はじめに
作者の金田一蓮十郎さんによる少女漫画「ライアー×ライアー」は、最終巻である10巻が2017年9月13日に発売され、その6年以上にも及ぶ連載に幕を下ろしました。
この記事では、そんな映画化もされた大人気漫画「ライアー×ライアー」の最終巻である10巻の批評や感想を紹介いたします。
批評・感想
まず、この「ライアー×ライアー」という作品は、女子大学生である主人公の高槻湊が、高校生の変装をして別人となり、弟の透とニセの恋愛をするというなんとも斬新なお話なのですが、そんな生活を続けていく内に湊本人も本気で透に恋をしていきます。
10巻の始めでは、ついに想いが通じ合った二人が両親に交際している事実を伝えるのですが、結果、超能天気な反応で受け入れられ、結婚までトントン拍子に進むわけです。
この作品の凄いところは、誰一人として“嫌な人”や、読者を不安にさせる人物が登場しないところにあると思います。
両親から交際の了承がとれた大きな理由には、湊と透の間に“血が繋がってない”という事実があるからだと思うのですが、それにしてもお気楽すぎます。
主人公の湊は今まで散々、姉弟の在り方というものに悩まされてきたのに、両親の「二人が幸せならそれでいい」という一言ですべてが片付けられてしまう。
二人にとっては至上の言葉でしょうが、今まで主人公と同じ目線で物事を感じていた一読者の私は、違和感しかありませんでした。
もっと怒っていいし、気味悪がってもいい。
罵倒しても許さなくてもいいから、リアルを見たかった。
本作は、良くも悪くも決して泥沼にはならず、不穏な空気をいつまでも読者に感じさせない、爽やかな少女漫画らしい優しい物語です。
いつでも平和的解決を求め、みんなが幸せでいられるような、そんなあたたかい関係を望む…。
しかし、私のような普通の恋愛漫画に飽きてしまった人間にとっては、そのお決まりの展開には物足りなさも感じるわけです。
現実はそんなに甘くはないぞ、と言いたくなるのです。
ありきたりな漫画に飽き、手にしたのがこの、『女子高生に変装した姉が弟とニセモノの恋愛をする』という、思わず二度見三度見するような設定の「ライアー×ライアー」という作品だったのに、なんやかんやあったけれど、大団円でうまくまとまりました!
という展開に納得はできない。
なんやかんやあって、周りに認められず、これから先どうなるかわからないけれど…となった方が現実味もあるし、納得もできる。
しかし、これが少女漫画の在り方か?
と問われれば難しいところです。
誰だって今まで読んできた漫画のキャラクターには幸せになってほしいし、悲しい思いはしてほしくないはず。
それはもちろん私だって同じです。
しかし、同時にそう簡単に幸せをつかんでほしくない、今まで積み上げてきたものにふさわしいラストを…!
と感じてしまうのもまた本心でした。
私が不気味に感じたもう一つの理由が、湊の元カレである烏丸くんさえ結局、湊と透の二人を応援してくれることにありました。
彼は湊の未熟さが原因で傷つけられたかわいそうなキャラクターなはずなのに、そこまで味方になるか!?と驚きました。
良い人すぎて、もはや感情移入ができませんでした。
この「ライアー×ライアー」は、作者の素朴でかわいいイラストが大きな見どころのひとつです。
そのため、テンポよくサクッと進む展開はマッチしていると言ってよいでしょう。
しかし、義理でありながらも小さい頃から寝食を共にしてきた姉弟と恋愛関係になるのだから、もっとリアルに踏み込んで、周りの反応など生々しく描いていいのではないかと感じました。
そもそも、恋人になったからといって両親に宣言をしに行く行為自体に疑問を抱きました。
主人公も弟の透も、もう子供ではないのだから、普通ならばどんな反応を受け、どんな気持ちになるかわかるだろう。
しかし、この「ライアー×ライアー」は良い意味でみんな純粋、悪い意味でお気楽なので、多少悩んでも実行してしまうわけです。
この作品からは、周りからどれだけ主役の二人を祝福してほしいか、認めてほしいかがより強力に伝わってきます。
そこには一切の不安さも不穏さも漂わせてはいけないのです。
“姉弟の恋愛”という重たいテーマを扱いながらも、確実にハッピーエンドへと向かっていく、ある意味で誰しもが求めるような絶対幸福な物語でした。
せめてもう少し漫画が長く続いていたら、納得できた部分もあるかもしれません。
しかし、やはり個人的に湊が女子高生だと偽って弟の透と接していた時が一番ドキドキしましたし、楽しくもありました。
また、透が湊のことを神格化していることを知った時から、なにやらストーリーが崩れてきた気がしました。
色々書きましたが、ありえない設定で徐々に思いを通わせていく二人を見ていくのは純粋に面白かったです。
とても現実的ではないけれど、キャラクターたちの笑顔で終わる作品は良いと思いましたし、だからこそ人々に愛されるのだとも感じました。