【ネタバレあり】映画「ディストラクション・ベイビーズ」の批評と感想。

あらすじ

愛媛に位置する小さな港町、三津浜。
その一角に住むのは、泰良と彼の弟、将太。
兄弟の間にはいつもケンカの火花が散っているが、ある日を境に泰良は突然姿を消してしまう。
それから彼は、松山の中心部で強面の相手を見つけ、街中で抗争を繰り広げるようになる。
更には、裕也という若者と行動を共にするようになり、暴力沙汰は一段と激しさを増していく。

俳優陣の演技が素晴らしい

「あらいぐまラスカル」という作品で知られるアライグマ。
その可愛らしい外見とは裏腹に、実際は凶暴な動物であるという事実は広く知られています。
北アメリカ原産地では、家に侵入して食べ物を荒らし、時には飼い猫を襲うこともあるほどです。
日本では外来種として、農作物に被害をもたらし、固有の生物を捕食したり生息地を脅かすなどの問題が起こっています。

このようなアライグマを連想させるのが、映画『ディストラクション・ベイビーズ』です。

この作品は、一見すると内容を簡単に説明することができそうな映画かもしれません。
主人公が連続して人々を暴力で責め、攻撃し、打ち据える姿が延々と描かれています。
この暴力の連鎖は、主人公が異質な存在として町に現れ、まさにアライグマのような存在として振る舞う様子を連想させます。
そして、主人公の暴力の犠牲になる罪のない人々を見ると、アライグマが猫を襲う様子に共感する気持ちが湧いてくるでしょう。

しかし、この作品は一般的なヤンキーや不良が登場する映画とは異なります。
監督の真利子哲也の個性が感じられ、彼は通常の不良映画を作ることはありません。
画面に目を奪われるほどの暴力が存在しますが、その奥にある要素にも注意が必要です。
実際のエピソードを元にしたとされる、バーで聞いた話が作品のモチーフとなっています。
人間の恐ろしさが浮き彫りにされています。

主演は、柳楽優弥。
是枝裕和監督の『誰も知らない』で14歳という若さながら圧倒的な演技を披露し、国内外で注目を浴びました。
現在は大人となりましたが、その内面に秘めた深い感情はさらに磨かれ、『ディストラクション・ベイビーズ』でもその素晴らしい演技が見られます。
この俳優の能力は驚異的です。
『誰も知らない』から連続して鑑賞すると、成長を感じることができるかもしれませんが、その影響で気分が沈む可能性もあるため、注意が必要です。

脇役でも、菅田将暉の存在が輝いています。
仮面ライダー俳優から急速なキャリアアップを果たし、彼もまた驚異的な能力を持っていることが分かります。
特に『そこのみにて光輝く』での演技は素晴らしく、今後も大きな成功が期待されます。
一般的な青春映画には出演しないでほしい俳優の一人です。

また、主人公の相手役であるヒロイン(?)を演じる小松菜奈も注目です。
彼女の存在感は、他の若手俳優たちをも凌駕し、映画に強力な存在感を持たせています。
彼女の映画『渇き。』での衝撃的なデビューは有名で、その影響で通常の映画に出演することが難しくなったほどですが、『ディストラクション・ベイビーズ』では再びその衝撃を感じることができます。

作品内には村上虹郎や池松壮亮など、日本の若手俳優たちが集結しており、その存在感が際立っています。
彼らが作品に生命を吹き込んでいます。

キャスティングは素晴らしく、演技に期待が持てる映画ですが、同時に観客にとって挑戦的な要素もあります。
最初は単なる暴力の連続に見えますが、徐々にその奥深さが分かるでしょう。
暴力描写が強調される一方で、作品の裏に潜む要素にも注目してみてください。
感情移入が難しい一面もありますが、その独自の視点で観る価値のある作品です。
ぜひ一度ご覧いただきたいと思います。

おそらく評価が真っ二つになる作品

『ディストラクション・ベイビーズ』のタイトルには「ベイビー」という言葉が含まれており、そのため一部の人々が誤解して、軽やかで可愛らしい作品を想像してしまうかもしれません。
しかし、その誤解は覆され、彼らは作品を観ることで思わぬ衝撃を受けることとなるでしょう。(果たしてこういう誤解を抱く人がいるのかはわかりませんが)

私自身は、この作品を「暴力を冷静に観察し分析する、恐ろしい実験映画」として捉えました。
まるでミルグラム実験のような要素を感じることができます。
監督の真利子哲也はまさにマッドサイエンティストとでも言うべき存在です。
率直に言ってしまうと、そんな印象を受けました。

近年でいうと、「クリーピー 偽りの隣人」や「ヒメアノ~ル」など、サイコパスを描いた邦画が高く評価されて話題となりました。
ただし、私の視点から言えば、本作はそのようなサイコパスを描いた作品ではありません。
むしろ、『葛城事件』のように、一般的な狂気を描写しつつも、それが日常社会に根付いていることを示唆しているように感じました。

作品の最後に描かれる喧嘩祭りの場面が、このテーマを暗示しています。
暴力は社会的に正当化されることもあるものであり、我々の社会にはそのような事例が多く存在します。
格闘技や昔の教育などが例です。
そして、映画自体でも喧嘩祭りが描かれています。
主人公の芦原泰良は、このテーマを象徴する存在と言えるでしょう。
彼の暴力性は特異なものではなく、どんな人にでも備わっている可能性があるということを示しています。
そのため、裕也や那奈のような普通の人々でさえも、一度火がつけば容易に暴力に走ってしまう可能性があると考えられます。

先述のアライグマのように、凶暴と一般的にみなされることが多いですが、実際にはどんな動物も暴力性を内包しているものです。
この作品は、「社会は暴力をどのように管理するか?」というテーマを掘り下げていると感じました。

観賞後、公式サイトを見て気付いたのですが、本作のタイトル「ディストラクション」は、「destruction(破壊)」ではなく、「distraction babies」という表現もあるようです。
この「distraction」は「気晴らし」という意味です。
つまり、本作は暴力を気晴らしとして描写しており、それと管理された暴力(喧嘩祭り、ヤクザ、警察)が対立していることを示しているのだと考えました。

両方の暴力はバイオレンスと言える側面を持っており、被害を受ける側にとっては同じように恐怖を抱くものです。
このような考え方は合理的である一方、違和感もあるかもしれません。

とはいえ、作品を通じて物語や役者陣を楽しむことは、一般的な感覚とは異なる愛着を抱くことがあると思います。
なぜかと考えると、我々にも暴力性が備わっているからだと思います。
どれだけ美辞麗句を並べても、それを隠すことはできません。
それならば、適切な範囲内で暴力を飼い慣らし、気晴らしとして楽しむこともありかもしれません。
この映画を楽しむことができるのは、マッドサイエンティストとしての素質を持っているからかもしれません。