【ネタバレあり】映画「フルメタル・ジャケット」の批評と感想。

日本の沖縄に基地があるけれども、一般人にとっては実態がよく分からないアメリカ海兵隊。
そんな海兵隊に焦点を置いた映画が存在します。

その映画の名前は「フルメタルジャケット」。
名映画監督のキューブリックが手掛けた作品であり、海兵隊ブートキャンプ及び、彼らが参加する戦争を描いたものです。
「鬼軍曹」の代名詞であるハートマン軍曹が登場する作品として、知っている人も多いことでしょう。

今回は、この「フルメタル・ジャケット」を実際に見た感想と共に、作品の評価について語って行きたいと思います。

映画「フルメタル・ジャケット」の作品概要

映画「フルメタル・ジャケット」は、1987年に公開された戦争映画です。
名監督であるスタンリー・キューブリックがメガホンを取った作品であり、創作ではあるものの、海兵隊ブートキャンプと戦争の姿をまざまざと映し出しています。

主演は作中で「ジョーカー」と呼ばれる皮肉屋の青年を演じたマシュー・モディーン。
そして、この映画を象徴する登場人物であるハートマン軍曹と「ほほえみデブ」は、それぞれロナルド・リー・アーメイとヴィンセント・ドノフリオが演じています。

あらすじ

物語は、数々の若者が髪の毛を刈り取られるシーンから始まります。
彼らはこれからブートキャンプに入り、立派な海兵隊になるための厳しい訓練を受けるのです。
そしてその中に、いずれ「ジョーカー」・「ほほえみデブ」・「カウボーイ」と呼ばれることになる3人も含まれていました。

ブートキャンプに入った若者たちを待ち受けていたのは、彼らの担当教官であるハートマン軍曹からの、厳しすぎる「しごき」でした。
軍曹は言葉で、腕で、訓練生たちを追い詰めていきます。
特に「ほほえみデブ」ことレナードは落ちこぼれであり、ひと際厳しい指導を受けていました。

ブートキャンプも終わりに近づき、射撃の訓練が始まると、レナードはスナイパーとしての才能を開花させます。
軍曹はその腕前を高く買い、彼を「特級射撃手」に推薦しようと考える程でした。

しかし、レナードの人格は崩壊一歩手前まで来ていたのです。

戦争を題材に、人間の根本を描く傑作~映画「フルメタル・ジャケット」批評~

戦争映画と言えば、戦争の悲惨さをこれでもかと映し出し、巻き込まれる人々の悲哀やグロテスクさを前面に押し出した作品が多いものです。
特に反戦映画と呼ばれるものにその傾向が強く、目を背けたくなる程に、悲惨なシーンを挟み込んできます。

それは決して、「反戦」という目的からすると間違いでは無いのでしょう。
悲惨な目にあいたい人はいませんし、戦争とはそもそも、悲惨極まりない事態なのですから。

では、「フルメタル・ジャケット」はどうでしょう。
この作品は確かに、戦争映画というジャンルでくくられています。
ベトナム戦争での戦闘模様も描かれており、「戦争を撮った」映画であることは疑いようがありません。

しかしどこか、他の戦争映画とは違うものを感じます。
その描写があまりにも冷徹であり、透き通っているからです。

キューブリックの目線は独特です。
決して人々に冷たい目線を向けている訳では無く、戦争や暴力を賛美している訳でもありません。
どこまでも自分の主義・主張(彼が戦争に対し、どんな主義・主張を持っているか、筆者は知りません)を取り除き、素の兵士と素の戦争を描き出しているのです。

訓練生に対する、ブートキャンプでの執拗な暴言や人格攻撃。
戦争に赴く兵士の狂的な言動や、下世話な冗談を言い合って笑い合うさま。
その国の人間を殺しながら、同じ国の女性を娼婦として買う兵士たち。
そして、どうにかして仲間を助けようとする人間性。

これらの人間性は相反しているようで、実は両立できるものです。
完全に善の人間はそうそういるものではありませんし、完全に悪の人間もまた、そういるものではありません。

作中で、ジョーカーがヘルメットに「born to kill」と書きながら、胸にはピースマークの缶バッジを付けています。
この対比はジョーカーの口から人間の二面性を表しているといった説明がありました。
これは、善と悪に揺らぎ続ける人間を、分かりやすく象徴しているのでしょう。

そもそも、ジョーカーというキャラクター像自体が二面性を持っています。
皮肉屋であり、軍隊に入ったことを「殺したいから」と言いながらも、誰よりも優しい人間味を持っているのです。
でなければ、甲斐甲斐しく「ほほえみデブ」の面倒をみたり(教官に命令されたとは言え)、撃たれて苦しむ敵にとどめをさしたり、といった行為はできないはずです。
そしてなにより、ジョーカーは他の訓練生が参加した「ほほえみデブ」に対してのリンチに対し、強い拒否感を抱いていたことが、何よりの証拠です。

キューブリックが操るカメラは、戦争と人間の上を軽やかに滑ります。
軽やかに滑り、冷静沈着な目で全てを切り取って行きます。
そこに派手な悲惨さはありません。
しかし、暗い海の底にいるような恐怖感を感じます。
それは戦争と、人間に対しての恐怖感です。
戦争に直面したとき、自分は「どちら」に立つのでしょう。

映画「フルメタル・ジャケット」は、戦争そのものよりも人間に重点を置いて描かれた、稀有な戦争映画と言えるのです。

作中で行進曲が繰り返される、その理由~映画「フルメタル・ジャケット」感想~

「2001年宇宙の旅」の冒頭、モノリスの登場と共に有名な音楽が鳴り響く。
「時計仕掛けのオレンジ」では、残虐なレイプシーンで歌われる「雨に唄えば」の主題歌。

キューブリックと言えば、斬新な音楽の使い方が有名です。
音楽が物語を引き立てているのは勿論、音楽の差し込み方や使い方そのものが新しく、鮮烈な印象を残すのです。
そしてそれは、今作の「フルメタル・ジャケット」でも同じでした。

軍隊には、歌が欠かせません。
世界中の軍隊で独自の軍歌が歌われていますし、かつての日本軍の兵士たちも、様々な軍歌を歌ってきたものです。
それらは兵士たちの士気を上げるものであり、不満を発散させるものでもありました。

「フルメタル・ジャケット」のブートキャンプでは、ハートマン軍曹と訓練生たちが行進曲を歌うシーンに多くの尺が使われています。
同じ節回しではありますが、その内容は下世話なものや忠誠心を誓うものなど様々です。

行進曲のシーンを多く入れ込んだこと。
これに筆者は、キューブリックらしさを感じました。
何度も何度も繰り返されるうちに、海兵隊と一切関係がない視聴者までも、その歌を口ずさむことができるようになります。
そしてその歌こそが、海兵隊の訓練そのものを表現しているため、何だか見ているだけの「こちら側」が、海兵隊に入隊したように感じられるのです。

ハートマン軍曹は、新兵たちに人殺しをさせるため訓練を行います。
そして、冷静に人殺しをするためには技術面は勿論、心理的な面も重要です。
作中で歌われている行進曲は、この心理面の教育を担うものなのでしょう。

今作を見始めた最初の内は、このことに気が付きません。
しかし、見続けて自身で歌えるようになると、急に行進曲の役割に思い至るのです。

また、物語の最後で歌われるミッキーマウスマーチにも、感じるものがありました。
ミッキーは確かにアメリカを代表するキャラクターであり、アメリカ人がこの歌を口ずさむことは、何も不思議ではありません。

しかし、この物語が描いたのは戦争です。
戦争とは、人を殺し、殺される悲劇です。
そんな映画の最後にミッキーマウスマーチが使われていると、強烈な違和感が沸き起こります。

もしかすると、その違和感こそがキューブリックの狙ったものなのかもしれません。
その違和感を突き詰めると、隠された結末が見えてくることでしょう。

まとめ

戦争映画は嫌いだ、と言う人は少なくないことでしょう。
描写は残酷ですし、見ているだけで心が暗くなる作品が多いからです。

しかしその反面、是非見て欲しい戦争映画というものも存在しています。
そして、この「フルメタル・ジャケット」は正にそんな作品の一つです。
キューブリックらしい素晴らしい作品作りと戦争や兵士たちのリアルが、見事に融合されているからです。

戦争映画には残酷描写がつきものですが、「フルメタル・ジャケット」は相当控えめなものとなっています。
もし、そうした描写が苦手で今作を見ていないのであれば、是非一度手に取ってみてください。

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