世の中には多くの映画がありますが、「カルト映画」と呼ばれるジャンルに属する作品たちは、かなり特殊です。
大まかに言えば、見られる人と、見られない人に分かれるのです。
そんなカルト映画の中でも、今回ご紹介していく『エル・トポ』は一際異彩を放つ作品です。
本作はカルト映画の代表格だけでなく、確実に、こうしたジャンルの作品に影響を与え続けてきた作品だからです。
この記事では、実際に幾度も鑑賞した上で批評と感想を述べていきます。
ネタバレも含みますので、未見の人はご注意ください。
映画『エル・トポ』の作品概要
『エル・トポ』は1970年に公開された映画作品です。
監督・主演共に、チリの映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーが務めています。
本作は、深夜帯の上映を基本とする「ミッドナイトムービー(ミッドナイトカルトとも)」の先駆けとなった作品です。
初期の上映は小規模なものでしたが、最終的には著名人からの指示を集め、カルト映画の代表格となりました。
中でもジョン・レノンは本作の大ファンで、配給権を所有するほどだったとか。
本作はプロローグを除くと4章構で構成されており、前半2章は西部劇風、後半2章は宗教劇により近いものとなっています。
あらすじ
ガンマンであるエル・トポは、幼い息子を連れて砂漠を旅していました。
ある日エル・トポは、「大佐」率いるグループによって人々が虐殺された村に行き当たります。
彼は息子を連れ、グループのアジトを襲撃。
瞬く間に壊滅させました。
大佐の愛人・マーラはそんなエル・トポに惚れ込み、彼の旅に同行したいと訴えます。
エル・トポもまたマーラの美しさに惹かれていました。
結局、エル・トポは息子を置き去りにして、マーラと共に旅に出てしまいます。
2人で旅をする中、マーラはエル・トポに対しとんでもない要求を出します。
それは、「愛の証明として、砂漠にいる4人の達人を殺して欲しい」というものでした。
エル・トポはマーラの言う通り、達人たちに挑みます。
しかし、彼らは皆エル・トポを上回る力を持つ者たちでした。エル・トポは勝利を掴むために、汚い方法に手を染めることになります。
4人目の達人との決闘に生き残ったエル・トポ。
しかし、彼は自分の行いに罪悪感や無常観を抱いていました。
マーラはそんな彼を裏切り、女性ガンマンと共にどこかへ消えてしまいます。
長い年月が経ち、再び目が覚めたエル・トポは、自分自身がフリークスたちによって「神」として崇められていることを知ります。
映画『エル・トポ』批評~見る人を選びすぎるが傑作~
「カルト映画」というジャンルはその名が示す通り、一部の人に熱狂的に愛される作品群を指します。
このジャンルに入る全ての作品はいわゆる「大衆(娯楽)映画」とは異なり、一般受けする作品ではありません。
そして、そんなカルト映画の代表格として挙げられる本作『エル・トポ』は、正に見る人を選ぶ作品です。
「選びすぎる」と言っても過言ではありません。
本作は冒頭から、衝撃的なシーンの連続です。
大佐一味が遊びまわるシーンや暴力的なシーンの数々。
ウサギの死体が累々と並ぶシーンに、大勢のフリークスたち。セックスや謎の宗教に明け暮れる退廃的な町の人々。
映画全編が人を選ぶシーンばかりのため、耐性の無い人は早々に見るのをやめてしまうことでしょう。
ちなみに、本作に登場するウサギの死体は全て本物が使われているとのこと。
このシーンが映し出されるのは短い時間ではありますが、全編を通して意味が掴みにくい映画の中で「リアルなグロテスクさ」を醸し出す、一際目立つシーンです。
しかし、本作はこうした一面を持つにも関わらず、カルト映画というジャンルを超越した傑作の1つでもあります。
本作の筋書きは「最強のガンマンを目指すエル・トポの物語」と「生まれ変わったエル・トポがフリークスのリーダーとしてふるまう」という2部構成になっており、比較的わかりやすいものです。
むしろ、言葉での説明は少ないものの、何が起こっているかは明確に描かれているといえるでしょう。
しかしそれでもなお、本作の真意はカルト映画の中でも読み取りにくいものとなっています。
なぜ物語の意味が読み取りにくいのか。
その理由を考えてみると、本作特有の独特な描写と、その背景に見え隠れする宗教的感覚に思い至ります。
そして、これらの要因は、本作を傑作たらしめているものでもあります。
先に挙げたウサギの死体に、エル・トポが倒していった奇妙な達人たち。
地下に住まう敬虔なフリークスたちと、裕福だが退廃的な生活を送る地上の街に住む人々。
そして何より、主人公エル・トポの名前(「もぐら」という意味)や姿の変遷。
これらは皆、どこか寓話的です。
本作を見る人は、1つ1つのシーンに何か意味があることを理解しながらも、その意味を理解しきれないまま、ストーリーを追いかけることになります。
後ほど解説を見ればわかることでも、その場で理解しきるのは無理があるでしょう。
通常、意味が分からない作品を見続けるのは辛いものです。
理解するために考えれば物語の進行に置いて行かれてしまいます。
かといって画面だけ見続けても、楽しくありません。
しかし本作は、意味が分からなくとも映画を見せ続けてしまいます。
視覚に訴えかけてくる力が凄まじいのです。
そして、その力の源にあるのが、映画全体に流れる芸術的な美しさです。
映画冒頭に、人々が虐殺された村にエル・トポが訪れるシーンがあります。
馬に乗るエル・トポと、その背後の(なぜか裸の)息子。
大量の血で川のようになった地面に、横たわる人々の死体。
このシーンはグロテスクであるものの、目が離せなくなる美しさを含んでいます。
ホラー映画『シャイニング』に、エレベーターから大量の血が流れだしてくるという有名なシーンがあります。
これは恐ろしくともキューブリックの美的センスが光る素晴らしいシーンですが、『エル・トポ』にも通じるものがあります。
通常は美しいとは言えない場面を美しく描き出す。
これこそが、本作が傑作である何よりの証拠ではないでしょうか。
映画『エル・トポ』の感想
映画を見る楽しみや醍醐味とは、一体何なのでしょう。
派手な映像表現を愛する人やストーリーの面白さを重要視する人。
また、作品の裏側を考えるのが好きな人。
楽しみ方は人それぞれあることでしょう。
映画『エル・トポ』は、私に新しい映画の楽しみ方を教えてくれた作品です。
具体的に言えば本作は、「映画を考察する楽しみ」に目覚めさせてくれたのです。
従来、私は比較的「わかりやすい映画」を好んでいました。
見た目に派手なファンタジー作品や、冒険活劇ばかりを選んでいたのです(今も大好きです)。
しかし本作は、これらの作品とは大きく異なります。
グロテスクで過激な、一見して大ヒットを狙っていないことが分かる物語の構図。
セリフは少なく、あったとしても意味の分かりやすいものではない。
そして、一見コミカルに感じるシーンのアクの強さ。
物語後半、エル・トポがフリークスの女性と芸をしてお金を稼ぐシーンは面白おかしく描かれてはいますが、何だか少し悲しくなってしまいます。
カルト映画と一括りに言っても、その内容は様々です。
例えば『ロッキー・ホラー・ショー』などは、内容にさえ拒否感がなければすぐに楽しめるはずです。
一度鑑賞しただけでは、本作を楽しむことはできません。
何度か繰り返し鑑賞して、頭に残るシーンを整理して、ようやく物語の全体像を見ることができます。
全体像が見えたら、ようやく描かれている物語の意味を考えられるようになるのです。
正直な所、最初に本作を見たときは、最後まで見通すのが大変でした。
刺激的な画面の連続に疲れてしまったからです。
しかし、1つ1つのシーンの印象が鮮烈で、鑑賞後は頭に残り続けていました。
物語の最後、自殺をしたエル・トポのお墓にミツバチが巣を作ります。
これは、一見バッドエンドの本作の、最後の望みなのでしょうか。
この疑問を、私はこれからも考え続けることでしょう。
まとめ
映画『エル・トポ』について、その批評と感想を述べてきました。
この記事で何度も述べてきたように、『エル・トポ』は万人受けするものではありません。
これまでにカルト映画を見たことのある人にとっても、なかなか難しい作品なのではないでしょうか。
それでもなお、本作はこれからも見られ続けていくことでしょう。
それは、本作が他の作品では代替できないような、唯一無二の魅力を持っているからです。
無理にとは言いません。
しかし、難解さとグロテスクさに耐性があるのであれば、ぜひ本作の世界観に触れてみてください。