便利で快適な移動手段であると同時に、趣味の一環として扱われることもあるもの。
それが自動車です。
日々のお供として、または、目や感覚を楽しませるものとして、毎日関わっている人も少なくないことでしょう。
しかし、そんな自動車も使い方を間違えれば、最悪の凶器となりえます。
そして今回ご紹介していく映画は、「凶器」として自動車を用いる男の物語、「デス・プルーフinグラインドハウス」です。
この記事では、「デス・プルーフinグラインドハウス」の批評と、実際に見た感想を書いていきます。
鑑賞の際の参考にしてみてくださいね。
映画「デス・プルーフinグラインドハウス」の作品概要
映画「デス・プルーフinグラインドハウス」は、2007年に公開されたサイコスリラー映画です。
監督は「キル・ビル」や「パルプ・フィクション」で知られるクエンティン・タランティーノ。
主演は「遊星からの物体X」のカート・ラッセル。
今作の特徴はサイコスリラー的要素を含むカーアクション映画であることと、「わざと」B級感を演出したものであるということ。
特に、作中に入るノイズは良い味を出しています。
あらすじ
テキサス州のオースティンで。
地元ラジオのDJを務めるジュリアは、友人が運転する車に乗り、ガールズトークに花を咲かせていました。
道中には、ジュリアがモデルを務めた看板が多数あります。
ジュリアの友人の一人・アーリーンは、不思議な事に気が付きます。
同じ車が何度も、彼女たちの前に現れるのです。
ジュリア達は地元のバーである「テキサス・チリ・パーラー」に辿り着きました。
そのバーの中で、アーリーンは先の怪しい車を運転していた男に話しかけられます。
その男はスタントマン・マイクと名乗り、その名の通りスタントマンをしていると言います。
アーリーンは怪しみながらも、マイクと親密な時間を過ごします。
再度友人の運転する車に乗り込んだアーリーン達は、マイクに送ってもらうというパムと別れました。
パムと二人きりになったマイクは本性を現します。
パムを乱暴な運転で振り回し、殺してしまったのです。
マイクの車はカースタントに使う耐死仕様(デスプルーフ)。
マイクはアーリーン達を追いかけるため、車を発進させました。
タランティーノ節を煮詰めたような作品~映画「デス・プルーフinグラインドハウス」
これまでの記事でも述べたことがあるように、クエンティン・タランティーノと言えば、大なり小なりどの作品にも共通する特徴があります。
その特徴とは、「激しい暴力描写」と「雑談が多い」ということです。
そして今作は正に、そんなタランティーノの特徴が合わさり、その上で、2つを凝縮したような作品と言うことができるでしょう。
「凝縮した」というのも、適切ではないかもしれません。
なぜならば今作は、上記の2つ以外の成分を、限りなく排除したものとなっているからです。
それは、タランティーノ節を煮詰めに煮詰めたもののように感じます。
今作は、女性たちのガールズトークで幕を開けます。
そして、そのガールズトークは果てることがありません。
女性の読者の人は分かると思いますが、女性とはおしゃべり好きな人が多いもの。
特に、仲の良い女性同士であれば、ずっと話続けられるものです。
そして、その状態を今作は忠実に映し出しています。
1組目のガールズトークが終わった後、映し出されるものとは何でしょう。
それは、タランティーノ監督の2つ目の特徴である、「激しい暴力描写」です。
今作には、一般的な凶器の類である銃やナイフはほとんど登場しません。
その代わり、極限まで耐久度を高めた、特別仕様の自動車が凶器として用いられます。
それが、スタントマン・マイクが乗る「耐死仕様(デスプルーフ)」の自動車なのです。
この自動車の頑丈さは凄まじいもの。
他の(普通)の自動車と凄まじいスピードで衝突しても、運転席の人間は生き残ることができます。
しかし、助手席やその他の席に乗った人の命は、保証することはできません。
自動車を凶器とした暴力描写。
それが想像できるでしょうか。
ナイフや銃などでは敵わないような残酷さが、そこにはあります。
どうしようもなく蹂躙される。
それが、自動車を用いた暴力なのです。
作中に登場する保安官は、マイクの行為を「セックスの代替行為」と分析しています。
生と死とは元々近いもの。
そして、スピード感溢れる自動車を用いて行う殺戮は、それほど刺激的なのでしょう。
そして、そんなマイクを演じるカート・ラッセルは、その狂気的な一面を見事に演じ切っています。
そして、過激な暴力描写が終わると、次の女性グループのガールズトークに移ります。
先の女性陣は、お酒と麻薬に終始する、どこか退廃的な人物です。
しかし、次の女性グループは大きく異なります。
(作中では)お酒を飲まず、しっかりとした判断能力を有した、健康的な女性たちなのです。
勿論、マイクが望むような展開にはなりません。
激しい暴力と、それに対する「生」のせめぎ合い。
それは目をそむけたくなるようなものでありながら、見る人を掴んで離さない魅力があります。
それは、タランティーノ監督の魅力でもあるのです。
過激な暴力と無駄話。
これら2つの特徴が凝縮されているということは、それ以外の要素は限りなく少ないということ。
それは、見る人を限りなく制限してしまうということに繋がります。
実際今作の評価は、高評価と低評価の極端に振れているのです。
その上で、今作「デス・プルーフinグラインドハウス」は、「タランティーノ監督ファン」にとって見るべき作品だと感じます。
ストーリー性は少ないものの、彼特有の持ち味が存分に発揮されているからです。
特に、その映像のクールさは素晴らしいものです。
タランティーノ監督のファンで、今作をまだ見ていないと言う人であれば、是非鑑賞してみてください。
勧善懲悪的で、意外とスッキリする映画~映画「デス・プルーフinグラインドハウス」感想
悪いものが罰せられ、正しいものが報われる。
勧善懲悪的物語は、見ていて気持ちの良いものです。
そして、今作「デス・プルーフinグラインドハウス」も、そんな勧善懲悪的作品の一つでありました。
タランティーノ監督の特徴である無駄話。
これは、映画の本筋に関係ないものと捉えられることが多いものです。
しかし、今作で表現される無駄話は、物語の筋に若干関係しています。
もっと言うならば、登場人物たちの言動が、その後のストーリーに関係してくるのです。
最初のグループであるジュリアやアーリーンを考えてみましょう。
彼女たちは酒と麻薬(葉っぱ)に耽溺し、到底危機に対応できるような状態ではありません。
むしろ、マイクを挑発する始末です。
しかし、2組目のグループであるキムやゾーイは違います。
彼女たちは素面であり、車が好きであり、身体能力や運転能力に秀でています。
勿論、レストラン内や車内で交わされる話の内容も、1組目とは大きく異なります。
彼女たちの話の内容。
それは物語に大きく影響します。
だからこそジュリアたちは死に、キムたちは生き残ったのです。
マイクは、喧嘩を売ってはいけない人物たちに喧嘩を売りました。
その人物とは、勿論キムたちに他なりません。
彼女たちはマイクに負けず劣らず運転能力に秀で、男性を押さえつける腕力を有していたからです。
その様は、まさに勧善懲悪。
調子にのって女性たちを虐殺したマイクが、同じ女性によって鉄槌を下される。
同じ女性として、その様は応援せずにはいられません。
今作の好き嫌いが分かれることは承知の上です。
しかし筆者にとって、「デス・プルーフinグラインドハウス」はスッキリする映画の一つとなったのです。
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