【ネタバレあり】漫画「おじさまと猫」11巻の批評と感想。

「おじさまと猫」は桜井海先生による漫画作品。
2017年に桜井先生がTwitterで発表、2018年より「ガンガンpixiv」で連載がスタート。
その後「月刊少年ガンガン」に移籍、2019年より連載中である。
2021年にはテレビドラマ化するなど、人気作品である。

ストーリーは、ペットショップで見向きもされなかった成猫と、妻を失い、心に傷を負った壮年との出会いから始まる。
何気ない日常から心温まるエピソードまで描かれる。

今回は11巻の批評と感想を紹介したい。
11巻は星鳴と九重の再開、神田が義理の父親に会いに行き、その途中で幼少期の回想シーンが入るなど、見逃せない巻となっている。

星鳴と九重の再会

神田の計らいで、星鳴と九重は久々に再開を果たす。
九重は幼いころ、家が貧乏で高額なピアノのレッスンが受けられなかった。
そこで、星鳴に友達のふりをして近づき、神田にピアノのレッスンを受けていたのだ。

それを知った星鳴はショックを受け、人間不信に陥ってしまう。
九重は星鳴を騙し、傷つけたことを謝るが、星鳴は聞く耳を持たない。
それもそうだろう。
自身の人間不信のトラウマの原因となった人間の話など聞けるものではない。

しかし、九重の「本当は星鳴のことを友達だと思っていた」という本心を聞き、自分も子どもだったと九重を許すのだ。

このシーンは、言葉は少ないがキャラクターの表情など、感性に訴えかけてくるものがある星鳴と九重には仲直りしてほしいけれどうまくいくだろうか?
ハラハラしながら読者は見守るのだ。

互いに、長年、枷になっていた思いをぶつけあうのは勇気のいることだっただろう。
しかし、神田を始め、日比野やジョフロワとの出会いが九重の背中を押したのだ。

前の10巻では九重にフォーカスが当たっており、九重の生い立ちや苦しみが描かれていた。
そのため、九重にも星鳴にも感情移入して物語に入り込むことができた。
「おじさまと猫」では丁寧に段階を追って登場人物の心情を描いていくので、安心して読み進めることができると改めて感じる。

今後の展開についてだが、2人にはぜひとも一緒に音楽をやってほしい。
星鳴はバンドのメンバーを探しているので九重が加わらないだろうかと期待している。

冷酷な神田の母親

神田は教え子である子供たちの発表会に参加できるかどうか不安で一杯だった。
過去にコンサート中に妻が倒れてしまい、その時のトラウマから、コンサートなどの会場では具合が悪くなるようになってしまう。

教え子たちの発表会に出るために、神田は元気をもらおうと大好きな義理の父親に会いに行くことにする。
その途中で神田の母親と再会するのだが、この母親と神田の幼少期のエピソードが紹介される。

神田の母親は神田にピアノの才能があるとわかると、度を越えた熱心な教育をするようになる。
神田は休ませてももらえず、コンクールで優勝しても褒めてもらえなかった。
彼女は勝ち続けることを強いる、冷酷な母親として描かれている。

11巻のあとがきで、桜井先生が神田の母親について語っている。
彼女は彼女で色々大変だったようだ。
まだ、読者は神田から見た冷酷な教育熱心な母親という側面しか見ていないが、九重のときのように何か訳があるのかもしれない。

「おじさまと猫」の楽しみ方として、キャラクターの背景を想像してみるのも面白い。
九重のときも星鳴サイドと九重サイドではまったく見え方が違っていたのを思い出す。

心温まる妻との出会い

神田の母親とは対照的に、神田の心を温かな気持ちにさせていたのが、のちの妻になる鈴音だ。
出会いは小学生の頃にさかのぼる。
神田が学校の帰り道、この後にあるピアノのレッスンで気が重たくなり、お腹が痛くなってしまう。
うずくまっている神田に声をかけてくれたのが鈴音だった。

それをきっかけに神田と鈴音は学校帰りに毎日会うようになった。
神田はコンクールを来週に控えていたある日、せっかく励ましてくれた鈴音に「自分の気持ちなんてわかるはずがない」と冷たく当たってしまう。

その場から逃げるようにして立ち去ってしまう鈴音。
神田は彼女を追って、彼女の家に上がるのだが、そこで鈴音の母親が亡くなっていたことを知る。
つらいのは自分だけだと思っていた神田は、鈴音もつらい思いをしていたことを知り、深く反省するのだった。
鈴音は母親からもらった猫のお守りを神田に手渡す。
この出来事を通して、神田は勝ち負けではなく、鈴音のためにピアノを弾くようになる。

鈴音は最初、顔が見えない状態で描かれており、11巻では出会いのエピソードが語られた。
「おじさまと猫」をずっと読んできた身としては、こんなに素敵な人を失ったら、なかなか乗り越えることは難しいと感じる。
しかも、本編で語られているように、神田と鈴音は小学生からの付き合いだ。
長く一緒にいるとそれだけ、喪失感も大きい。

11巻を読んで、改めて1巻を読み返すと、鈴音を失い孤独な神田にとって、ふくまるの存在がどれほど心の隙間を埋めてくれたことか、またとらえ方が変わってくる。

まとめ

11巻では神田の過去が大きく取り上げられていた。
神田はどのような幼少期を過ごしていたのか、妻鈴音、義理の父親と出会いなど11巻を読むと今までの話がまた違って見えてくるのではないだろうか。
1巻でピアノが怖いといっていたが、これが深い意味を持つのだと改めて感じる。
幼少期は母親の影響でピアノが恐怖の対象だった。
今は、コンサート中に鈴音が倒れたことはもちろん、鈴音が元気だったころのエピソードも思い出すから怖いのではないだろうか。
神田にはぜひともトラウマを克服して、教え子たちの発表会に参加してほしいと願う。

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