【ネタバレあり】漫画「H2」の批評と感想。

「H2(エイチツー)」は、1990年代に「週刊少年サンデー」で連載中だったあだち充さんの野球漫画です。

あだち充さんは、代表作「タッチ」を通じて多くのファンを魅了しましたが、彼の作品群の中で、本作品が高い評価を受けている声も少なくありません。
実際、あだち充さんの中でも最も優れた作品と見なされていることも多いようです。

物語は、偶然の出会いから始まります。
弱小公立校が、偶然の一致から素晴らしいバッテリーを結成し、それがきっかけで夏の甲子園決勝まで駒を進める姿を描いています。
一方で、主人公とライバルの関係だけでなく、彼らに惹かれるヒロインたちとの恋物語も同様に重要な要素です。
このように、野球の軌跡と人間関係のドラマが絶妙に組み合わさっており、読者を引き込む魅力にあふれています。

作品のタイトル「H2」は、二人のヒーローと二人のヒロインの関係を象徴しており、その意味が込められています。

あだち充さん特有の手法である「間」を巧みに使った表現が、作品の光を放っています。
繊細な描写によって、人間ドラマの深みを感じることができる素晴らしい作品です。

あらすじ

物語の舞台は、東京の下町に位置する千川高校です。

この物語では、千川高校という学校には野球部が存在せず、そんな中に地区大会で連覇を果たしたバッテリーが入学することになります。

そのバッテリーを構成するのは、投手の国見比呂と捕手の野田敦です。

比呂は、ストレート球で150km/hを超え、カーブやチェンジアップといった多彩な球種を駆使する万能な投手です。
一方の野田は、大柄な体格を持ちながらも、強肩と正確なリードで評価される実力派の捕手です。
このバッテリーは、中学時代に地区大会での二連覇を成し遂げました。

しかし、比呂と野田は、医師から運動が難しくなる可能性があると診断を受けており、そのためにそれぞれ別のスポーツ部に入部しています。
比呂はサッカー部、野田は水泳部に所属しています。

物語の中で、ある事件がきっかけで、二人が受けた医師の診断が無免許医であることが明らかになります。
新たな医師の診察によって、比呂と野田の肘や腰には問題がないことが判明します。

再び野球への道を歩むことになった比呂と野田。
彼らは非公式の千川高校「野球愛好会」に参加し、野球部への昇格と甲子園出場を目指して活動を始めます。
物語は、彼らの情熱と努力、そして仲間たちとの絆が織り成す感動的な展開を描いています。

批評と感想

H2という作品は、読み終わった後にしばらくの間、心に残る感動を味わえる作品です。

作品の中で描かれている野球と恋愛の二つの要素が物語を形作っていますが、まずは野球の側面に焦点を当ててみましょう。

物語の中で、弱小な公立校が甲子園を目指すという大きなテーマが取り上げられています。

最近の人気野球漫画は、しばしば主人公が強豪の私立校に所属しているという現実的な要素が強調されています(例えば「メジャー」や「ダイヤのエース」など)。
しかし、漫画の中では、弱小な公立校が成長していく姿が描かれる方が、多くの読者に感動をもたらすことがあります。

ただし、非現実的な手段や偶然の連鎖で躍進する場面は、読者の関心を引くことが難しいこともあります。
読者としては、弱小公立校の躍進が現実的に描かれていることが望ましいと感じることでしょう。

その観点から見て、この作品は非常に興味深い方法で弱小公立校を強化していく描写がされています。

物語の概要にも触れましたが、中学野球で優れたバッテリーを組んでいたが、ヤブ医者の誤診によって野球を諦めたバッテリーが、野球部の実力を無視して入学してくるという展開があります。

ただし、野球は九人で行う競技ですので、他の選手も巧みに集める必要があります。

中学時代は優れた二塁手として活躍し、記憶に残る存在であったが、高校では野球嫌いの父親の影響で美術部に入部してしまった柳守道。

中学時代は四番バッターかつエースとして活躍していたが、新入生にポジションを奪われ、サッカーに転向した木根竜太郎。

内向的な性格から父親に逆らえない柳に対しては、情熱を呼び起こすために説得を試み、父親との和解の機会を設ける。

一方、負けず嫌いで頑固な性格の木根は、挑発的な行動を通じて野球への情熱を再燃させるように導かれる。

この作品は、昭和の漫画らしい(作品自体は平成時代に長期間にわたり連載されましたが)人間関係の物語を巧みに組み込みつつ、個性的なキャラクターたちが一つのチームを形成していく過程が描かれており、地味な展開ながらも読者を引き込む要素が多く詰まった序盤部分が一つの特徴となっています。

そして、この作品において野球の面で特に興奮を引き起こすのは、国見比呂の親友であり同時にライバルとして登場する橘英雄というキャラクターです。

木根が、中学時代に四番打者の座を奪われた人物が、橘英雄です。
高校に入学した時点ですでに、スポーツ紙の注目を集めるほどの才能ある選手として描かれています。

比呂と英雄は同級生ですが、幼少期の違いにより、野球も含めて異なる経験をしています。
英雄は生まれながらの名選手として育ち、その才能は際立っていました。

物語が始まる時点では、比呂もまた超高校級の投手としての実力を持っていますが、やはり、主人公には弱者の側面が、一方のライバルには強者の要素が存在しなければ、物語の緊張感は生まれません。
これらの要素は、過去の出来事として巧みに組み込まれており、物語を盛り上げる要因となっています。

普段は親友として気兼ねなく接している比呂と英雄ですが、野球の舞台ではプライドをぶつけ合うライバルとして立ち向かいます。

さらに、比呂は千川高校という弱小公立校から甲子園を目指す一方で、英雄は私立の野球強豪校である明和第一高校で一年生の時から四番サードとして活躍しています。

この物語では、東京地区が「北東京」と「南東京」に分けられている設定となっており(現実では「東東京」と「西東京」)、千川高校が北東京地区を制して甲子園に進出しなければ、南東京代表の明和第一高校とは対戦することができません。

要するに、強豪校に在籍する親友でありながらライバルが甲子園で待ち構えており、主人公たちはその挑戦者として道を切り拓くために奮闘します。

この構図は作中全体を通じて一貫しており、一般的な少年漫画で見受けられる、最初はこの相手を倒すことが目標で、それが達成されたら次は別の相手、その次はまた違う相手という流れがなく、英雄との対決に向けて比呂が弱小校を背負いながら戦っていくという物語の没入感が途切れません。

物語の中で、英雄との対決を目指すという枠組みがある一方で、千川高校の道中にはただ薙ぎ倒されるモブキャラクターだけが登場するわけではありません。

栄京学園高校の広田勝利という選手が、ある種の悪役として登場します。
彼は打撃も投球も得意な万能選手で、比呂と英雄を足したようなキャラクターです。
しかし、勝利のためには手段を選ばない冷酷な性格で、故意な死球や悪質なラフプレーを駆使して相手選手を傷つけて勝利を追求します。

広田のやり方を推進する非情な監督の指導の下、広田は栄京学園高校野球部のトップとして君臨しています。

相手選手を傷つける手法はややフィクション色が強く、特に比呂や野田を故意に怪我させようとする展開は、読者に「これは漫画だな」と感じさせる部分かもしれません。
しかし、物語は巧妙に展開され、その結末は感動的な人間ドラマに結びついています。

人々には個々の事情があり、そのために倫理に反する行動をとることがある一方で、善意から誤解を招くこともあります。

それでも、何か心から愛する対象(この作品では野球が主題ですが)があることで、人々は献身的に生き抜いたり、一生懸命努力したりすることができるのです。
そして、その努力を通じて達成感や充実感を得ることで、成長し、大人になっていくのです。

物語の中で、どのキャラクターもこの過程が丹念に描かれています。
これによって、物語全体が漫画らしい展開をしている一方で、キャラクターたちの感情や行動が非常に現実的に描かれ、読者はその生々しさを感じ取ることができるのです。

この作品は、まさに「演出」の巧みな漫画家、あだち充さんの手によるものだと言えるでしょう。
キャラクターの表情や背景、アングル、台詞の響き、そしてコマとコマの「間」など、様々な要素が絶妙に組み合わさって、独特の雰囲気が醸し出されています。

一方で、あだち充さんの作品は決して書き込みが多いものではなく、むしろ簡素な方向性を持っています。
しかしこの「なにもない」部分が、キャラクターたちの感情や物語の質感を見事に引き立てており、美しい雰囲気が作品全体に広がっているのです。

さて、主人公の国見比呂とライバルたち、橘英雄と広田勝利との対決も見どころですが、本作は脇役たちも魅力的で、物語を一層盛り上げています。

特に注目すべき人物が木根竜太郎です。
彼は物語の中で「努力」を象徴する野球選手として重要な役割を果たしています。

本作の強みの一つは、比呂や英雄、広田、野田などの主要なキャラクターたちが初めから実力の高い設定となっている一方で、その中でも木根は異なるアプローチが取られています。
彼は比呂や英雄よりも少し劣る実力を持ちつつも、性格はややひねくれており、お調子者という個性を持っています。
このバランスが、物語にコミカルな要素をもたらし、笑いを提供しています。

彼が「一枚格が落ちる」という要素を持っていることが重要です。
周囲に天才たちが揃う中で、木根はわずかに劣るポジションにいますが、その分、彼が超高校級の実力を持つ主要キャラクターたちに匹敵する強さを持っていることが示されています。
このバランスが物語の中で重要な役割を果たし、魅力を引き立てています。

実際に、英雄がチームに加わる前、中学時代の白山エンジェルスでも四番打者でありエース投手として活躍していました。
その実力から見れば、普通の高校の野球部でも四番打者やエースとして頼りにされるだけの力を持っていました。
甲子園出場を果たした千川高校でも、常に一番センターのポジションを任されており、比呂と野田に次ぐ実力者として位置づけられていました。

しかし、比呂や英雄、広田といった主要キャラクターたちが物語の中心であるため、木根は常に「敗北者」として描かれ、自らもそれを自覚しながら、明るく三枚目的な役割を果たしています。

その彼が輝く瞬間が、物語の佳境である最終盤、甲子園の準決勝の場面です。
千川高校は明和第一高校に対抗すべく、比呂を温存し、木根を先発投手として起用します。
木根はチーム内で比呂に次ぐ実力を持つセカンドピッチャーとしての役割も担っており、比呂を使わない前提での戦略として妥当な選択と言えます。

しかしながら、比呂という驚異的な実力を持つエースピッチャーを擁する千川高校が、甲子園というノックアウトトーナメント方式の舞台で比呂を温存するという決断は、一見難しいものでした。
特に準決勝という大舞台で、自分が先発するという展開は、木根にとっても予想外のことだったはずです。
読者たちは、ここでついに、ひねくれ者でお調子者の木根が、いつも機会を窺い、ひたむきな努力を続けてきたことが明かされる描写に触れ、微かな感動を覚えることでしょう。

通常、試合の描写では比呂と相手チームのエースまたは四番打者との対決に焦点が当てられていますが、この試合だけは異なります。
木根の独白と回想が交えられながら進行し、甲子園という舞台で普通の投手が一つ一つアウトを取りに行く緊張感が描かれます。
これは、本作に新たな深みをもたらす演出であり、ヒューマンドラマの魅力を際立たせています。

当然ですが、物語の主人公である比呂がエースピッチャーとしての視点で投球を行う場面が多いです。
彼はモブ打者を薙ぎ倒しつつ、名打者との熱い勝負を繰り広げ、その投球はネームドキャラクターにしか打たれないだろうという確信に満ちています。
大抵の打者との勝負は省略されるか、省略されない場合でも、比呂の圧倒的な強さを強調するシーンとなっています。

対照的に、木根は「一般人の代表」とも言える存在です。
彼は普通の高校ではエースとして活躍し、どんな高校でも主力選手として頼りにされますが、プロ野球選手になるほどの実力は持ち合わせていません。

木根は自分なりの決意を胸に秘め、その長い努力の集大成を一球入魂で投げ込んでいました。

しかし、いくら全力で投げても、モブ打者に打たれる描写があっても、それが「自然」であると感じられてしまう。

相手の打者たちだって甲子園準決勝まで進む実力を持っており、木根は炎上してしまうかもしれない状況に立たされていました。

しかし、それでも、木根に勝って欲しい、木根が高校生活で一度でも主人公として輝いて欲しいという願いが胸に広がります。

漫画とはその後の展開が決まっているものであるはずなのに、まるで実際の野球試合を見守っているかのような感覚があります。
しかも、なぜか自分がよく知る人たちの真剣勝負を目撃しているかのような錯覚にとらわれてしまう名場面です。

本作の熱狂的なファンの中には、「H2」の最高の瞬間を尋ねられたら、甲子園準決勝での勝利の瞬間を挙げるだろう人も多いでしょう。

そして、物語のクライマックスである甲子園決勝戦。

比呂と英雄の緊迫した対決はもちろん、準決勝と決勝といった展開は、読者を息をのむほどの緊張感に包み込むことでしょう。

さて、野球の魅力についての説明が長くなりましたが、次に恋愛要素について述べていきます。

本作には二人のヒロイン、雨宮ひかりと古賀春華が登場します。

その中でも、物語の起点となるのは雨宮ひかりです。

比呂と英雄、ひかりは同級生の幼馴染で、幼い頃から近所づきあいも深く、家族ぐるみで親交があります。

物語が始まる時点では、英雄とひかりは付き合っており、比呂も一応、その関係を受け入れています。

この状況には三人の過去が関わっており、英雄とひかりは身体的にも精神的にも早熟で、中学一年生の頃から容姿や態度が魅力的で、まるで「美男美女カップル」と呼ばれるような存在でした。
対照的に、比呂は小さい頃からちんちくりんでやんちゃな少年でした。

しかし、中学時代を通じて比呂の身長は急成長し、英雄と肩を並べるようなスポーツ選手へと変わり、ひかりにとっても「男性」として意識するようになります。

そして、比呂の方にも特別な感情が存在します。
実は、ずっと昔から比呂はひかりに対して特別な思いを抱いているのです。

本作は野球のドラマだけでなく、恋愛の要素も含んでいます。

比呂は「後から来た男」でありながら、ひかりに自分がふさわしい存在であることを示す物語です。
それは、ひかりにとって英雄と同等か、それ以上の存在であることを示すことでもあります。

もちろん、英雄とひかりが交際している事実があるため、比呂は自分の感情を公にすることはありません。

むしろ、比呂がひかりに接近するのは、恋愛感情からではなく、幼馴染である彼女への憧れや、それまでの感情に決着をつけるため、といった動機からの行動として描かれます。

おそらく、成長するにつれて、体も精神も変化し、ひかりの見え方も変わったことでしょう。

ひかりはもはや「憧れのお姉さん」ではなく、背が低くなった存在。

しかし、ただの純粋な恋心から抜け出してしまったわけではなく、あの頃の自分が許さないだろうから、比呂は諦めることなく前に進むのです。

幼少期、自分だけが小柄で幼かった頃、英雄もひかりも比呂にとっては尊敬の的であり、その憧れが恋心として芽生えていました。

そのため、英雄やひかりに自分の成長を見せつけることで、「もう君たちを見上げる存在ではない」と示そうとしているのかもしれません。
現在の感情は、二人に対する憧れから生まれる恋心ではなく、むしろ対等な友情を感じているのだと自分に言い聞かせているのかもしれません。
そのため、比呂は英雄(そしてひかりにも)に対して競争心を燃やしているのかもしれません。

「後から来た男」である比呂の内面の変化が、英雄とひかりを超越していく物語とも言えるでしょう。

比呂への好意を抱くもう一人のヒロインは、古賀春華です。

可愛らしくて思いやりのある性格の春華は、大人っぽい雰囲気を持つひかりとは一風異なるキャラクターとして描かれています。

彼女が登場することで、幼馴染の三人組の関係性に新たな要素が加わります。

特筆すべきは、春華が比呂の幼少期を知らないことです。
春華にとって比呂は、最初から信頼できるエースピッチャーとして現れた存在です。

物語の人間関係において重要なのは、幼少期の比呂を知っているかどうかで、比呂に対する態度や見方が変わる点です。
英雄やひかりはもちろん、千川高校の仲間たちも、幼少期の比呂を知る者がほとんどで、その経験から比呂は気軽にからかえる相手として認識されています。

一方で、千川高校に入学してから比呂と知り合った人たちにとっては、比呂は崇拝すべき存在に近づいています。

入学早々から絶対的なエース兼主力打者として、素晴らしい性格と仲間思いであり、無名の公立高校を甲子園に導くことができる選手。
まるで野球の神様が遣わしたかのような存在に見えます。

春華も例外ではなく、彼女もまた比呂に心を奪われています。
中学時代とは想像もつかない展開です。

しかし、確かにプロ野球選手としても大きく成功する比呂にとって、女性からのアプローチは日常茶飯事となるでしょう。
春華からの気持ちは、比呂がこれから経験する人生において頻繁に起こるであろう出来事のひとつと言えるでしょう。

要するに、この物語は、比呂の内面的な成長の過程を描いており、誰かに憧れる側から、誰かに憧れられる側へと歩みを進めていく転換点としての物語です。

幼い頃の「お姉さん」への恋心から抜け出し、誰かを導き守るという、青年から大人へと成長する恋愛へと移り変わります。

物語は、二人の主人公と二人のヒロインを通じて、過去と現在の恋心を見つめなおすことで、比呂の成長と変化を浮き彫りにしています。

ただ、後から追いついても、ひかりの恋人になるのは難しいかもしれません。

ひかりとの調和を保ちながら進んでいけるのは、英雄だけのようです。

とはいえ、最後までどのような運命が待っているのか分からない状態で、恋愛の展開が巧妙に描かれており、英雄と春華の関係にも魅力的な場面が用意されています。
このような二人のヒロインとの絡みがあるため、物語が単純な1人の主人公と1人のヒロインではなく、2人対2人のダイナミックな要素を持って展開されているところが、読者の興味を引くポイントとなっています。

これまで野球や恋愛について褒めてきましたが、指摘すべき点がいくつかあります。

まず重要な点として、主人公の成長描写が明確ではないことが挙げられます。

物語の中心である国見比呂は、野球に関してはほぼ完璧な存在として描かれています。

野球技術や体力に対する根本的な課題に直面する場面はありません。
試合が敗北する際も、エラーや比呂自身の怪我が原因であることが多く、自身の実力不足が露呈することはありません。
従って、野球の実力に関する葛藤や、工夫を伴った努力に取り組む描写が少ないのです。

もちろん、作品が努力描写ばかりである必要はありません。
ただし、主人公が人間らしい喜びや苦悩を通じて成長する構図がなければ、読者自身が感情移入するのが難しく、物語全体への没入感が制約されることがあります。

この傾向は、準主人公とも言える橘英雄にも当てはまります。
実際、千川高校野球部のほとんどのメンバー、野田敦を含む部員たちも同じです。
このようなキャラクターたちが、個々に成長の軌跡を描かずに物語が進行するため、読者の感情移入や共感が難しくなる側面があります。

唯一の例外と言えるのが、先述の木根竜太郎です。
しかし、木根に焦点を当てた努力描写であっても、その描写自体が比較的軽やかであることが、物語のバランスを損ねているように感じられるかもしれません。

このような観点から、野球の本格的な描写が存在する一方で、典型的なスポ根漫画要素が薄れているという評価が生まれています。
特に千川高校内でのレギュラー争いなどの展開がほとんどないことは、物語の魅力を損なう可能性があると指摘されます。

また、コマとコマの「間」を活用する手法によって、深みのある情感を表現する作風が特徴ですが、もう少し高校野球や運動部活の臨場感を伝える場面があっても良かったと思われます。
これにより、物語のリアリティと緊張感が一層高まった可能性があります。

さらに、悪役として登場する広田勝利の使用する戦術が、一部の読者から見てやや非現実的すぎると指摘されることもできます。

たしかに、相手選手に意図的に怪我をさせるようなラフプレーを行うといった展開は、漫画の描写範囲内であると言えるかもしれません。
しかし、自身の親戚をライバル校に送り込み、偶然のふりをしてその校のエースを怪我させようとする策略は、むしろギャグ漫画のような手法と言えるでしょう。

あだち充氏の緻密な技巧によって、これらの出来事がなんとなく現実味を帯びるよう描かれているため、読者はスムーズに物語に入り込むことができます。
しかしながら、一度振り返ってみると、このような展開がどこか「おかしい」と感じられることもあるでしょう。

また、比呂を全打席敬遠しつつ、他の選手たちの過去の出来事を暴露する下品な戦術で揺さぶるとか、あるいは、千川高校に経済的に困っている選手を登場させてその選手を買収するといった、もう少し現実的なアプローチも考えられたのではないかと感じます。

また、物語中において、家族や親戚の関与を持ち出して感動のエピソードを展開する場面が過多であると感じました。

各キャラクターの物語はほとんどが家族や親戚の関わりを持っており、特に、すでに亡くなった家族や都合の良いタイミングで亡くなる家族を利用して感動のエピソードを織り交ぜることが多く、物語が進むにつれて「またか」と感じることもしばしばでした。
こうした感動のバリエーションがもう少し豊富だったら良かったと思います。

さらに、恋愛の描写についても、少年誌の恋愛としては適切な範囲内だと感じました。
恋愛要素を過度に強調すると野球の展開に支障が出る可能性があるため、物語のバランスを取る上で仕方ない欠点と言えるかもしれません。

しかし、最終話を読み終えた際には感動が残り、非常に魅力的な漫画だと感じました。
総合的な評価としては、概ねどの要素をとっても魅力的な、名作・名著に値する作品だと思います。
ぜひ、一読をおすすめします。