もし、タイムマシンが本当にあったなら……
そう思うことはありませんか?
過去に戻って、失敗や辛い思いをした瞬間をやりなおすことができたら、今の自分は楽になれる。
しかし、現実は過酷です。
タイムマシンはまだ発明されていませんし、過去に戻ることはできません。
今回は、3人の幼馴染たちを描く映画「ミスティックリバー」の批評と、実際に見た感想を書いていきます。
3人の幼馴染たちを分断した過去の事件。
そして、その事件が現在に及ぼす影響とは、一体どのようなものなのでしょうか。
映画「ミスティック・リバー」の映画概要
「ミスティックリバー」は、2003年公開のアメリカ製サスペンス映画です。
監督は「マディソン郡の橋」や「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッド。
今作は本人が出演せずに、監督業に専念しています。
主演は「アイ・アム・サム」のショーン・ペン、「ショーシャンクの空に」のティム・ロビンス、「フットルース」のケヴィン・ベーコンという、個性派俳優の3人が務めています。
今作はサスペンス映画であるものの、ミステリー性はそれほど高いものではありません。
その代わり、濃厚な人間ドラマが、映画の見どころの一つとなっています。
あらすじ
舞台はアメリカ・ボストンのイーストバッキンガム。
この土地に住む、デイヴ・ジミー・ショーンの3人は幼馴染であり、仲の良い友達でした。
しかしこの友情は、デイヴが見知らぬ男に性的な暴力を受けたことにより崩れてしまいます。
その25年後。
3人は大人になり、それぞれの生活を営んでいました。
デイヴは貧しいながら幸せな生活を。
ショーンは刑事としてキャリアを積みながらも、妻と別居する生活を。
ジミーは犯罪から足を洗い、雑貨屋を営みながら家族と暮らしています。
その中でも、デイヴは過去のトラウマに引きずられたままでした。
ある日の夜。
友人と飲みに出かけていたはずのデイヴが血まみれになり、腹部に傷を負った状態で家に帰ってきます。
デイヴは殴りかかってきた男に反撃し、腹部を切られたと妻に告げます。
そしてそれと同じ夜。
ジミーの娘・ケイティが何者かに殺されていました。
ケイティを殺した犯人を捜すため、ショーンは相棒と共に捜査に乗り出します。
強い『苦み』を感じる作品~映画「ミスティック・リバー」批評~
人は大人になると、抱えているものが増えます。
それは守るべき家族であったり、解決すべき課題であったり、様々です。
中には、過去のトラウマを抱えて成長してきた人もいることでしょう。
今作の主人公の一人であるデイヴは、そんなトラウマを抱えながら大人になった人物です。
彼は妻と子供と幸せに暮らしているように見えますが、その内面は深い闇。
その闇は、現在での悲劇の引き金となってしまいます。
この「ミスティックリバー」は、イーストウッド作品らしく噛みしめがいのある、深い味わいのある作品です。
一人一人が丁寧に描きだされ、セリフが無くとも心情が手に取るように分かります。
もし、これから今作を観る人がいれば、ショーンが妻からの電話を受けるシーンに注目してみてください。
しかし、それと同時に今作は、非常に強い「苦み」を伴う作品でもあります。
下手をすると、作品の面白さよりも、苦さが目立ってしまう程です。
この苦さの原因は何なのでしょう。
それを考えてみると、先に挙げたデイヴの過去に思い当たります。
デイヴのトラウマとは、若干11歳の少年の時に受けた性的な暴力。
相手は大人の男2人であり、子供が敵うはずがありません。
デイヴは自力で逃げ出すことはできたものの、心が殺されてしまったのです。
大人になったデイヴの心の中には、いまだに少年の頃の彼がいます。
少年のデイヴは今も変わらず助けを求めているのに、助けてもらえることは無い。
大切な友人達も、今は遠い存在となっている。
デイヴの状況は、正に八方ふさがりです。
今作での主な悲劇は、デイヴに降りかかります。
他の友人達が受けなかったような性的暴力を受けた上、殺人犯の汚名を妻に着せられる。
そして、その汚名が原因で命を落としてしまう。
誰にも、無実を信じてもらうことができませんでした。
ショーンの相棒である刑事が、「低所得で過去の性的被害者は、罪を犯す確率が高い」という趣旨のセリフを言います。
このセリフはデイヴに向けたものであり、少年であった時の彼に向けられた偏見を、端的に表すものではないでしょうか。
デイヴは確かに、人を一人殺しています。
しかしそれは、一人の少年を守るためのものでした。
子供の時の記憶が、彼を「人を守るための暴力」に駆り立てたのです。
暴力は悪。
しかし、目の前の少年を救うための行動を、誰が責められるでしょうか。
本人が何とかしようともがいている過去。
それを見て見ぬふりをして、近寄って来ない周囲の人々。
デイヴに降りかかる悲劇は重すぎる上、余りにも多すぎです。
それは、見ている側をも苦しい気持ちにさせ、とてつもなく「苦々しい」物語となっています。
「ミスティックリバー」は、見ごたえのある作品です。
何度見ても耐えられる程の話の深さがあり、それに負けない程の俳優陣を揃えています。
しかし、諸手を挙げて「名作」かと聞かれると、決してそうとは言えません。
苦みが強く、人を選ぶからです。
ある意味で、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的作品と言えるでしょう。
映画「ミスティック・リバー」を見て思うこと
重い映画は大好きです。
「重い」ということは、内容がしっかりしているからだ、と考えているからです。
そしてその考えは、今回も間違ってはいませんでした。
しかし、「ミスティックリバー」の重さは、想像の遥か上をいきました。
娘を殺されたジミーの悲しみもさることながら、過去に苦しむデイヴに感情移入してしまい、先を見るのが辛くなった程です。
この映画は、映像的なグロテスクさはほとんどありません。
しかし、人という生物のグロテスクさを存分に描き出していると感じます。
過去を捨てきれない男、自分の愛する夫を信じられない妻、人を殺しながら平然と妻や娘と暮らす男、そして、かつての友人の暴挙を止めることができない男。
なによりもグロテスクなのは、ごくわずかに登場する「性的犯罪者」という存在。
これは、怪物以外の何物でもありません。
人間という生物は、多かれ少なかれグロテスクさを抱えて生きているものだと思います。
それは、これを書いている私にだってあるでしょう。
しかし、それは決して直視したいものではありません。
「ミスティックリバー」を見ていると、そのグロテスクさを否が応でも直視させられている気分になります。
「信じない」・「助けない」ことに苛立ってくるのです。
しかし、自分がその場に立ったとき、一体どんな行動を取るのでしょう。
おそらく、登場人物達と同じような行動になるのではないでしょうか。
疑いやすい人物を疑うのは自然ですし、一旦心が離れたものを元に戻すのは、至難の業だからです。
また、この物語の終わり方も、モヤモヤするものでもあります。
その理由は、どの登場人物に重きを置くかによって、見終わった後の感想が変わるからです。
「ミスティックリバー」に登場する3人は、それぞれ立場が全く異なります。
デイヴはトラウマに悩まされ低所得ながらも、一般的な家庭を築く人物。
ジミーは雑貨店を営む傍ら、街の裏社会に通じる人物。
そしてショーンは、刑事として活躍する傍ら、妻に逃げられている人物です。
この中で、一番立場が弱いのはデイヴでしょう。
そして、彼側から見る物語は完全にバッドエンドです。
ジミーは娘を殺され、敵を討つつもりで十字架を背負ってしまった。
彼がこの先どう生きるとしても、その罪を拭うことはできません。
唯一ハッピーエンドに近いのは、ショーンでしょう。
ショーンは事件を解決し、逃げていた妻も帰ってくることになりました。
そして、妻のお腹には子供もいます。
それでも、彼のかつての友人は返ってきません。
「心のグロテスクさ」と「もやもや感」。
この2つが、「ミスティックリバー」を重苦しいものにしています。
それと同時に、今作の見ごたえも、この2つが作り上げているのです。
「ミスティックリバー」は、個人的に素晴らしい作品であると思います。
しかし、もう一度見返すには、少し時間が必要だとも感じるのです。
まとめ
見る人を選ぶ作品は、人に勧めにくいものです。
それでも、素晴らしいと思う部分があれば、是非とも誰かに見て欲しいとも思います。
「ミスティックリバー」は正に、見る人を選ぶことを承知の上で、できる限り多くの人に知って欲しい作品と言えるでしょう。
ストーリーは濃厚ですし、随所にイーストウッドらしい、エッジが効いた表現を見ることができます。
もし、イーストウッドのファンや「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が好きな人は、手に取ってみてください。
辛いながらも、良い映画体験ができるはずです。