【Pink Floyd】アルバム「The Dark Side of the Moon(狂気)」の批評と解説。

世の中のポップミュージックから「イントロ」が姿を消しつつある。

なんでも、サブスクやダウンロード、ストリーミングが隆盛している昨今、曲が始まってすぐに心を掴むモチーフやメロディ、有り体に言えば「サビ」が始まらないと一曲を通して聴かれない風潮になっているというのである。
また、手軽にスキップができる、すぐに次の曲へ飛ばせるストリーミングの時代では「アルバム」という単位も意味をなさなくなってきつつある。

ポップミュージックというのは流行りもあれば廃りもある。
時代に合わせて様々な形に変化するのが常だと思うので、その事について良し悪しというのは一概には言えないが、古くクラシックの時代には「序曲」もあったし、イントロなんて言葉自体がなかった。
全てのパーツが曲を構成する不可欠な要素だった。
曲のタイトルでさえナントカの何番何楽章といった素っ気ないものだったし、ベートーヴェンの「運命」やモーツァルトの「ハフナー」といったタイトルは正式名称ではなく通称に過ぎない。

アルバムという単位はどうだろうか。
個人的に思うに、それまでは単に書き溜めた曲を集めた作品集に過ぎなかったアルバムというものを、始まりから終わりまで、曲順を綿密に精査し、一曲目から最後の曲までを一つの作品として作ったものに変えた最初の作品はビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」ではないかと思う。
「ペット・サウンズ」以降、ビートルズは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を作り、コンセプト・アルバムという言葉を生み出した。
そして、キング・クリムゾンが「クリムゾン・キングの宮殿」でプログレッシヴ・ロックの幕を開け、それまでシド・バレット主導のサイケデリック・ブルースバンドであったピンク・フロイドは「原子心母」でプログレッシヴ・ロックの新たなページを開いたのだった。
そして、ピンク・フロイドが1970年にリリースしたアルバム「狂気(The Dark Side of the Moon)」(以下、「狂気」)は推定5000万枚以上という、プログレッシヴ・ロックのみならず全てのアルバムでマイケル・ジャクソンの「スリラー」に次いで歴代売上枚数2位を記録する大ヒットアルバムとなったのである。

「狂気」はドラムのニック・メイスンによるコラージュ作品「Speak to Me」で幕を開ける。
徐々に大きくなる心音がしばらく続き、レジ・キャッシャーを繰り返し開閉する音、病的な笑い声、左右へとパンする工事現場のような音と共に悲鳴のような声が聞こえ、不穏と不快が最高潮に達したその瞬間に緊張感が解き放たれて浮遊感のある2曲目「Breathe」が始まる。
「Speak to Me」での緊張感を一気に開放する「Breathe」というのは、筆者経験はないものの「麻薬」というのはこんな感じなんだろうか、と思う(実際、麻薬をやってピンクフロイドのアルバムを聴く、ライヴを聴くという事は当時よくあることだったらしい)。
麻薬を未経験の大多数の方々に説明するならば(私もそうですが)、まるで「Speak to Me」で呼吸を止められ、「Breathe」でタイトルの通り呼吸を始める様で、それ程「Breathe」の安堵は心地よい展開だ。
柔らかいがしっかりとした芯のあるニック・メイスンのドラム、ロジャー・ウォーターズのベースと共に空間系のエフェクトをかけたデヴィッド・ギルモアのギター、リチャード・ライトのローズが宙を舞う。
そして、印象的なスライドギターが滑らかにメロディを奏でる。
およそ昨今のポップミュージックには存在しない「確かな導入とイントロ」がこの2曲にはしっかりと存在している。
「狂気」の歌詞は全てロジャー・ウォーターズによるもので、全体的に哲学と皮肉に満ち、抽象的な言葉で記されている。
端的に言えば毒のある言葉だ。
しかし、どの曲にも一筋、「希望」が垣間見える。
それがロジャー・ウォーターズの本音だと、私は密かに思っている。

「Breathe」が放り出されるようにして終わると再び不穏なシーケンスが始まる。
3曲目の「On the Run」は脳内をかき回すようなシンセサイザーのミニマルなフレーズが徐々に大きく、波となって打ち寄せ、不気味な程無感情に刻まれるハイハットの上をうねるような低音が這いずり回り、男の声が聞こえたかと思うと笑い声と共に消えてゆく。
シンセサイザーは相変わらず脳みそをかき回し、左から右、右から左へと何かが通り過ぎてゆく。
音が大きくなったと思ったらシンセサイザーとハイハットは姿を消し、暫し地鳴りのような低音が続く。
その音が消える寸前、突然鳴り響く大音量のベルの音で意識が覚醒する。
まるで、よくわからない不条理な悪夢を目覚まし時計で起こされたときのように不快な目覚めだ。
そしてまるで怒っているように刺々しい声でギルモアが歌う「Time」が始まる。
不穏ではあったが滑らかで穏やかな浮遊感に包まれた「Breathe」とは違い、「Time」は鋭く、痛い。
歌詞の内容は救いようのない現実を歌っている。
世界や時代に向けてではなく、その言葉はあなた自身に向けて放たれる。
時間というすべての人に平等な概念を無駄に打ち捨ててきたことへの警告。
そして、それが既に手遅れであるという残酷なまでのメッセージが誰よりもあなた自身に向けて歌われる。
「On the Run」から「Time」への流れはまるで、夢から覚めた現実は悪夢よりも悪い状況だった、という悲劇を表現しているようだ。
かと思うと、再び「Breathe」の浮遊する世界へと誘われる。
「Breathe (Reprise)」と名付けられたそのパートは、「Time」で現実を痛感した人間が麻薬へと逃避するような錯覚を覚える。
そして、リチャード・ライトによる穏やかなインストゥルメンタル曲「The Great Gig in the Sky」がまるで死を告げるかのように鳴り響く。
楽曲の前半はピアノを主体とした優しいメロディ、後半はバンドサウンドとなり、男が呟く声が聞こえる。

I am not frightened of dying
(俺は死ぬのが怖いわけじゃない)

Any time will do, I don’t mind
(いつ死んだって構わない)

Why should I be frightened of dying?
(なぜそんなに死を恐れるんだい?)

There’s no reason for it, you’ve gotta go sometime
(理由なんて無いけどさ、いつかは誰だって死ぬんだ)

I never said I was afraid of dying
(俺は死ぬのが怖いなんて言った事はないね)

どうやら男は死の淵を踏みとどまり、生、現実に向けて歩き出したようだ。

麻薬も、絶望も乗り越えて。

続いて聞こえてくるレジ・キャッシャーの音。
ウォーターズによる変拍子のベースが喜劇を始めたかのように剽軽に鳴らされる。
現実とは金である。
皮肉なブルース「Money」が幕を開け、ギルモアは唾を飛ばしながら欲望を歌い、激しいギターソロは二部構成、2分間にも及ぶ長尺の楽曲だ。
男同士が何か会話するパートで曲はフェイドアウトし、途切れることなく静かなオルガンの導入から壮大で浮遊感のある「Us and Them」へと続く。
Us and Them、私たちと、彼等。
今までは自己の世界(とカネ)を表現してきたこのアルバムだが、ここにきてようやく自己と他者という根本的な世界の対比へのメッセージが出てくる。
セッション・ミュージシャンであるDick Parryのサックスが成熟した大人をイメージさせる。
自己の世界から抜け出し、人生と向き合うイメージだ。
途切れることなく次の「Any Colour You Like」ではギルモアによる歯切れのいいカッティングギターとライトの重厚なキーボードソロがこれぞピンク・フロイド節といった感じで押し寄せる。
手数の少ないウォーターズとメイスンのリズム隊がしっかりとした土台を作り、ジャム・セッション的な展開だが確かな構成で楽しませてくれる。
ギルモアのギターはころころと音色を変え、唐突に楽曲が終わると矢継ぎ早に「Brain Damage」へとなだれ込む。
「The lunatic is on the grass」と歌いだされるこの楽曲、「lunatic」は狂人の意だが、「luna」はギリシャ神話の月の女神またはラテン語で月そのものを指す。
ここに来てようやく「The Dark Side on the Moon」というタイトルの全貌が明らかにされる。
月を人間の心に見立て、ダークサイドつまり狂気の部分を表現するというアルバムコンセプトがここで姿を表すわけだ。
邦題というのは音楽に限らず映画でも頓珍漢なものが付くこともあるが、この「狂気」というのは秀逸な邦題であると思う。
そしてアルバム最終章、壮大な「Eclipse」つまり月蝕は告げる。

And all that’s to come and everything under the sun is in tune
(太陽の下にある全ては調和する)

But the sun is eclipsed by the moon
(だが太陽は月に覆い隠された)

There is no dark side in the moon really
(月の裏側など存在しない)

Matter of fact it’s all dark
(ただの暗闇がある、それが真実)

そして、始まりと同様、心音で幕は閉じる。

一曲目の始まりから最終曲の終わりまで、人間の心、狂気の部分を表現したこの作品は、今日に至るまで40年以上も息の長いセールスを続けている。

それは、完成度はもとより、人間の心や狂気の部分というのは時代が変わっても不変であることの証左ではないだろうか。

是非、キャッチーなメロディや歌声がすぐに聴こえてこないからと言って即座にスキップせず、一曲目から順番に通して耳を傾けていただきたいアルバムの一つである。