映画「ソーシャル・ネットワーク」の批評と感想。

Facebookを使っていますか?
もし使っているのであれば、それがどうやって生まれたのかご存知でしょうか?

今や私達の生活に欠かせないものとなったSNS。
友人との交流に良し、情報収集に良し。
何より、無料で使いやすいですよね。
しかし、そのサービスが生まれた背景を知る機会はそれほど多くありません。

今回ご紹介する「ソーシャル・ネットワーク」という映画は、巨大SNSであるFacebookの創始者を主人公として取り上げた作品です。
どうやってFacebookは生まれたのでしょうか。
また、その創始者とはどのような人物だったのでしょうか。

この記事では、映画「ソーシャル・ネットワーク」を実際に観た感想や批評を書いていこうと思います。

映画「ソーシャル・ネットワーク」の概要

映画「ソーシャル・ネットワーク」は2010年公開のアメリカ映画です。
Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグがサイトを作り上げていく様が描かれた作品であり、伝記映画の一環と言うことができるでしょう。

監督は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」で知られるデヴィッド・フィンチャー。
主演のザッカーバーグ氏役には「ゾンビランド」のジェシー・アイゼンバーグ。
そして主人公の親友で、facebookの共同創始者役として「アメイジング・スパイダーマン」のアンドリュー・ガーフィールドが起用されています。

普通の人からは想像もできないような、天才の生活とその悩み。
ザッカーバーグ氏はどのような大学生活を送っていたのでしょうか。

あらすじ

主人公であるマーク・ザッカーバーグは、名門ハーバード大学に通う学生でした。
彼は天才的なプログラミングセンスを持ち、自身の才能と学歴を高く誇っていました。

ある日、マークは恋人のエリカにフラれてしまいます。
その理由は、マークがエリカの学歴を(その気なく)バカにしたことでした。
別れに納得のいかないマークは、ブログにエリカの悪口を書き連ねます。

その晩、マークは親友と共にとあるWebサイトを作り上げます。
それは「Facemash」というもので、女性の顔をランク分けするものでした。
それに用いる写真は、ハーバード大学のサイトをハッキングして入手したものです。

「Facemash」は瞬く間に学生間で話題となりました。
多くの学生がアクセスした結果、大学のサーバーがダウンしてしまいます。

この騒動は大学の知る所となり、マークは処分を受けてしまいます。
しかし、これをきっかけとして生まれる出会いがありました。

重厚感と若さを両立させた人間ドラマ~映画「ソーシャル・ネットワーク」の批評

私達の身近にいつでもある、スマートフォンという存在。
そして、その機械を起動すれば、いつでも繋がっているネットの世界。

その世界では昼も夜も無く、場所も一切問われません。
いつでもどこでも望むままに、思い思いの情報を得ることができます。

そして、そのネットの世界を対人型に特化させたのが、SNSというもの。
このSNSは今や、友人間での連絡ツールとして、そして、情報収集のためのツールとして、私達にとってなくてはならないものとなってきました。

考えてみてください。
TwitterやLINE、そしてFacebook。
それら全てが無くなったとすればどうでしょうか。
おそらく、友人と連絡を取ることですら、少しばかり億劫になってしまうのではないでしょうか。

今作は、SNSの代表格Facebookを作り上げたマーク・ザッカーバーグ氏について詳細に描かれています。
Facebookの創始者である彼はどんな人物であったのか。
なぜ、Facebookを作ろうと思ったのか。
そして何より、どうやってFacebookを成長させていったのか。
「ソーシャル・ネットワーク」では、そうした知られざる1面を詳しく知ることができるのです。

これだけ聞くと、「ソーシャル・ネットワーク」という映画は、ザッカーバーグ氏のサクセスストーリーだと思うかもしれません。
しかし、今作を見ていくとそうではないことが分かります。
「努力の結果」よりも「成功していく過程と、失ったもの」に重きを置いて描かれているからです。

ザッカーバーグ氏が努力して得たものは、多額のお金と高い名声。
そして、それらを得る過程で、信頼や友情、そして恋人からの愛情を失いました。
どれも一度無くせば、なかなか手に入らないものばかりです。

愛情・友情・信頼。
この全てはもろく、壊れやすいもの。
その分これらをしっかりと描いていけば、重厚感のある人間ドラマとなり得ます。

初めて映画「ソーシャル・ネットワーク」を見るのであれば、アメリカンドリーム的な作品などと考えてはいけません。
この作品はあくまでも「人と人」を見る作品なのです。

主人公のザッカーバーグ氏は、作中では大学生年代。
つまり、まだまだ若く青臭い時期です。
しかし、青臭くとも頭脳は天才。
成熟した面も持ち合わせており、そのギャップはリアリティを生み出しています。

リアリティがあれば、人は登場人物を自分に置き換えて考えるでしょう。
そして、どの人物に感情移入するかで、物語全体のイメージが変わっていくはずです。
また、それにより見終わった後の感想も大きく違うでしょう。

こうした点を踏まえて考えると、「ソーシャル・ネットワーク」はなかなかに複雑な映画と言えそうです。

さて、あなたは誰の立場に立って映画を鑑賞するのでしょうか。

映画「ソーシャル・ネットワーク」を見て

人間という生物は、多かれ少なかれ名声を求めるものだと思います。

自分の優秀さを示したい。
他の人より目立ちたい。
自分より劣っていると思える人に負けたくない。
自分を肯定したいという気持ち。
そして、多少の自己顕示欲。
勿論、筆者もこれらの感情を持っていることは否定できません。

では、いざ名声を得て自己顕示欲を満たしたとき、その人の周囲はどうなってしまうのでしょうか。
筆者は「ソーシャル・ネットワーク」を見て、なかなかないであろうと思える、そんな未来について思いを馳せてしまいました。

名声を得るために、そして、自己顕示欲を満たす為には、大なり小なり利己的な行動が必要です。
余程の地位が元々ある場合を除き、高みに上がるためには他者を蹴落とす必要があるからです。

他の人を蹴落としてでも高みに上る。
それは決して悪いことではありません。
しかし、その先にあるものを考えると、少しばかり寂しい気持ちにさせられます。

作中で描かれるマークは、悪人ではありません。
しかし、ナチュラルに人を見下してしまう人物でもあります(本人がその通りであるかはともかく)。
それが恋人にフラれる原因となり、同時に、親友の信頼を失う原因ともなりました。

それでも、この要素が他人を蹴落とすためには重要なのです。
そしてそんな要素を持っているからこそ、最初から最後まで天才でいられるのでしょう。

天才に憧れる凡人である筆者は、どうしたって天才に憧れてしまいます。
キラリと光る頭脳の閃き。
一瞬にして導きだされる、到底理解できない事実の数々。
「もし、自分がそうであれば……」
と本気で考えてしまうのです。

それでも、この映画を見ると、その思いにブレーキがかかります。
天才の頭脳と引き換えに孤独に襲われるとしたら……

主人公のマークは、基本的に他者に嫌われることを恐れません。
だからこそ大胆な行動を取る事ができ、偉大な成功を掴むことができたのでしょう。
大胆な行動のためには、嫌われる覚悟も必要です。

しかし、そんな彼でも親友を失うのは辛いのでしょう。
映画の終わり間際に映し出される親友との別れには、そんな思いが滲み出ています。

栄光・名誉・名声。
それを手にするのは、確かに素晴らしいもの。
しかし、それだけで良いのでしょうか。
この「ソーシャル・ネットワーク」は伝記的映画でありながら、見る側にその思いを突き付けてきます。

果てしない上昇志向を持つ人は、一度見てみることをお勧めします。

まとめ

誰もが使っているサービスや商品。
その背景には、どんな物語があるのでしょうか。

映画「ソーシャル・ネットワーク」が描くのは、そんな隠された物語です。
巨大なFacebookというSNSを作った天才の努力や苦悩、孤独さ。
そして、人間そのもの。

こうした物語は、普段使っている分には、あまり気にすることがありません。
利便性に目が入ってしまうからです。
しかし一度、「なぜこうしたサービスを作ったのだろう」と考えると、その奥が知りたくてたまらなくなってしまいます。

Facebookと言えば、数多くのサービスの中でも、私達にとって身近なもの。
あって当たり前のものであり、なくてはならないものでもあります。
ならば一度、その背景について考えてみてください。
この「ソーシャル・ネットワーク」は、そんな裏側に目を向けるための材料として、とてつもなく相応しいものだと言えるでしょう。

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