「少女終末旅行」は、衰退した終末世界でただひたすらに旅をする、2人の少女の物語です。
たくさんの絶望に溢れた2人の旅路は全6巻で構成され、2017年にはアニメ化もされました。
この記事では原作である漫画版にフォーカスを当て、全巻総括した感想をネタバレ込みでお届けします。
「少女終末旅行」全6巻を総括した感想
物語の舞台は、なぜ衰退したのかわからない終末都市。
そこでなぜか2人ぼっちになってしまったチトとユーリは、バイクと戦車を融合させたような乗り物・ケッテンクラートに乗り、なぜ目指すのかわからない都市の最上層を目指します。
「衰退した理由」「2人ぼっちになった理由」「進む理由」という、物語のポイントになりそうなこれらの設定が明かされることは最後までありません。
なぜなら、「少女終末旅行」はドラマティックな設定にスポットを当てた作品ではないから。
本作は、あくまで終末世界の中で生きる2人の女の子の人生にスポットが当たっており、作中では彼女たちが何を感じ、どう生きたかがカギとなっているのです。
説明不足な印象を受ける人もいるかもしれませんが、物語の本質に関係のない要素を徹底的に排除しているからこそ、2人の人生が際立ち、物語に深みを与えています。
さらに「何もわからない世界でどう生きたのか」という部分に全面フォーカスすることで、読者はチトとユーリに共感を覚えるのです。
人間の人生において「理由」が説明できない事柄はたくさんありますよね。
「気づいたら生まれていて、仕方がないから学校や会社に行って、理由はないけど生きている」という感覚に、誰でも一度は陥ったことがあるのではないでしょうか。
「少女終末旅行」の「架空の終末世界に生きる2人」という設定は、一見自分の暮らしとかけ離れたもののように思えますが「何もわからないなかで生きていくしかない」という部分は、間違いなく人間の本質的な共通点になります。
だからこそ、チトとユーリの台詞はとても真に迫って心に訴えかけるものがあり、何度も読み返したくなる中毒性があるのです。
また、作品としても全6巻とコンパクトにまとまっていて読みやすく、長期連載漫画にありがちな「ムダな間延び感」がないところも評価できます。
「少女終末旅行」の見どころやポイント
ここからは、作品全体の見どころやポイントを深掘りしてお伝えします!
根底にある絶対的終末
女の子2人の世界では、どうやったって子孫を繁栄させることができません。
そのため、「少女終末旅行」は「最後は絶対に終末を迎える」ことが確定しています。
2巻では男性キャラクター・カナザワが登場しますが、仲間に加わることなく別れたうえ、4巻では謎の白い生き物・エリンギが「現在生きている人間は君たち二人(チトとユーリ)しか知らない」と発言。
これはつまり、地球上にはもう男性が存在せず、たとえ最上層に食料があったとしても人類は必ず滅亡するということを意味しています。
しかし、それでもチトとユーリが動じることはありません。
2人の明るいテンションと、物語が抱える「終末」というテーマにはとても強いコントラストがあり、見どころの一つといえるでしょう。
2人の感性に刺激を受ける
チトとユーリは人間が暮らした跡だけが残る街をケッテンクラートで駆け抜けつつ、時折休憩がてら足を止め遺産や文化に触れてみます。
墓地や図書館、工場など、私たちの暮らしには当たり前にあるような施設でも、チトとユーリの目には「よくわからない施設」として映ることもしばしば。
だからこそ2人は武器を発見しては「どうしてこんなものを作ったんだろう」と疑問を持ち、ただの住居を訪れては天井がある暮らしに憧れます。
私たちが持つ「常識」を持たない2人は、出会ったものに応じてまっさらな視点から感想を述べ、時にその言葉がズシンと読者の心に響くのです。
「悪いのは武器じゃなくて使う人間だから」「進化というものには限界があるのかもしれません」など現代にも通じる名言が多く、私たちに「生きること」の本質を問いかけてきます。
出会いによって描かれる希望と絶望
「少女終末旅行」の特徴として、1~5巻までの各巻最後に「出会い」にまつわるエピソードが描かれることが挙げられます。
1巻はカナザワ、2巻はイシイ、3巻は自律機械、4巻はエリンギ&ヌコ、5巻は人工知能と出会いました。
どのキャラクターも各々世界にはびこる終末感を覚悟しており、自分にできること、やりたいことなど希望を見つけて生きています。
ですが、独学で飛行機を作って対岸を目指すイシイ、消費者のいない世界で養殖魚の面倒を見続ける自律機械など、各キャラクターのやろうとしていることは客観的に見ればとても希望を持てるものではないと思いました。
しかし、そんなことを一番わかっているのはキャラクター自身であり、実際に飛行機が墜落したり、魚の水槽を解体されそうになったりするなど希望を奪われても、彼らは絶望に打ちのめされたりしません。
キャラクターたちは「やっぱダメか~」と苦笑し、ただ前を向くのです。
このような人たちのことをユーリは「絶望と仲良くなったんだ」と形容し、このキーワードは物語の核を担う存在となります。
出会いを通じて「希望と絶望の対比」を描き、切なさまで表現する本作はまるで文学作品のようです。
6巻のテンポの良さ
物語は少しずつ終末に向かっている雰囲気を出しつつも、決定的な出来事がないまま旅はどんどん続きます。
しかし6巻中盤に差し掛かった「第44話 喪失」の回をきっかけに物語は大きく動き出すのです。
まず、チトとユーリの愛車・ケッテンクラートが壊れ、足を失くした2人の徒歩旅行が始まります。
それまでは軽口や冗談を言い合っていた2人は現実的なことしか話さなくなり、大切にしていた本を燃やしてまで命を繋ぐことを優先するように。
物語開始当初から世界の終わりを意識し、いつかくる絶望を予想していましたが、このようなテンポの良さで来るのは正直予想外でした。
しかし、現実でも何かが変わる時はあっという間だったりするため、変なリアリティがあり、つい引き込まれてしまいます。
虚無感と満足感が交錯するエンディング
物語のクライマックス、最上層に辿り着いたチトとユーリが見たものは、石だけがある何もない空間でした。
人はおろか食料すらないその空間は、近いうちに2人が終わりを迎えることを意味すると私は捉えています。
実際、物語は2人の生死を明かさないまま終わってしまうため、読む人によっていろいろな解釈ができるでしょう。
しかし「生きるのは最高“だった”よね」と過去形で言うユーリに対し、チトが「うん」と返していることから、2人も自分たちはここまでだと理解しているように思いました。
そして、だからこそ物語が終わりを迎えるのだとも。
本作のタイトルは「少女終末旅行」であるため、旅行が続いているうちは物語が描かれ続けるはずです。
2人が今後生き延びる方法がもしもあるのなら、それは違う場所へ移動し旅を再開させることですが、2人はそうしない選択肢を取ったから物語は終わるのだと考えました。
もちろん「頑張って上ったのに何もなかった」という虚無感はありますが「2人の人生を見届けられた」という満足感もあり、とてもよくまとまったエンディングだと思います。
おわりに
「絶望と仲良くなる」という台詞が一つのカギとなっていた「少女終末旅行」。
最後はチトとユーリ自身が絶望と仲良くなり、物語の幕が閉じました。
読み手によって解釈が変わるメリーバッドエンドな作品ですが、2人はハッピーエンドを迎えたと私は解釈しています。
しかし読み返すたび考察の深まる作品でもあるので、これからも定期的に手に取って、2人の旅路に思いを馳せたいです。