映画「冷たい熱帯魚」はサスペンス・ホラー映画であると同時に、一人の男の壮絶で儚い人生を描いた人間ドラマでもある。
一見平凡そうに見えるが実は歪みきった主人公家族の関係に、序盤から目が離せず、引き込まれていく。
冷凍食品ばかりを食卓に出し、夫に内緒でタバコを吸う妻、そして両親を無視して夜遊びに出かける娘。
ストレスでトイレで嘔吐する夫。
夫婦の営みもあまり無さそうな様子だ。
この辺りの家族の壊れっぷりを描いた演出が非常に上手い。
主人公と娘の関係、主人公と妻の関係もさることながら、妻と娘の関係も良くない。
それもそのはず、妻の妙子は後妻なのである。
前妻の娘・美津子は多感な時期に母親が死に、すぐに父親が再婚したのが気に食わないのだ。
妙子がタバコをやめたフリをしているのも、美津子が嫌がったからだ。
美津子は両親への腹いせのつもりなのか、スーパーで万引きをして店員に捕まり、主人公夫婦は店に呼び出される。
そこに偶然居合わせた村田という男が、主人公・社本の運命を大きく変えていく。
村田は人懐っこく陽気な性格で、社本一家の内情にぐいぐい入り込んでくる。
父親には反抗的な娘の美津子も村田にはすぐに懐いてしまい、村田の店で住み込みで働くことが決まる。
村田は社本の同業者で熱帯魚店を経営しているが、社本の小さな店とは比べ物にならないほど大きな店を持っている。
美人で若い妻との夫婦仲も良さそうだ。
人の良い社本はそんな村田に嫉妬こそしないものの、心のどこかにおそらく羨望の気持ちはあっただろう。
村田という男は人の心を掴むのがうまい。
実はこれはサイコパスの特徴でもある。
村田の人間的な魅力に、社本の妻の妙子も娘の美津子もあっという間に引き込まれてしまう。
だが、神経質な社本はまだイマイチ村田を信用しきれていなかった。
村田からビジネスパートナーにならないかという提案を持ちかけられても、断るぐらいには。
やがて村田は社本の目の前で出資者の吉田を殺害する。
そして「お前もこうなりたくなかったら言うとおりにしろ」と社本を脅し、死体を運ぶのを手伝わせる。
車の運転中は「妙子と美津子がどうなってもいいのか」と脅して、逃げないようにする。
社本が殺人現場を見たショックでパニックになっているのを利用し、脅迫と命令で余計なことを考えられないようにし、従わせる。
巧妙な洗脳の手口だ。
この後の死体処理の場面が残酷でグロテスクだと話題になっている。
風呂場で死体を解体し、骨と肉に分け、肉は唐揚げぐらいの大きさに切り分けて川に捨て魚の餌に、骨はドラム缶の中で焼いて粉々にし、山にばら撒く。
骨を焼くときに匂いを誤魔化すため醤油をかけるところなどは芸が細かくてリアルさを感じた。
さすが、実話を元にしたというだけある。
場所が山奥の廃教会というのも独特の雰囲気があって良い。
村田夫婦は手慣れたもので、楽しそうに談笑しながら解体作業を進めていく。
その様子が、これが初めてではないことを物語っていて恐ろしい。
そして彼らにとっての命の軽さが、恐ろしい。
村田夫婦は自分たちの邪魔になる者は容赦なく殺してしまう。
村田の周囲では三十人以上もの人間が行方不明になっていると、刑事が言っていた。
やがて村田は弁護士の筒井と彼の運転手をも殺してしまう。
吉田のときと同じように廃教会の風呂場で死体を解体し、骨を焼いた後、川に肉片を捨てに行った際に、村田は社本を挑発する。
村田は気の弱い社本を強い男にしたいと考えていたのだろう。
社本のことを幼い頃の自分と似ていると語っていたことから、自分の幼少期と社本を重ねて見ているのかもしれない。
村田は社本を殴り、社本の妻・妙子と寝たことをほのめかす。
怒った社本は村田に殴りかかるが、力が足りず、逆に殴り返されてしまう。
さらに村田は社本に自分の妻・愛子とのセックスを強要する。
その際、彼らの理不尽な仕打ちに耐えかねた社本は、ボールペンで愛子の首を刺し、村田の首も何度も刺して反撃する。
ここで村田と社本の立場は逆転する。
村田に勝ったことで、社本は自分も村田のような力を手に入れたような気分になったのだろう。
村田のように強くなれば、暴力をふるえば、望むものは何でも手に入れられるのではないか。
そんな淡い期待を社本は抱いたのかもしれない。
社本は愛子に命令して村田にとどめを刺させ、死体を解体させる。
その間に村田の店から無理矢理美津子を引きずって自宅に戻り、妙子を怒鳴りつけて食事の支度をさせて家族三人で食卓を囲む。
食事中に外に出かけようとする美津子を殴って気絶させ、家に引きずり戻す。
そして娘のいる部屋で妙子とセックスする。
(度々出てくるセックスの描写も、人間の生々しい欲望を描くうえでは欠かせない演出だと思う)
これが社本の望んでいた理想の家族なのだろうか?
いや、違う。
結局暴力に訴えてみても理想通りの家族にはなれないのだ。
そうとわかった社本は、すべて終わらせようと、妻と娘を車に乗せて山奥の廃教会へ向かう。
そして愛子を殺し、妙子を殺して、美津子にも手をかけようとしたが、思いとどまる。
「人生ってのはな、痛いんだよ」
このときの社本の一言が、この映画の最も伝えたいことなのかもしれない。
そして社本は娘の目の前で自分の首を切って自殺する。
彼は身を持って人生の厳しさを娘に伝えたかったのだろう。
だがそんな親心も虚しく、美津子は父親の死を悲しむどころか、喜び嘲笑うのだった。
何もかも思い通りに行かない。
それもまた人生だ。
刑事が駆けつけたときに外の椅子に血まみれで座っていた社本の姿はとても印象的だった。
下半身が解体され上半身だけの姿になった村田に愛子が抱きつくシーンも壮絶で、印象深い。
彼女の人生もまた、考えてみると壮絶だ。
強い男に従い、犯罪に加担させられ、最後には夫を自分の手で殺し遺体を解体する羽目になる。
彼女もまた、村田による洗脳の犠牲者なのかもしれない。
そう考えると憐れに思えてくる。
この映画には、村田という一人のサイコパスのせいで人生を狂わされた人々の姿が描かれているのだ。
中でも元々家庭に問題を抱えていた社本に焦点を当てたのは、大成功だったと言える。
最初から噛み合わなかった歯車は、力任せに動かそうとしても動かない。
ただ壊れていくのみである。
社本の夢は、ただ妻と娘に愛されて、妻と娘が仲良くしてくれて、好きなプラネタリウムを三人で一緒に見に行けるような家族になりたかった、それだけだ。
そんなささやかな夢は叶うことなく、社本は自ら家庭を破滅させた。
それが社本という男の人生だった。
最初は妻と娘を人質に取られ脅されて犯罪に協力させられたようなもので、社本は家族を守るために戦っていた。
それが最終的には自らの手で家族を壊すことになるなんて、皮肉なものだ。
この映画は、不思議と何度も見たくなってしまう。
胸糞悪く後味が悪い映画なのに、何故だろう。
主人公の最悪な人生を見て、それに比べたら自分のほうがマシだと安心したいのだろうか。
それもあるかもしれないが、それだけじゃない気もする。
人生を描いた芸術作品には、深みがある。
社本という人間は、この映画の中で確かに生きていた。
生きて人生を過ごし、悩み、怒り、泣き、そして死んでいった。
だからこの映画は素晴らしいのだ。
人生というものは、たとえ最悪でも素晴らしいものなのである。