初めて「BEASTARS(ビースターズ)」を読んだ時、頭を思いっきりぶん殴られたような衝撃が走った。
抒情的な演出に心揺さぶられたのか、肉食と草食のリアルな関係性の描写に驚いたのか、あるいはそれらがごちゃ混ぜになった感情から来たのか。
定かではないがとにかく衝撃的だった。
物語の序盤では、テムを殺した犯人は果たして誰なのか?という謎が提示される。
最初の興奮冷めやらぬまま、そのミステリー要素に引き込まれ、ぐいぐいと読み進めることができた。
レゴシが学校を退学し、一人暮らしを始めてからも、新たな動物模様が展開されていく。
様々な動物との出会いに飽きることなく最後まで読み切ることができた。
「BEASTARS」を読んでいるとき、いつも頭をよぎるのは本作のテーマとは何なのかということであった。
日常と非日常。
肉食動物と草食動物の対立。
恋愛。
青春。
「BEASTARS」はこうした要素が複雑に絡みあって成り立っているように感じられる。
そのため、作品により深みが出て、多くの読者を虜にしてきたのだと考える。
そのため、いくら考えても的確な言葉が出てこず、悩んでいたが、あとがきで作者はこのことに触れてくれた。
「自分以外の人間との交流はいつだって異種族交流。その過酷さと価値こそ、この作品で1番描きたかったことかもしれません」
確かにルイやハルたちとの異種族交流がメインに描かれていたし、それに対するレゴシの苦悩も丁寧に扱われていた。
今回は「BEASTARS」のテーマである異種族交流について主人公、レゴシの視点でふれていきたいと思う。
異なる価値観に触れてレゴシが成長していく様子を一緒にみていきたい。
ルイとの出会い
ルイはオスの草食のアカシカだが、演劇部の役者チームのリーダーであり、非常に強いカリスマ性を持っている。
次期ビースター候補でもあり、学校では目立つ存在であった。
一方のレゴシはハイイロオオカミという強い肉食に生まれながらも、目立たずにひっそりと生きている。
カリスマ性のあるルイと地味で目立たないレゴシの対比はルイの初登場のコマにはっきりと描かれている。
ルイは豪華なイスに堂々と腰かけており、レゴシはそのわきで身をかがめるような形で立っている。
まるで主従関係があるかのような構造だ。
レゴシの異質さを表現した見事なワンシーンだと感じる。
ルイとの出会いにより、レゴシは夜の体育館前で見張りをし、ハルと出会う。
ルイとの出会いが転機となり、レゴシは多くの動物と出会うことになる。
逆にルイと出会わなければ、ずっとレゴシは平凡な生活を送っていたことだろう。
レゴシは成長もせず、自分の殻に閉じこもり、一生を終えたかもしれない。
そう考えると、ルイとの出会いはレゴシにとって貴重な経験だったと言える。
ハルとの出会い
レゴシが自分の肉食動物の本能と向き合うきっかけとなったのがこのハルである。
ハルは見た目はかわいらしい小柄なメスのウサギである。
レゴシは夜の体育館前で出会ったハルを自分の肉食の本能のままに食べようとする衝動に駆られてしまう。
このことがレゴシのトラウマとなり、彼を悩ませることになる。
それと同時に、恋を教えてくれたのも彼女である。
明るくさっぱりとした性格の彼女にレゴシは惹かれていく。
これが同じ種族や肉食動物ならばまだ良かったのだが、よりにもよって食べようとしてしまったウサギに惚れてしまうレゴシ。
ハルへの想いは愛情なのか、肉食としての本能なのか。
肉食と草食の関係は後半のテーマにもつながってきて、ここは巧みな構成だと感心した。
読んでいて、テーマが一貫しているのが非常に心地よかった。
レゴシはこの複雑な感情に常に惑わされることになるのだが、これに加えて、恋愛の難しさも入ってくるので、彼の抱える悩みは非常にこんがらがったものとなる。
恋愛経験のないレゴシは女の子のハルの気持ちがわからずに空回りすることもしばしば。
読んでいて、ハルに同情してしまう場面も多かった。
しかし、最終巻の22巻最後の
「あ、付き合ってますー私たち」
というハルのセリフの安心感と彼女の笑顔に、レゴシの誠実さはハルに伝わったのだと感じた。
彼女との出会いがなければ、レゴシは草食に向き合うこともなく、もしかしたら本能に負けて草食を食べていたかもしれない。
すでにルイの足を食べた経験があるが、草食の肉を食べるレゴシなど見たくないというのが読者の思いだろう。
ゴウヒンとの出会い
ゴウヒンはレゴシが裏市で出会ったオスのパンダの心療内科医だ。
レゴシを拘束していたため、最初は敵ではないかとヒヤヒヤしたが、彼はレゴシの心強い味方だった。
ここで描かれていたのは大人と子供の対比だ。
自分の考えに固執しているレゴシを厳しく諭すゴウヒン。
長年の心療内科医としての経験から出る彼の言葉はまさしく大人の言葉だった。
レゴシには父親がおらず、ゴーシャに甘やかされて育ってきたと考える。
レゴシに学校外で大人として接してくれた初めての人物がゴウヒンだったのだ。
彼はレゴシの置かれている環境を客観的に伝えて、その対処法を教えてくれる。
レゴシはどこか突っ走る傾向があるので、このまま自分の置かれている状況を顧みず、うやむやにしていたら、ハルを食べていたかもしれない。
レゴシはゴウヒンとの出会いのあと、ハルと距離を置こうとしている。
ゴウヒンとの出会いにより、自分の狭い世界ではなく、大人の目線、もっと違う目線を取り入れることができた。
そう考えると、「BEASTARS」はレゴシが道を踏み誤らないように、良い方向へ導くための物語だといっても過言ではない。
そのために、異種族交流を描いていたのではないだろうか。
社会に出るということ
レゴシは物語後半で学校をやめ、アパートで一人暮らしを始める。
そこでは社会の荒波や理不尽さが描かれ、学校という存在がいかに現実社会と離れた世界だったのかを思い知らされる。
しかし、学校の外に出ることで学校という閉ざされた場所では見えてこなかった世界がレゴシには見えてくる。
それがヒツジのセブンやゴマフアザラシのサグワンたちを始めとした「コーポ伏獣」の住人達との出会いだ。
草食のルイの足を食べたことで、レゴシは前科持ちになってしまった。
学校では前科持ちは異質な存在だ。
しかし、彼が住むコーポ伏獣ではどうだろうか?
オスの肉食獣であるオオワシのヒモと一緒に生活しているメスのスナネズミやウサギの小説家と偽って活動するツキノワグマなど、常識はずれな住人ばかり。
この中ではレゴシは異質でもなんでもない存在だ。
特にゴマフアザラシのサグワンとの出会いは印象的である。
彼は海には肉食も草食も存在しない。
ただ穏やかに暮らしていると語る。
今まで、その二つの関わり合い方に悩んでいたレゴシは一気に肩の荷が下りたように感じたことだろう。
様々な立場の動物がいることが知れたレゴシだからこそ、後に出会うことになるガゼルとヒョウのハーフであるメロンと話がしたいと思えたのではないだろうか?
自分と似た出自だからというのもあるが、それ以上に社会人経験が彼の後押しをしたように思えるのだ。
メロンとの出会い
物語の終盤で、レゴシは凶悪犯であるメロンと出会うことになる。
メロンはガゼルとヒョウのハーフで、レゴシはハイイロオオカミとコモドオオトカゲのクォーターである。
レゴシは自分と同じ純血種ではないメロンに興味を抱いてしまう。
自分とハルのまだ見ぬ子供の影をメロンに重ねたのだ。
「もっと話したいんです。貴方と」
レゴシはせっかく捕まえたメロンの手錠を外してしまう。
その結果、レゴシは拳銃で撃たれて大けがを負う。
レゴシは肉食と草食のハーフの実態を改めて感じ取り、その生きづらさを考えることになる。
さらに読者はメロンの肉食と草食のハーフというレッテルに加え、家庭環境の複雑さなどの壮絶な過去を知り、メロンに同情してしまうことだろう。
メロンとの最終決戦。
レゴシは、メロンの、平和になったあとの裏市の跡地での肉食と草食の会話を再現した会話を下手だと言い放つ。
レゴシは代わりに、学校での楽しい、生きた会話を再現する。
そこでレゴシの今までの人生がすべて生きてくるのだ。
学校で仲間と衝突したことも、リズと決闘したことも、1人暮らしをして多くの仲間に出会えたことも。
そうして、メロンともわだかまりのない会話が楽しめると、レゴシは確信していたのだ。
しかし、メロンはレゴシの筋書きには乗るまいと、自害しようと拳銃を発砲する。
その怪我により、瀕死になるメロンだが、周りにいる動物たちは皆、メロンを死なせまいと必死だった。
そこには凶悪犯というレッテルは関係なかった。
メロンと出会ったことにより、レゴシは肉食と草食のハーフの現実、厳しさを知り、それと向き合うことができた。
メロンとの出会いがなければ、ハルとの関係も将来的に上手くいかなかったかもしれない。
レゴシとメロンの出会いはレゴシにとって人生のターニングポイントともなる異種族交流だったのだ。
まとめ
今回は「BEASTARS」のテーマである異種族交流について主人公、レゴシの視点で紹介してきた。
22巻の終盤でレゴシがハルに言った
「あなたと一生異種族交流したいです」
という言葉がこの物語のテーマのすべてを表していると、読み返して改めて感じた。
動物に置き換えられているが、「BEASTARS」の世界で語られていることは、私たち人間にも当てはまることだ。
ルイとの出会い、ハルとの出会い、メロンとの出会いなど数えきれない出会いがレゴシの糧となった。
人は人の中でしか大きくなれない。
違った価値観を持った人との交流が大切だからこそ、レゴシにこのセリフを言わせたのだろう。
自分の殻に閉じこもらずに、外へ一歩踏み出そう。
そうすれば今までとは違う景色が見えてくるはずだ。