映画「スタンド・バイ・ミー」のあらすじと解説。

線路を歩いて死体探しの旅へ……

これだけ聞くとなんとも衝撃的ですが、これは名作映画「スタンド・バイ・ミー」の筋書きです。
このタイトルを聞くと、同名の主題歌が流れてくる人も少なくないことでしょう。

懐かしく、二度と帰って来ない少年時代。
それを切なく、かつ、美しく描き出した映画、「スタンド・バイ・ミー」。

有名で、知られ過ぎているほどの作品ではありますが、実は見れば見るほど発見がある作品でもあります。

この記事では、「スタンド・バイ・ミー」を少し変わった観点で解説していきます。

80年代名作映画「スタンド・バイ・ミー」

「スタンド・バイ・ミー」は1986年公開、スティーヴン・キング原作の映画作品です。
非常に有名な作品で、80年代を代表する名作青春映画と言えるでしょう。

出演者には、23歳という若さで亡くなった名優リヴァー・フェニックスや、若き日のキーファー・サザーランドなどが名を連ねています。
特に、リヴァー・フェニックスの演技は年若い少年でありながら、見る人に鮮烈な印象を与えます。

ホラー小説の大家、スティーヴン・キング原作でありながら、一切のホラー要素はありません。
切なく苦い少年期を描いた物語です。

「スタンド・バイ・ミー」のあらすじ

車の中で物思いにふける、ゴードン。
彼の視線の先には、弁護士であるクリス・チェンバーズが殺されたという新聞記事がありました。
ゴードンは、12歳の頃の記憶に思いを馳せます。

ゴードン(ゴーディ)は子供の頃、アメリカの片田舎に住んでいました。
決して治安が良いとは言えない場所で、不良が溢れているような所です。
ゴードンの友達もまた、複雑な家庭で育っている子供達です。

ある日、ゴードン達が秘密基地で過ごしていると、友達の一人のバーンが面白い情報を持ってきました。
ハーロウと言う場所に、行方不明になった少年の死体が放置されている、と言うのです。

ゴードン・クリス・テディ・バーの4人は有名になるため、線路を歩いて死体探しの旅に出ることを決意します。

「スタンド・バイ・ミー」が描くのは、『子供らしさ』の『死』

青春映画と聞くと、どんなものを思い浮かべるでしょうか。

恋や友情、スポーツ。
そして、ささやかな冒険。
「スタンド・バイ・ミー」はこれらの中でも、友情と冒険を軸に描かれています。
切なく、郷愁溢れる、まさに青春映画。

しかし、「スタンド・バイ・ミー」をただの青春映画と思うなかれ。
よく見てみると、意外にシビア過ぎるものが描かれています。
家族関係や地方の治安問題など様々なものがありますが、今回は『死』について考えていきたいと思います。

その『死』とは、勿論ゴードン達の死ではありません。
そして、主人公たちが求める死体だけの話ではありません。

それは、少年4人が謳歌している『子供らしさ』の死を指しています。

ここから、筆者が感じた「スタンド・バイ・ミー」に描き出された『死』を書いていこうと思います。

線路を歩いて求めるのは『死体』

ゴードン達が短い旅に出た理由は、死体を探すため。
そして死体を見つけて有名になり、一旗揚げることが目標でした。

人は誰もが、怖いもの見たさの心理や、英雄になりたい(虚栄心)という気持ちを持っています。
ゴードン達はこれらの心理と、冒険心が合わさって、死体探しの旅に出ることになったのです。
特に仲の良い友達との冒険は、考えるだけで楽しいものですからね。

では、なぜ探すべき「怖いもの」が「死体」なのでしょうか。

これには、ゴードン達皆が感じている、閉塞感が関係しているように思います。

ゴードンやクリス、テディ、バーンの4人は皆、何かしらの問題を抱えています。
クリスは家族全体に問題があり、頭が良いにも関わらず将来が見通せていません。
テディは父親を愛し憧れながら、その父親から虐待されています。
バーンは頭も良くなく、運動神経にも優れている訳ではありません。

そしてゴードンと言えば、両親、特に父親に見向きもされず、唯一自身を見てくれていた兄を、交通事故で亡くしています。

皆、幸せとは言えません。
むしろ、辛くてたまらないはずです。
そしてその辛さを、友達同士で過ごすことで癒していたのでしょう。
それでも、なんとか現状を打破する方法を探しています。

死体とは、人生の終わりです。
線路はいつか終わります。
終着点があるのです。
そして、線路を辿る旅は、死体を発見することで終わります。

ゴードン達は死体を見ることで、閉塞感からの解放を狙いました。
そしてそれと同時に、人生の終着点も同時に見てしまいました。
どれだけ懸命にあがいても行き着くその場所。
そして同時に、あがかなければ「そうなるかもしれない」なれの果て。

死体を見るのは気持ちの良いことではありません。
しかし、ゴードン達にはそれを「見る必要」があったのです。

銃を人に向けたとき

頭が良く大人びた少年・クリスは、ゴードンの親友です。
その絆は、他の誰よりも強く描かれています。

そんなクリスは、冒険のお供に1丁の銃を持ち込んでいました。
森で獣に襲われるかもしれませんし、また、別のトラブルに見舞われる可能性があるからです。

アメリカは確かに銃社会ではありますが、銃と(若干12歳の)少年はあまり相応しくない組み合わせです。

先に、ゴードン達は死体を見ることで、現状からの脱却を図り、人生の終着点を見たと述べてきました。
人生の終着点を見ることは、ある意味での成長に繋がります。
それは、死体を見て恐怖を抱こうが、他のどんな感情を抱いたとしても変わりません。

ゴードン達4人は、死体を見てそれぞれの感情を抱きました。
そして、その感情は決して喜ばしいものではなかったのでしょう。
死体を持って、街に凱旋しなかったのがその証拠です。

それと同時に、死体と手柄を横取りしようとする不良集団とも対峙します。
その集団には、クリスやバーンの兄も入っており、肉親の情など無いかのように、ゴードン達に死体を渡すよう迫って来るのです。

ここで、ゴードン達4人と相対する不良集団の間に、どうしようもない差があることが分かります。

不良集団は体格的にも年齢的にも、はるかに大人に近い青年達です。
対して、ゴードン達は年齢も幼く、体格も小さいもの。
しかし、ゴードンと友人達には、死体を冒涜すまいという気持ちがありました。

子供とは、残酷な面があるものです。
死体を探そうとするのも、その表れでしょう。
不良集団は体が大きくとも、そんな子供らしさから抜け出せていないのです。
彼らはゴードン達のように悩み苦しむよりも、現状を楽しむために不良行為に勤しんでいるのでしょう。

そんな不良集団に、ゴードンは銃を向けました。
ナイフを突きつけられたクリスを助けるため、ゴードンは自分の身を危険にさらしたのです。

映画を見慣れていると、当たり前の行動に思えるかもしれません。
しかし通常、たった12歳の子供にそれができるでしょうか?
できたとしても、かなりの葛藤があるはずです。

ゴードン達は、死体を探す旅を経て見た「子供らしさ」を失いました。
現状に甘んじる子供ではなく、先に進むために大人に近付いたのです。
それはさみしくもあることで、本来であれば、もう少し先延ばしにしても良いことでもあります。

それでもゴードン達は、そうせざるを得ませんでした。
辛い現状を打破して生き抜くためにも。

その決意が、他人に銃を突きつけた瞬間に描かれています。
つまり、銃を人に向けたその瞬間に、彼らの「子供らしさ」が「死」を迎えたのです。

大人になったからこそ見て欲しい映画「スタンド・バイ・ミー」

「スタンド・バイ・ミー」はよく、子供(少年)の内に見ておくべき映画だという意見があります。

確かに、それは間違いではありません。
子供特有の心理的な揺らぎや、仲間意識、不安定さが良く描き出されているからです。

しかし、「大人だからこそ」見て欲しい作品でもあります。
子供の頃の記憶を辿って行くと、どこかしらゴードン達に共感する瞬間があるはずです。
家族との関係、友達の大切さ。
冒険に憧れる気持ち。
そしてコンプレックスの数々。

見れば見るほど、感情移入できる少年がいるはずです。
それは、子供ではない大人だからこそ、ストーリーではなく登場人物に目線を剥けることができるのです。

「スタンド・バイ・ミー」を未見の大人の方。
今からでも遅くありません。
是非、懐かしく美しい映画の世界を訪れてみてください。

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