【The Chemical Brothers】おすすめアルバム「Surrender」の批評と解説。

ビッグ・ビートとは何なのか

ビッグ・ビートというジャンルは曖昧である。

そもそも音楽のジャンル分けというのも線引きが曖昧な場合は多いが、ビッグ・ビートというジャンルは特にその傾向が強い。

例えば、同じビッグ・ビートのミュージシャンとされるファットボーイ・スリムとプロディジーのサウンドは大幅に異なる。

サウンドのみを考慮すると、ファットボーイ・スリムをビッグ・ビートとするならばプロディジーはビッグ・ビートではなくガバかロックである。

プロディジーをビッグ・ビートとするならばファットボーイ・スリムはビッグ・ビートではなくファンクかハウスである。

ベースメント・ジャックスをビッグ・ビートにカテゴライズする人もいるし、アンダーワールドをビッグ・ビートと呼ぶ人もいる。
ジャンキーXLは作品によってテクノだったりハウスだったりトランスだったりブレイクビーツだったりと作風がかなりバラつく。

私はビッグ・ビートというのは大きな波のようなものである、と思っている。

1980年代にニュー・オーダーが火を点けたプロトタイプを発展させた何か、それこそがビッグ・ビートの正体で、サウンドとしてはバラつくものの「めちゃめちゃ踊れる音楽」を各自が別々の場所で作り上げ、同時に爆発させたシーン。
それこそが「ビッグ・ビート」なのではないだろうか。

ビッグ・ビートの特徴としては4つ打ちが多いが、プロディジーの楽曲に4つ打ちは少ない(無いわけではない)。

ファットボーイ・スリムの楽曲にも4つ打ちは少ない(これまた無いわけではないし、ノーマン・クックのDJプレイになると逆に4つ打ちがほとんどになる)。

アンダーワールドは主に4つ打ちだ。
ベースメント・ジャックスは半々くらいか。

とにかく、共通するのは「めちゃめちゃ踊れる」音楽だという事である。

ニュー・オーダーが火を点け、ハッピー・マンデーズが油を注ぎ、ストーン・ローゼズが色を塗り、プライマル・スクリームが「スクリーマデリカ」で花咲かせたエネルギー、「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」が最高到達点に達し、プロディジーが「ブリーズ」で、アンダーワールドが「ボーン・スリッピー」で、ファットボーイ・スリムが「ライト・ヒア、ライト・ナウ」で、ベースメント・ジャックスが「レッド・アラート」で、そして、ケミカル・ブラザーズが「ヘイ・ボーイ、ヘイ・ガール」で爆発させたその波こそが「ビッグ・ビート」の正体なのではないだろうか。

というわけで、今回はビッグ・ビートの代表格、ケミカル・ブラザーズのアルバムから一枚、おすすめとして紹介してみようと思う。

「予兆」を感じさせるアルバム

前項で触れたビッグ・ビートのミュージシャンはいずれも「爆発の予兆」となる作品をリリースしている。

「ザ・ファット・オブ・ザ・ランド」が世界的に大ヒットしたプロディジーはその前の作品、「ミュージック・フォー・ザ・ジルテッド・ジェネレーション」で代名詞とも言えるロックギターのサンプリングを大々的に行い、ニルヴァーナの「ヴェリー・エイプ」をサンプリングした「ヴードゥー・ピープル」に代表されるクラシックの多くを発表した。
そして発表された「ザ・ファット・オブ・ザ・ランド」は全世界で1000万枚を超えるメガヒット。
プロディジーの名前をクラブシーンのみならず全世界に轟かせた。

アンダーワールドはダレン・エマーソンの加入によりサウンドが大幅に変化。
それまでのニューウェーブサウンドから一気にテクノへ接近し、公式な1stアルバム「Dubnobasswithmyheadman」をリリース。
代表曲の一つである「カウガール」が収録されたこのアルバムでアンダーワールドは新境地を開拓。
そして、泣く子も黙るクラブ・アンセム「ボーン・スリッピー」の発表へと繋がるのである。

ファットボーイ・スリムも1stアルバム「ベター・リヴィング・スルー・ケミストリー」を発展させた2ndアルバム「ロングウェイ・ベイビー」で一気にブレイク。
現在では世界を股にかけるDJとしてレイヴパーティには欠かせない存在となっている。

ケミカル・ブラザーズはどうだろうか。
それまでロックの激しさと緻密なブレイクビーツを特徴としていたケミカル・ブラザーズはオアシスのノエル・ギャラガーをゲストに迎え「セッティング・サン」で一躍ブレイク。
収録アルバム「ディグ・ユア・オウン・ホール」はUKチャートで初の一位を記録。
このアルバムが起爆剤となり私がおすすめしたい次のアルバム「サレンダー」の発表へと繋がる。

サウンドの転換と過去の継承、そして未来への発展

それまではドタバタとした勢いと若さを感じさせるブレイクビーツ・サウンドを持ち味としていたケミカル・ブラザーズだが、この「サレンダー」では後に繋がる「浮遊感・トリップ感」が強く前面に出ている。
アンセムとなったM9「ヘイ・ボーイ、ヘイ・ガール」は勿論、不穏な電子音が脳みそをくすぐるM1「ミュージック・レスポンス」、高速ブレイクビーツに乗せてノイズが駆け巡るM2「アンダー・ザ・インフルエンス」、ニュー・オーダーのバーナード・サムナーとプライマル・スクリームのボビー・ギレスピーをゲストに迎えた攻撃的テクノM3「アウト・オブ・コントロール」はその後発表されたプライマル・スクリームのアルバム「エクスターミネーター」にも影響を与えたと思わせるサウンドに仕上がっている。

その他にもブレイクビーツとダブを融合させたM4「オレンジ・ウェッジ」などどこを切り取ってもハズレのない完璧なアルバムであると思う。
再びノエル・ギャラガーをゲストに迎えた「レット・フォーエヴァー・ビー」では「スクリーマデリカ」を思わせる陽光のサウンドが「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」の影響を確かに感じさせるなど、UKの音楽史の系譜を楽しめるが、私はなんと言っても「ヘイ・ボーイ、ヘイ・ガール」この曲こそがこの「サレンダー」及びケミカル・ブラザーズのキャリアを通じての真骨頂だと思う。

蝿が飛び回るようなノイズに乗せて、サンプリング元であるRock Master Scott & the Dynamic Threeの「ザ・ルーフ・イズ・オン・ファイア」のバスドラが鳴り響く。
そして「Hey Girls, Hey Boys, Superstar DJs, Here we go!」というループは否が応でも気分を高揚させる。
耳を劈くようなノイズの後に炸裂するケミカル・ビートはUKのみならず世界中を踊らせた。
その余波は日本でも十分に受け入れられ、フジロックフェスティバルではこのアルバムを皮切りに現在までに通算5度のヘッドライナーを飾るなどまさにキャリアにおける金字塔と呼ぶ作品に値すると思う。

アルバム自体が一つのライヴとして楽しめる

徐々に盛り上げ、熱を入れ、冷まし、爆発させ、クールダウンとハッピーなエンディングで終りを迎える。

このアルバムはまるで一本のライヴである。

メタリカの「マスター・オブ・パペッツ」やピンク・フロイドの「狂気」など、アルバムをそのまま再現するというライヴも多く開催されているが、この「サレンダー」はそのコンセプトにぴったりなアルバムだと思う。

このアルバム後のケミカル・ブラザーズはというと、「カム・ウィズ・アス」ではトランスを取り入れた「スター・ギター」というアンセムを生み出し、「プッシュ・ザ・ボタン」ではア・トライブ・コールド・クエストのQティップをゲストに迎えた「ガルバナイズ」が大ヒット。
アルバムはグラミー賞を受賞するなどその影響はクラブミュージックの範疇を飛び越えるものとなっている。

しかし、私はこの「サレンダー」こそあらゆるタイミングが噛み合った、歴史に刻まれるべき名作だと信じている。

タイミングというのは確かに存在する。
レディオヘッドの「キッドA」はあのタイミングだっただろうし、ニルヴァーナの「ネヴァーマインド」もあのタイミングだった。

そういった名作と並んで何ら遜色のないこの「サレンダー」、一度ご賞味あれ。