見る予定だった花火が何らかの事情で打ち上げられなかったのかもしれません。
そんな予感がこの歌詞から感じられます。
そして、同じ世界で再び出会えた時ということは、現在君は別の世界にいるということでしょう。
そして、もし同じ世界にいるときには、君が僕の初恋の相手であることを伝えられなかったことを悔やんでいるかもしれません。
夏の空を見上げながら、過去の思い出を巡ります。
かつて夏霞がたなびいていた空には今日は雲が流れています。
そこで、隣で笑顔を見せていた君との約束を思い出し、いつか再び逢える日を夢見ているのです。
このような切なさが、このラブソングに込められているのでしょう。
少しの希望を持っていることで前を向いて進むことができる
あの夏とは、やはり君と過ごした夏の日々を指します。
もしかしたら、その夏にずっと海に行きたかったのに行けなかったのかもしれません。
病気やケガ、家庭の事情など、さまざまな原因が考えられますが、それは関係ありません。
僕は初恋の相手である君に自分の気持ちを伝えることができませんでした。
幼さゆえに、自分の気持ちを照れて隠してしまった後悔があります。
そうした気持ちの揺れを、過去と現在の時間の表現としてうまく表現しています。
この歌詞は、完全に過去の話に留まらず、不幸な話にならないように配慮されています。
最終的には、未来で君と再び逢えるかもしれないという希望を残しています。
これはかなわない未来と受け取る人もいるかもしれませんが、私には再び出会えるという希望が感じられました。
悲しみだけでは生きていくことはできないが、少しの希望を持っていることで前を向いて進むことができる、というメッセージが込められた素敵な楽曲です。