世の中では、名作と言われ、長きに渡って高い評価を受け続ける映画があります。
また、名作とは言われずとも、広く様々な人から愛され続ける映画もあります。
しかし中には、狭く深く、ごく一部の人の間で熱狂的に好まれ続ける「カルト映画」も少なくありません。
今回取り上げていく映画『ロッキー・ホラー・ショー』は、そんなカルト映画に数えられる作品の1つ。
その内容はまさにカルト中のカルト映画。
この記事では、『ロッキー・ホラー・ショー』の批評並びに、実際に見た感想を書いていきたいとおもいます。
映画『ロッキー・ホラー・ショー』の作品概要
映画『ロッキー・ホラー・ショー』は、1975年公開のミュージカル映画です。
公開当時の評価は芳しくなかった(むしろ最悪)だったものの、徐々にリピーターを獲得。
現在でも愛され続けるカルト映画の代表格となりました。
監督はジム・シャーマン。
脚本&音楽を担当するのはリチャード・オブライエン。
リチャード・オブライエンは舞台版の原作者でもあり、映画でもキーパーソンを演じています。
主演は1990年の「It」でペニーワイズを演じたティム・カリー。
また、主要な登場人物を若い頃のスーザン・サランドンが演じています。
今作の特徴は、その荒唐無稽かつセンセーショナルな内容と、それを彩る素晴らしいロック音楽にあります。
万人受けする作品とは言えませんが、好きな人はとことんハマってしまう作品と言えるでしょう。
あらすじ
ブラッドとジャネットは若い恋人同士。
結婚を決めた2人は、恩師のスコット博士に報告をしようと車で出発します。
道中嵐に見舞われた2人は、途中で見かけた洋館で電話を借りることにしました。
そして、不気味な男に招き入れられた2人は、おかしな格好をした人々が歌い踊る、奇妙過ぎるパーティを目の当たりにします。
そのパーティの目的は、洋館の主人が人造人間を作り上げたことを祝うものでした。
古いエレベーターから降りてきた洋館の主人の名前はフランクン・フルター。
レオタードに網タイツを身に着けた、大柄な男性だったのです。
映画『ロッキー・ホラー・ショー』批評~バカバカしいのが素晴らしい、最高の映画~
最初に言っておかなければならないのは、映画『ロッキー・ホラー・ショー』は、誰もがその作品性を認める名作でも、皆が楽しめるような傑作・快作でもありません。
ごく一部の人に熱狂的に愛される反面、激しく嫌われることもある、カルト映画の代表格です。
通常、多くの人に好まれる名作や傑作というものは、それなりに作り込まれたストーリーラインがあるものです。
例外として、アクションに重きを置いた作品の場合は、ドラマ性に欠けることもあるでしょう。
しかし、それを補うアクションの派手さや演出の素晴らしさがあるものです。
また、様々な人に見られる作品には、分かりやすいテーマが使われていることが多いものです。
例えば、「未知との遭遇」・「冒険活劇」・「恋愛」・「太刀打ちできないような恐怖」など。
では、今作はどうでしょうか。
今作は映画であるため、もちろんストーリーを有しています。
しかし、練り込まれたストーリーとはとても言えません。
考えられてはいるのでしょうが、スコット博士が車椅子ごと壁を破壊するシーンや洋館が飛び立つシーンなど、突っ込みどころや行き当たりばったり感のあるシーンが非常に目立つからです。
そして、肝心のテーマはどうでしょうか。
フランクン・フルター(以下、フルター博士)たちが異星人であるため、「未知との遭遇」に近い部分はあります。
しかし、それが「未知」かと言われると、若干悩んでしまいます。
彼らはトランスヴェスタイト(異性装)ではあるものの、人間と同じ容姿で、似たような感情を持っているからです。
つまり、ここまで述べた通り、今作は名作や傑作などに共通するものがないのです。
しかし、それでいてなお、今作は最高の映画の1つと言っても過言ではないでしょう。
なぜ今作が最高の映画か。
それは、今作が駄作扱いされてしまう要因の1つでもある「バカバカしさ」にあります。
そもそも、今作は難しく考えるべき映画ではありません。
映像のチープさも、様々な突っ込みどころも全てひっくるめて楽しむ作品なのです。
以下で、今作の登場人物たちの関係を少し説明していきます。
今作の主人公は、洋館の主である、フルター博士でしょう。
彼は性別関係なく愛し、性関係を持つことができる人物です。
そして、ブラッドとジャネットはそれぞれの童貞と処女を、彼に奪われることになります。
次に、洋館で働くリフ・ラフとマジェンタは兄妹であり、おそらくリフはホモセクシュアル、マジェンタはレズビアンです。
さらに1人、居候兼召使であるコロンビアは、元々フルター博士のファンであり、肉体関係もあったと考えられます。
また、彼女はフランケンシュタインにそっくりの容姿を持つエディを、熱烈に愛しています。
しかしエディもまた、フルター博士となんらかの関係があったと示唆されています。
上記の説明で概ね分かるとおり、今作はハチャメチャです。
性的な描写が多いだけでなく、怖さはないものの、カニバリズム的な描写も含まれています。
その描き方は、わざとアンモラルな内容を詰め込んだようにも感じられます。
もしこれが美しい映像で、非の打ちどころもないようなストーリーで描かれていたとすればどうでしょう。
アンモラルさを表に打ち出した映画は少なくありません。
しかし、その多くは暗い雰囲気を持ち、グロテスクすぎるシーンを含むものも少なくありません。
少なくとも、カルト映画の一角には入るでしょうが、現在でも愛され、世界各地で上映会を催されるような作品にはならなかったことでしょう。
つまり今作では、行き当たりばったり感やチープさ、突っ込みどころといったバカバカしさが良い方向に作用しています。
そして、良い方向に持ち上げるだけでなく、アンモラルさを笑いに変え、深く考えずに騒ぎながら見る(べき)作品に仕上げているのです。
今作の魅力には、その音楽も含まれます。
これはまた、次の感想の項で語って行きましょう。
映画『ロッキー・ホラー・ショー』を見た感想
初めて映画『ロッキー・ホラー・ショー』を見たのは、様々なカルト映画を漁っていた大学生の時。
『時計じかけのオレンジ』や『エル・トポ』を見たのと同じ頃で、衝撃を受けるのは慣れていると感じていました。
しかし今作では、それらとは全く異なるジャンルの衝撃を受けることになりました。
まずは、内容の無茶苦茶さ。
低予算映画の中でも稀にみるハチャメチャさを持ち、その中で流れる音楽が素晴らしいと感じたのです。
今作は音楽に重きを置いたミュージカル映画です。
音楽が挿入される頻度は、他のミュージカル映画に比べても多いうえ、それぞれの音楽が非常に魅力的です。
今作で歌われる音楽は、全て原作を書いたリチャード・オブライエンが担当しています。
そして、彼が作る音楽は古き良きロック調で、音楽に詳しくなくとも、自然と体が動いてしまいます。
フルター博士を演じるティム・カリーの鼻にかかった、それでいて、男らしさを失わない歌声も、音楽の雰囲気作りに大きな役割を果たしています。
音楽の素晴らしさに惹かれて以降、DVDを買い、サントラを買い、見返したり聞き返したりしました。
都度新しい発見がある、というような良い理由があるわけではありません。
ただただ、楽しかったのです。
そのうち、映画内に散らばる古いホラー映画やSF映画のオマージュを、いくつか発見しました。
実際にその元ネタを見たものもあれば、知るに留めたものもあります。
どちらにしても、何だか心愉しい時間だったことを覚えています。
初鑑賞からかなり長い時間が経った現在でも、年に数回、今作を見返しています。
そしてやはり、音楽とハチャメチャさに心ゆすぶられる、楽しい時間を過ごしているのです。
まとめ
映画『ロッキー・ホラー・ショー』の批評と感想について語ってきました。
この記事の最初の方から述べている通り、今作は万人におすすめできるものではありません。
一般的に知られている映画とは全く違う作品であり、アンモラルな内容を扱っているためです。
しかし、私と同じようにロック音楽が好きで、バカバカしい映画も見てみたいという人がいれば、是非今作をおすすめします。
はまり込むかどうかは分かりませんが、少なくとも、これまでとは違う感覚に陥るはずです。
この記事を読んで、今作を愛する人が一人でも増えることを願っています。