【タイガー&ドラゴン/クレイジーケンバンド】歌詞の意味を考察、解釈する。

「タイガー&ドラゴン」は、和田アキ子を思い浮かべて制作された曲とされています。
実際にその後、この曲の作詞作曲を手掛けた横山剣が和田アキ子のアルバム制作に携わりました。
そのため、この曲は和田アキ子の歌声でよく知られています。
さらに、この歌の世界観を基にしたドラマも制作され、多角的な展開がされています。
「タイガー&ドラゴン」の歌詞にはさまざまな解釈ができる要素が含まれており、それを探求してみましょう。

少しだけでもいいから対面したい

「タイガー&ドラゴン」を歌うクレイジーケンバンドのバージョンは、二人の男性の物語を描いています。
現在では距離が少し生まれてしまった二人ですが、過去には共に活発な日々を過ごしていました。
物語の主人公は、昔からの友人に対して金を貸しています。
久しぶりに連絡を取り合い、主人公は友人を呼び出します。
友人を待ちながら主人公は、「金の問題ではない話がある」と伝えます。
では、なぜ主人公は長い時間を経てから、かつての親しい仲間を呼び出したのでしょうか?


トンネル抜ければ 海が見えるから
そのまま ドン突きの三笠公園で

男性は、昔からの友人を三笠公園に招待しています。
この公園には、特別な展示物があります。
それは、かつて活躍した戦艦「三笠」が保存されている記念艦です。
日露戦争で勇敢に戦った戦艦「三笠」は、戦争終結後に保存のために保管されました。
しかし、その後、金属や甲板の板が盗まれ、荒れ果てた状態になってしまいました。
アメリカの海軍元帥が保護し、後にイギリス人が呼びかけて寄付を集め、戦艦の保存が始まりました。
かつて栄光の象徴だった戦艦「三笠」が、外国人たちの尽力によって保護されることとなったのです。
この記念艦「三笠」が展示される公園は、様々な感動的な出来事を生んでいます。
戦争の痕跡が刻まれたこの公園から、新たなストーリーが始まるのは、偶然なのでしょうか?


あの頃みたいに ダサいスカジャン着て
お前待ってるから 急いで来いよ

この男性と呼ばれている人物は、非常に親しい関係でありながらも、「おい、まだあのダサい格好かよ」と言い合えるほどの仲です。
最初の一行の記述通り、彼は昔と何一つ変わっていない服装でいつもの場所で待っています。
時が経過しているのにもかかわらず、当時のままの外見で待ち続けている様子は、確かに浮いてしまうかもしれません。
しかしながら、年月が進んでいるにもかかわらず「昔のように待っているから」という男性の言葉には、過去の関係を取り戻したい、戻りたいという深い思いが込められています。
この心情からは、過去の状況に戻ってやり直したいという温かい感情が感じられます。
まるで掛け違えたボタンを元に戻すように、彼は過去の絆を取り戻し、新たなスタートを切りたいと思っているのでしょう。


俺の話を聞け! 5分だけでもいい
貸した金の事など どうでもいいから

男性は、力強く命じるような口調で話しています。
かつてと同じように。
しかしながら、今は時間が経ち、「少しでも」という謙虚な言葉を添えています。
この言葉は、以前は言いにくかったかもしれません。
現在の彼にとって、見栄やプライドよりも価値のあることが存在しているようです。
これを示す証拠として、彼は「借金のことは問わない」とまで言っています。
男性は、自身が待っている相手に金銭を貸しています。
おそらく、その取り決めが最近の出来事ではないでしょう。
相手も「借金の返済を求められる」という不安を感じるほど、かなりの時間が経過しているかもしれません。
約束を果たせなかったという自責の念もあるでしょう。
しかし、待ち望む男性にとって、そんな約束よりも対面することの方が重要です。
自尊心を捨てて、「何としてでも来てくれ。少しでもいい」と言うことで、彼は譲歩しています。

涙を流せばいい

お前の愛した 横須賀の海の優しさに抱かれて
泣けばいいだろう ハッ!

生まれ育った故郷、深く愛する場所、運命的な縁のある土地。
人々は生涯の中でさまざまな場所と出会います。
新たな土地に足を踏み入れた瞬間、感じるその土地独特の雰囲気は、それぞれ異なるでしょう。
物語の舞台は、かつてマシュー・ペリーが訪れた歴史的な街です。
冒頭で触れたように、記念艦「三笠」が誇りを持って残る三笠公園も重要な要素となります。
この街と外国との交流が始まったことから、異文化の影響を受けた若者文化も花開いています。
ここは田舎とも都会とも違う、個性的な男性たちが心惹かれる街です。
日本という国の一部でありながら、異国の風を受け入れて独自の魅力を持つ、非凡な場所です。
若い頃、この舞台で悪戯心をくすぐるような冒険を経験してきました。
こうした背景が、男性同士の物語に特有のリアリティを与えています。
横須賀の街は、外国との交流の歴史と、敵対心を超える特別な物語が息づいています。


こちらの街は、ちょっと自信を持って歩く男性たちに愛されています。
そしてこの街には、どこまでも続く海が広がっています。
その海は時折、猛烈な嵐のように荒れ狂うこともありますが、また別の時には穏やかな鏡のように広がります。
この海の前で、喜びや怒り、悲しみといった濃密なドラマが生まれてきました。
この歌の中では、海はまるで温かい母親のような存在として描かれています。
荒れ果てて帰ってきた子供を黙って受け入れる母親のような優しさが、そのイメージです。
もしかしたら、この海に向かって叫んだこともあるかもしれません。
また、涙を流したことも。
そして、過去と変わらずに広がっているこの海の前で、男性はじっと立ち尽くしています。


人は外面を強く見せることがあっても、心の奥底では涙を流したい瞬間があるでしょう。
待ち続ける男性に向けて、「涙を流してもいい」という優しい言葉が贈られています。
怒りや悲しみではなく、大人である男性が「泣きたい」と思うのは、どのような状況でしょうか?
その瞬間には、言葉では言い表せない「孤独感」が存在するかもしれません。
自分ひとりで感じる思いや重荷を抱えている時、人は内心で涙を流したいと思うことでしょう。
そして海の風景を通して、男性は「私はあなたの全てを支えられる」というメッセージを伝えたいのかもしれません。

輝く月のような存在

俺の俺の俺の話を聞け! 2分だけでもいい
お前だけに 本当の事を話すから

気持ちが強すぎて、時間を半分以下に削るほど、話を聞いてほしい願望が溢れています。
どうしても、他にはなく、その男性に会いたくて呼び出しています。
自分の言いたいこと、心の中の真実を、その男性に伝えたいのです。
これまで誰にも打ち明けられなかった本当の感情、自分の思いを分かってほしいのです。
なぜなら、その男性だけが、自分の気持ちを理解してくれると信じて疑いません。


背中で睨み合う 虎と龍じゃないが
俺の中で俺と俺とが闘う

男性の内なる闘争は、真逆の性格を持つ二人の側面が対立しています。
どちらの側も、荒々しく力強い性格です。
人々の内には、相反する性格が同居することもあるでしょう。
しかしながら、この男性の場合、外向きの強い性格が支配的です。
荒々しい一面が顕著で、荒れん坊といえるでしょう。
それゆえ、その反対側にある、荒々しさを抑える力も強く働いているでしょう。
一方の側は、やらなければ他者にやられるという信念に基づいています。
競争し、争い、他者を踏みにじることが正当と受け止められています。
しかしながら、反対側には、争うことを厳しく非難する自己評価が存在します。


ドス黒く淀んだ 横須賀の海に浮かぶ
月みたいな電気海月よ ハッ!

黒い海と輝く月のイメージが思い浮かびます。
黒色は、汚れや傷ついた状態を示唆しているかのようです。
これは、周囲の世界やこの男性自身が見た現実を表しているでしょう。
しかしながら、その暗い海にも月が美しく輝いています。
夜空を照らす明るい月。
この月は、男性にとって、信じがたい世界の中で信じられる価値あるものを象徴しているかもしれません。
この男性にとって、待ち続けている相手こそが、暗闇の中に輝く月のような存在かもしれません。