人は赤ん坊の姿で生まれ、年老いて死んでいく。
そんな当たり前が崩れたとしたらどうしますか?
あなたが、もしくは、あなたの子供が、年老いて生まれ、年月が経つごとに若返るとしたら……
映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、そんな「当たり前」から外れた男性の生涯を描いた作品です。
この記事では、今作を実際に見た感想と、批評を語っていきたいと思います。
映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の作品概要
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、2008年公開の映画作品です。
奇妙な運命を背負って生まれたベンジャミン・バトンと、彼を取り巻く人々のドラマを描いています。
監督は「ゴーン・ガール」に代表される、絶妙な語り部であるデヴィッド・フィンチャー。
主演は、共に名作映画に多数出演しているブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの2人が演じています。
今作の上映時間は約3時間と長いものの、見ている途中で飽きることがありません。
不思議な雰囲気と人間ドラマの数々に、作品の世界に入り込むことができるでしょう。
あらすじ
ハリケーンが近づく2005年のニューオーリンズ。
老女であるデイジーは、病院のベッドで死に瀕していました。
苦しい息の中、デイジーは娘のキャロラインに、とある日記帳を声に出して読んで欲しいと頼みます。
その日記には、ベンジャミン・バトンという男性の記憶が書かれていました。
ベンジャミンは、奇妙な運命を背負った人物でした。
80歳の老人の姿や病気を持って生まれたのです。
そして彼は、その事実を恐れた父親によって捨てられてしまいます。
ベンジャミンは、老人施設を運営する夫婦によって引き取られ、老人たちに囲まれて育ちました。
年老いて生まれた彼は、成長するごとに若返っていきます。
そして、自力で歩けるようになった彼の前に、少女・デイジーが現れたのです。
長い物語を一気に見せる素晴らしさ~映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』批評~
特定のスペクタクル溢れる作品は別でしょうが、長尺の映画というものには中だるみがつきものです。
どこかの段階で物語の緩急が無くなり(もしくは飽きてしまい)、少しばかり休憩したくなってしまうのです。
では、映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』はどうでしょうか。
今作の尺は、165分とかなり長いもの。
そして、物語の中心を占めるのは、主人公・ベンジャミンの生きざまと、それを取り巻く人々を描いた人間劇です。
戦争のシーンや恋愛要素は含まれるものの、ドキドキワクワクするような「冒険活劇」的なものではありません。
にもかかわらず、今作は見る人の気持ちをがっちりと掴んでしまいます。
その理由を考えて見ると、第一に、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットという、名優同士のダブル主演が挙げられるでしょう。
ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの両者は、見事な特殊メイクで、それぞれの年代を演じ分けています。
特に、ケイト・ブランシェットが演じた老年のデイジーは素晴らしいもので、本当の老人が演じているように思えるはずです。
俳優の演技は、映画にとって重要です。
イマイチな物語でも、俳優が良ければ光ることもあるでしょう。
そして、逆もまたしかりです。
しかし、今作が面白い要因はそれだけではありません。
今作『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、よく「ラブ・ストーリー」だと評されます。
確かに、物語の骨組みとなる部分は、ベンジャミンとデイジーの切なくもロマンティックな恋愛です。
二人の重なり合う期間がごくわずかに限られた、どうしたって、なかなか交じり合うことのできない恋愛です。
では、今作をじっくり見てみましょう。
ベンジャミンとデイジーの恋愛は確かに主題の1つですが、それに割く描写が意外と少ないことに気が付くはずです。
今作の尺の多くは、デイジーとベンジャミンの恋愛模様ではなく、彼と彼を取り巻く人の描写に割かれています。
それは彼の実の父であり、義理の母であり、初めて雇ってくれた船長などです。
勿論、デイジーもその一人。
デイジーはベンジャミンにとって最愛であり、最大の存在感を放つ人物ではありますが、(彼の物語の)一部分にすぎません。
つまりこの物語は、ベンジャミンとそれらを取り巻く人々を描いた群像劇なのです。
今作に登場する人々の人生は、一部を除き、ほとんど語られることがありません。
しかし、彼らが持つごく短いエピソードから、その人となりやどんな人生を送って来たのかを垣間見ることができます
そこで描かれるのは、濃厚な人間ドラマ。
誰が何を考え、ベンジャミンにどんな影響を与えたのか。
そして、どのように生きていったのか。
今作を見ていると、そうした事柄が感情を揺さぶってくるはずです。
今作を、恋愛映画として見ると、あまり面白くないかもしれません。
中には、倫理的な面で嫌悪感を覚える人もいるでしょう。
しかし、群像劇だとして観賞すると、その深さと面白さが増します。
そして、長尺の物語であるにも関わらず一気に見てしまう名作を創り上げているのです。
「終わりが見える」ということ~映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』感想~
私たちは赤ちゃんとして生まれ、ある程度の制約はありつつも、いつまで続くか未知数な人生を送っています。
それは辛く厳しいことではあるものの、同時に楽しいことでもあるはずです。
しかし、今作の主人公・ベンジャミンはそうではありません。
彼には、私たちに見えない「終わり」が明確に見えているのです。
ベンジャミンは80歳の老人として生まれました。
そして、成長するごとに若返っていきます。
目が見えるようになり、歩けるようになり、セックスも楽しめるようになり……。
彼の成長は、普通の人とは反対方向に進んでいるのです。
これをひっくり返すと、ベンジャミンの寿命は80年しかない、と考えることができるでしょう。
また、ベンジャミン自身だけでなく、彼の事情を知るデイジーも認識しているはずです。
ベンジャミンは若い時、後方支援要員として太平洋戦争に参加しました。
そこで目にしたのは、まだ年寄りに見える自分を雇い、船に乗せてくれた船長や仲間の死。
この時ベンジャミンは何を思ったのでしょうか。
命について、何かしら考えたはずです。
すぐ背後に迫る濃厚な死の臭いか、遥か遠くにある、確実な死か。
それと同時に、「生」についても考えたことでしょう。
ベンジャミンの寿命があらかじめ決まっているということは、作中では触れられることはありません。
しかし、物語の重要な要素であることは間違いないはずです。
物語の終盤、少年の姿になったベンジャミンと、老人になったデイジーが再び出会うシーンがあります。
その時の彼は幼い子供の姿でありながら認知症を患っており、デイジーの事も覚えていませんでした。
それでも、デイジーはベンジャミンを愛し、面倒を見続けます。
この時のベンジャミンに残された時間は、おそらく10年から12年程度でしょう。
デイジーはそれが分かっているからこそ、夫としても恋人として接することのできないベンジャミンと、共に暮らすことを決意できたのかもしれません。
年老いたデイジーとベンジャミンが映し出されるシーンの数々は、少し悲しいながらも微笑ましいような、作中屈指の美しさを誇ります。
そして、人間が持つ寿命というものの「きらめき」のようなものを、十分に感じることができるのです。
まとめ
老人から赤ちゃんへ。
映画『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は、普通の人とは違う人生を歩まざるを得なかった男性・ベンジャミンの人生を描いた作品です。
あくまでも人間ドラマに重点を置いた物語であるため、少し飽きてしまう人もいることでしょう。
しかし、今作は多くの人の心に響く作品であることは確かです。
どうか心静かに、ベンジャミンの生涯を追いかけてみてください。