あらすじ
田舎の県立高校に通う前田涼也は、映画部に所属しています。
彼はクラスでは地味で目立たず、周囲からはあまり注目されていません。
彼が監督した作品がコンクールで賞を受けても、クラスメイトたちはあまり関心を寄せていませんでした。
そんなある日、バレー部のキャプテンである桐島が突然部活を辞める出来事がありました。
この出来事をきっかけに、学校内の様々な部活やクラスの関係が歪み始め、それまで存在していたヒエラルキーが崩れていく様子が描かれています。
批評と感想
朝井リョウの同名小説『桐島、部活やめるってよ』が実写映画化されました。
この映画は、朝井リョウが早稲田大学在学中に執筆し、第22回小説すばる新人賞を受賞した作品です。
その後、この小説が映画化され、その成果が認められて第36回日本アカデミー賞で最優秀作品賞などを受賞しました。
この作品は現在でも名前が挙がる、非常に有名な邦画として知られています。
この作品は、今さらレビューや議論が必要なのかと言われても不思議ではないほど、非常に有名な映画です。
そのため、語り尽くされた感があります。
そんな中でも、私はこの映画についての私自身の感想を述べながら、概要部分での良い点と悪い点について話していきたいと思います。
多くの人が傑作だと評するほどの作品とは感じませんでしたが、それでも十分に楽しむことができた作品でした。
予測不可能な方向性を持ち、短い元々の作品よりもさらに短く感じられるほどでした。
学校内の階層構造を的確に描写した作品であり、その表現が非常に優れていました。
登場人物の外見や所属する部活動などを通じて、この社会構造を巧みに反映しています。
さらに、映像の演出によって、例えば映画部がどれほど内向的な雰囲気を持っているかも視覚的に理解できます。
俳優たちの演技も本当に素晴らしいですね。
緻密な演技指導が行われていることが伝わってきます。
また、脚本も高校生たちが実際に言いそうなセリフで溢れており、大人の私でも「そういえばこんな風に話していたな」とか「女子はこっそりと影で話していたな」といった共感を覚える部分も多々あります。
ただし、これは高校生の視点から見ると「私もこんな感じだったな」「こういうタイプの人が周りにいたな」と共感を覚えることができる作品です。
しかし、大人がこれを鑑賞しても、共感する人もいればあまり共感できない人もいるでしょう。
大人の視点から見ると、高校生たちの小さな青春が展開されているような気分になることでしょう。
キャラクターたちは見ていて非常に現実的で、そのリアルさは確かです。
しかし、外見以上に深い内面やキャラクターの奥深さがあまり描かれていないように思われます。
逆に、桐島の登場が限られていることから、彼のキャラクターについての興味が高まります。
彼がどのような人物なのか、逆に気になる要素として浮かび上がっています。
結局、この映画が伝えたかったのは、無理して部活動に参加したり、外見だけの人間関係や友情よりも、自分の好きなことを追求し、笑われても真っすぐに進む人生が充実しているということだと思います。
それでは、ここから少し短いですが、私自身がこの映画について考えたことを、あまり堅苦しくなく語っていきたいと思います。
もしかしたら、私の意見が的外れな部分もあるかもしれませんが、そういった異なる見方もあるんだなと思っていただけると嬉しいです。
実際、この映画は公開から数年が経っているため、多くのブログで様々な考察を見てきました。
その中には「実はキリストを象徴する要素があるのではないか」「ゾンビの象徴性には何が隠されているのか」といった議論が多く見受けられます。
しかし、皆が同じ意見ではなく、一部の側面については詳細な解説がなされていないこともあります。
それが、「なぜ桐島が部活を辞めてしまったのか」という点です。
「なんだそれ、普通過ぎて考察する必要ないよ」と言う声もあるかもしれませんが、どうかお聞きください。
私自身が観た際、この映画には桐島の心情とリンクしているような人物が一人だけ存在しました。
それが、桐島の親友で野球部に所属する菊池です。
具体的な理由ははっきりしていないし、桐島が登場しないために断定的ではありませんが、実は菊池の状況から推察すると、桐島が部活を辞めた理由かもしれないなと考えてしまいます。
菊池は野球部に所属していながら、キャプテンから信頼を受けており、洒落た言葉をかけてバスケットボールでシュートを決め、彼女までいるという、まさに完璧な人物です。
このような特徴を持つ菊池は、おそらく桐島も同様のタイプだったのかもしれません。
しかし、菊池は自身の状況に対して何かしらの不満を感じているようにも見受けられます。
これは私の憶測に過ぎませんが、自分が完璧な存在であるとされることや、他人から頼られることに対するプレッシャーを感じていた可能性もあれば、その逆に他人からの期待に応えることで充足感を得ていたかもしれません。
こうした状況から、菊池が野球部を離れる選択をしたのは、自分の苦痛を少しでも軽減しようとする一環だったのかもしれません。
ただし、私は桐島の方がより大きな苦痛を抱えていたのではないかと考えます。
彼は英雄として信頼を受けながらも、部活の裏側で陰口を叩かれたり、どこか愛情の欠けるような関係を持つ彼女と交際していたり、はっきりとしたスクールカーストの存在を見ていたりしました。
これらの状況が彼にとって苦痛で、またばかげたものと感じられ、その状況から逃れるために部活を離れたのではないかと思います。
もしかしたら、桐島は逃げたのではなく、むしろ一歩大人に成長したのかもしれません。
高校生や子供たちに特有の人間関係から離れ、本当に自分が追求すべきことや真の人間関係を築くために、子供っぽい遊びや争いから手を引いたのかもしれません。
実際、私自身も屋上での争いを見て、それがどれほどばかげた争いであるかを感じましたからね。
菊池がそのような過程を辿ったかどうかはわかりませんが、彼も何らかの人間関係の悩みを抱えていたと思います。
ラストのシーンで神木隆之介との対話が描かれる際、短い時間ではありますが新たな強い絆が見られるように感じました。
また、菊池が涙を流す場面では、「カッコいい」という言葉だけでなく、心からの言葉を聞けたことや、自分が皆が思っているほどの人間ではないことを認めることで、彼の本心が表れた涙だったのかもしれません。
高校生たちがピラミッドのような階層的な人間関係を築いても、それは現実社会ではほとんど通用しないことが多く、結局は子供の遊びに過ぎないことが多いです。
この映画は、本当の人間関係は階級やステータスには関係なく、誠実に心を開いて接すれば、素晴らしい関係を築くことができるということを教えてくれる作品であると思います。
私の説明は、ほとんどが感覚や予感に基づくもので、特に説得力はありませんが、こういった視点も存在することを紹介しました。
もし桐島が、神木隆之介のように自分の本心を打ち明けられる友人と出会っていたら、彼はまだ部活を辞めていなかったかもしれませんね。
まとめ
傑作とは言えないかもしれませんが、非常に素晴らしい作品だと私は考えています。
時折、レビューサイトで「この映画を理解しない人は映画を観るべきではない」という意見も見受けられますが、これは過激な意見だと思います。
なぜなら、映画を鑑賞するかどうか、そしてどう感じるかは個人の主観によるものであって、他人が勝手に決めるべきではないからです。
何様なのでしょうか。
以上、そのような感想でした。
それでは、良い一日をお過ごしください。