【Lucky/SUPERCAR】歌詞の意味を考察、解釈する。

1997年にリリースされたスーパーカーの2番目のシングルは、ナンバーガール、中村一義、くるりなどとともに、新しい世代のロックバンドとして注目を集めました。

この曲によって、当時の10代の反応や感想を考察してみましょう。

今考えても衝撃的

スーパーカーと初めて出会ったのは、おそらく高校を卒業したばかりか、大学に入ったばかりの頃だったと思います。

当時はまだCDの貸し借りが一般的で、友人から1枚のアルバムを借りました。

そのアルバムのタイトルは「スリーアウトチェンジ」で、スーパーカーのデビューアルバムであり、ファンの間で最高傑作とされています。

少し物足りなさを感じるほどにシンプルで洗練されたジャケットデザインが都会的な雰囲気を醸し出しています。

それでいて、19曲ものボリュームで満たされたエネルギッシュな楽曲が詰まっています。

バンドサウンドが特徴的でありながら、ボーカルは囁くようなスタイルで、エフェクト感や意味合いよりも音楽そのものに重点を置いています。

シューゲイザーなどのジャンル名は知らなくても、その独特な浮遊感に魅了され、通学中に何度もリピートして聴きました。

数々の名曲が収められていますが、「Lucky(ラッキー)」は特に耳に残りました。

歌い上げるような力強さではなく、しかし力強く奏でられるサウンドの中で、フルカワミキのボーカルがすっと鼓膜に届くようにダイレクトに伝わります。

そこにナカコーのボーカルが優しく寄り添い、重なっています。

ナカコー、いしわたり淳治、フルカワミキ、田沢公大。

YouTubeなどの情報がない時代でしたから、音楽についての情報を深く追求するわけではありませんでした。

そのため、各々の存在を深く知っていたわけではありませんでしたが、筆者とほぼ同世代の人たちが青森でこのような都会的でクールな音楽を作り上げ、10代でデビューしていたことは、今考えても衝撃的です。

「なのにね」というフレーズ

サウンドに重点を置くバンドは、しばしば歌詞が軽視されがちですが、スーパーカーはその例外です。

なぜなら、音圧を超えて届くボーカルに加えて、いしわたり淳治(当時の表記は「石渡淳治」)の洗練された言語感があります。

余談ですが、筆者はいしわたり淳治の「WORD HUNT」というサイトが大好きで、頻繁に訪れています。

スーパーカー解散後、作詞家として活躍する彼の言葉に対する冷静な分析には、常に新鮮な発見があります。

それはさておき、今回は「Lucky」の歌詞に焦点を当ててみましょう。

あたし、もう今じゃあ、

あなたに会えるのも夢の中だけ…。

たぶん涙に変わるのが遅すぎたのね。

爽やかな曲調の中で駆け抜けるような、切ないフレーズが印象的です。

それでもいつか、
少しの私らしさとやさしさだけが
残ればまだラッキーなのにね。

タイトルに対する逆説的なアプローチに加えて、「なのにね」というフレーズが素晴らしいです。

文体はフルカワミキのボーカルをイメージしていますが、それに加えて言いたいのは、英語で言うところの「起こりうる可能性」を示す「if」ではなく、「起こりそうもないことを知っている可能性」を示す「I wish」とでも言える点です。

つまり、「それでもいつか」という未来への願望を想像しつつも、「まだラッキーなのにね」と、実現しそうもない未来であることを知っている感傷を呼び起こす四文字なのです。

いつまでも色褪せることはない

その後、砂原良徳をプロデューサーとして迎え、電子音を巧みに織り交ぜ、エレクトロニカの要素を色濃く取り入れていくスーパーカー。

彼らの音楽性と存在感は、解散から15年近くが経とうとしている今も色あせることはありません。

その独自のスタイルを保ちながらも、スーパーカーらしさを別の視点から表現しているのが、木村豊氏です。

彼の手によるジャケットは、まるでロールシャッハテストのようであり、CGモデリングのようでもあります。

人間が映っていても、どこかドライで人間味を排除したデザインが特徴的です。

スピッツや椎名林檎(事変も含め)、赤い公園などのアートワークを手がける彼の創造したビジュアルは、音楽とは別に、スーパーカーのアイデンティティとして、経年変化に耐え、今の時代でも際立った存在感を放っています。

普段使えないようなアイデアをそのままできるので、(中略)本当に「実験の場」という感じでした。

木村豊

もしかしたら、アルバムごとに新たな方向性を模索し、絶えず進化を続けたスーパーカーこそが、壮大な実験だったのかもしれません。

その果てには(再結成の可能性がほぼない形で)解散という結末が待ち受けていようとも。

それでも僕に、
少しの男らしさとか広い心が
戻ればまだラッキーなのにね。

過去の名曲たちを聴きながら、「起こりそうもないことを知っている可能性」に微かな願いを抱く。

その楽曲たちは、いつまでも色褪せることはないだろう。