映画「シャイニング」の批評と感想。

キューブリック監督の「シャイニング」は、芸術作品としては名作だが、物語としては失敗作だ。

高評価が多い所以は、終始流れ続けている音楽の不気味さと、巧妙なカメラワークや色彩センスからなる映像美である。

だが、一方ではレビューで低評価をつける視聴者も少なくない。これはなぜなのか。

それは彼らのレビューを読めばわかる通り、「意味がわからない」「無駄なシーンが多い」「伏線が回収されない」などの点に問題がある。

①活かされない設定

意味がわからない、わかりにくい、というのは物語としては致命的である。

まず、タイトルの意味がわからないという意見がある。「シャイニング」とは何なのか。これは、主人公一家の息子のダニーが持つ特殊な能力のことを指している。作中で料理人のハロランが言葉にしているが、日本語訳ではそれを「シャイニング」と呼ぶということはわからなくなっている。

また、タイトルの意味がわかったとしても、なぜそれをタイトルにしたのかが不明なのだ。

この物語のメインとなっているのは、父親のジャックが狂っていくところだ。それはタイトルの「シャイニング」つまり息子ダニーの超能力とは関係がないように思える。

そしてダニーの超能力は、この物語中でほぼ役に立ってはいない。ただ、人には見えないはずのもの(怪奇現象)が見えるだけだ。しかし両親にも幽霊が見えているので、彼が特殊能力を持っているから見えているとも言えない。それなのにその能力をあえてタイトルにする意味がわからないのだ。

また、ダニーからのテレパシーを受けて助けに来てくれたハロランは、ジャックに瞬殺されてしまう。雪上車を届けにきてくれたと思えば少しは役に立ったのかもしれないが、それにしてもはるばる飛行機に乗ってやってきたわりには活躍しなさすぎだし、ここが物語の重要なポイントとも思えない。要するに「ダニーは特殊能力(シャイニング)のおかげで助かった」ということにするにはエピソードとして弱すぎるのだ。

また別の見方としては、この映画は、ホテルに住む亡霊たちがダニーの能力(シャイニング)を欲しがり、彼を取り込むためにジャックを利用した物語、という風にも考えられる。だが、これは映画の中では言及されておらず、原作を読まないとわからない。この映画だけでそこまで考察しろというのは無理があると思う。

要するに、タイトルになった「シャイニング」つまりダニーの特殊能力の設定が、この映画ではほぼ活かされていないのだ。

他にも、何のための設定なのかわからない部分がある。  

たとえば、ダニーの空想上の友達「トニー」は後半になると出てこなくなるが、このエピソードはそもそも必要があったのか。

また、237号室では昔何があったのか。風呂で腐乱していた老婆は一体誰なのか。ウェンディーが見た着ぐるみの男性は何だったのか。惨殺事件を起こした管理人一家以外の亡霊もいるのか。

無駄な設定や、明かされない謎が多すぎる。伏線かと思いきや、最後まで回収されず、スッキリしない。

また、主人公ジャックと妻ウェンディーの関係も謎である。

ウェンディーは、以前ジャックがダニーに怪我をさせてしまって以来、彼を信頼していないように見える。そんな冷え切った関係の家族なのに、彼女はなぜ5ヶ月もの間雪に閉ざされたホテルで彼と生活することに賛成したのだろう。

もっと愛し合い信頼し合っている夫婦で、幸せな家族関係だったなら、ジャックが狂ったときの恐怖は倍増するはずなのに、なぜそのような設定にしなかったのだろう。

元々DVをする素質がありそうな夫が妻子を殺そうとしても、「やっぱり」という感じがしてしまう。そうではなくて元々は幸せな家庭の良き父親だったなら、ギャップでもっと恐ろしく、そして悲しくも面白くもなるはずなのだ。

これはもう、もったいないとしか言いようがない。

②原作者から批判された作品

この映画は、「主人公が閉ざされた空間での生活で精神を病み狂っていくサイコ・サスペンス」と「主人公が悪霊に取り憑かれるオカルトホラー」との2通りに見えるように作られている、との見方がある。
だが、スティーブン・キングの原作小説は、完全に後者のオカルトホラーとして書かれており、サイコ・サスペンスではない。

この映画は他にも原作と違うところが多く、原作者キングから激しい批判を受けたという。

日本の漫画やアニメの実写映画化でよく「原作と違う」と炎上することがあるが、この「シャイニング」は原作ファンだけでなく原作者からもクレームがついてしまったいわくつき作品なのだ。

原作と違っていても、作品として素晴らしいものになっていて、なおかつ原作とかけ離れていなければ良いのだが、この作品はそうではない。物語として大事な部分が描かれておらず、前述した通り、せっかくの設定が無駄になってしまっている。これでは原作者が激怒してもしかたがない。

映画を音楽と映像美を味わう芸術作品と定義するなら、「シャイニング」は素晴らしい作品だ。

序盤のコロラド州ロッキー山脈の大自然、ホテルの内装の美しさ、ダニーの三輪車を背後から追いかけるようなカメラワークや、俯瞰からだんだんと近づいていくカメラワーク、鏡を使った演出。廊下に佇む双子の姉妹の水色のワンピース、エレベーターから流れる血の海の鮮烈さ。不快感や不安を煽る音楽。そしてジャック一家を演じた3人の俳優の名演技。

だが、映画を物語を楽しむためのものだとすると、この作品は失敗作なのである。

映画を見ることに慣れた視聴者は、序盤のすべてのシーンや設定を後の展開に関係あるものとして見る癖がある。そして、それらが物語の展開とは何も関係がないとわかると「伏線が回収されない」と感じるのである。

「序盤のあれは一体なんだったんだ?」「ダニーの特殊能力には意味があったのか?」「トニーの存在は不要だったのでは?」などと考えてモヤモヤしてしまう。それで観終わった後スッキリできないのである。

これはいわゆる「余韻を残す終わり方」とはまた別のものだ。

その点では、ラストで1921年の写真にジャックが写っていることは、「余韻」として上手く機能している。

ジャックはその写真に写った人物の生まれ変わりなのか、子孫なのか、それとも死んだジャックの魂が写真の中の世界に入ってしまったのか……その答えは、視聴者それぞれのご想像におまかせする、ということだろう。

このラストは上手いと思う。

だが、物語全体としては設定を活かしきれていない部分が多く、無駄になってしまってもったいないと思わざるを得ない。

尺の都合もあるだろうが、原作通りのストーリーにしなかったのが失敗の原因だと思う。

昨年公開された映画「鬼滅の刃」は原作漫画のストーリーを忠実に映像化し、歴史的大ヒットを遂げた。

これは、物語として完璧な原作があるのなら、そのストーリーを変えずに映像化するのが正解だという証拠だ。原作の完璧に練られたストーリーを改変しようとするのは、愚の骨頂でしかない。

原作者からも見離されたキューブリックの「シャイニング」は、キングの原作「シャイニング」のオマージュ作品、あるいはプロモーション映像とでも捉えるべきかもしれない。

この映画を観た人が原作にも興味を持って読むきっかけにもなり得る。そう考えれば、原作者にとっても原作ファンにとってもそう悪いものでもないだろう。

実際には高評価の方が多く、名作映画として公開から40年以上経った今でも愛され続けている作品なのだから、キングの小説の売上にもおおいに貢献していることだろう。

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