面白かったかどうかに関わらず、一度見たら忘れられなくなる程強い印象を残す映画があります。
キューブリック監督作品の『時計じかけのオレンジ』もその1つ。
『時計じかけのオレンジ』は映画史上に残る傑作と名高いものの、好き嫌いが極端に分かれる強烈な作品でもあります。
この記事では、そんな『時計じかけのオレンジ』を実際に鑑賞した上での批評並びに、感想を書いていこうと思います。
ネタバレが含まれますので、未見の方はお気をつけください。
映画『時計じかけのオレンジ』の作品概要
『時計じかけのオレンジ』は1971年に公開された映画作品です。
1962年に出版された同名小説が原作となっています。
監督は『2001年宇宙の旅』などの名作映画を多数手がけた巨匠、スタンリー・キューブリック。
主演は、今作で鮮烈な印象を残したマルコム・マクダウェル。
今作の特徴は、痛烈な皮肉の聞いたストーリーと、それを彩るキューブリック的美的センスにあります。
また、作中で用いられる「ナッドサット言語」がセリフに独特なリズムを与えており、聞いているだけで物語に引き込まれてしまいます。
あらすじ
舞台は近未来。
アレックスは不良グループ「ドルーグ」のリーダー格であり、クラシック音楽、特にベートーベンをこよなく愛する少年です。
その日もアレックスは仲間たちと麻薬入りミルクを飲み、これから行う暴力・犯罪行動の計画を立てていました。
アレックスたちはまず、ホームレスに目を付けます。
ホームレスに暴力を振るった後、少女を強姦しようとしていた他の不良グループと乱闘になります。
全員を叩きのめしたアレックスと仲間たちは、警察に捕まる前に逃げ出しました。
しかし、アレックスたちの暴力衝動はまだ収まりません。
そのまま車を飛ばし、老作家の住む豪邸に押し入り、「雨に唄えば」を歌いながら老作家の妻を輪姦したのです。
次の日、アレックスは学校をさぼり、レコード店で出会った少女たちとセックスを楽しみます。
しかし、この後の仲間割れにより、アレックスは警察に捕まってしまいました。
映画『時計じかけのオレンジ』批評~暴力とセックスの中で光る芸術性~
映画『時計じかけのオレンジ』のテーマについて考えを巡らせていると、最初にまず暴力とセックス、次に「人間そのもの」という言葉が浮かんできます。
これらの言葉は、今作の重要な要素であり、テーマとなるものです。
今作の主人公であるアレックスを見てみましょう。
アレックスは「不良少年」と説明されることがほとんどですが、作中での彼の行動を見ていると、この言葉では足りないものを感じる程暴力的です。
少年同士の喧嘩程度では飽き足らず、抵抗できない人物を集団で襲い、(頭に血が上っていたとは言え)人1人を殺しています。
また、人間の本能である性欲も、アレックスの場合は通常と少し違います。
アレックスの性欲は暴力と結びついているのです。
アレックスは本来、セックスをするために暴力に訴える必要はありません。
レコード店で出会った2人の少女を誘うことができたように、アレックスはハンサムな少年です。
しかし、アレックスが夜な夜な行う犯罪行為には性的なニオイが強く漂っています。
それは、作家の妻をレイプしたことに限らず、彼が逮捕されるきっかけとなった殺人事件からも見て取ることができるでしょう。
その殺人方法は、「男性器の形をした鈍器で女性の頭を殴る」というもの。
性的な行為を行っている訳ではありませんが、レイプを彷彿とさせる場面となっています。
ここまでで取り上げてきた場面は、全てが映画の前半部分に含まれています。
次に、映画中盤から後半にかけて見ていきましょう。
アレックスが殺人を犯し、逮捕されてからの物語です。
暴力とセックスに関するシーンが多い前半に比べ、後半は「人間について」を描いているように感じ取れます。
アレックスは人間です。
頭が良くて、ハンサムな少年です。
しかし、その本性は酷く非人間的です。
本能をむき出しにして、暴力も厭いません。
麻薬の力を借りているのは確かでしょうが、それにしても彼の本性は動物的・悪魔的です。
人間ならば持っているであろう、良心の欠片すら見られないのです。
アレックスが受けた「治療」のシーンを振り返ってみましょう。
体を拘束され開瞼器を付けられて、ただひたすら残酷な動画を見せられ続ける。
それだけでも苦痛なのに、アレックスは吐き気などを催す薬を飲まされています。
さらに、動画のBGMはベートーベンの「第九」。
この曲は、アレックスの最も愛するものです。
この結果、アレックスは暴力やセックスの事を考えただけ、また「第九」を聞いただけで、強い苦痛を感じるようになってしまいました。
もちろん、元仲間からの暴力に対応することもできません。
薬により、無理やりに意思を押さえつけられるアレックス。
その姿は哀れですらります。
人間とは何なのでしょうか。
これまでアレックスが行ってきたことは、人間的ではありません。
しかし、それを無理やりに押さえつける行為、もしくは利用しようとする行為もまた、人間的ではありません。
今作は、人間的ではない瞬間ばかりを切り取り、創り上げられています。
そしてその中に、いくつもの芸術的な、キューブリック的な瞬間が散りばめられています。
だからこそ今作は見る人を選びますし、それと同時に、稀代の名作になりえるのです。
非人間的なシーンに混じる、それらと相反する芸術性。
今作は、このバランスが素晴らしい作品です。
映画『時計じかけのオレンジ』感想
アレックスの非道な行い。
奇妙過ぎるミルクバーのインテリア。
音楽を掛けた早送りのセックスシーン。
アレックスとその仲間が話す、どこか音楽的な「ナッドサット言語」。
『時計じかけのオレンジ』は、他のキューブリック作品を見たことが無い人や、暴力描写・性的描写に免疫がない人にはおすすめできません。
先の項でさんざん述べた通り、衝撃的なシーンが非常に多いからです。
私が初めて今作を見たのは、大学生の時でした。
「名作」と呼ばれている作品に触れたくて、他のキューブリック作品や「カルト的作品」と称されているものに混じり鑑賞したのです。
『シャイニング』は単純に楽しめました。
『2001年宇宙の旅』は難解ながらも、その美しさに負けて大好きな映画になりました。
しかし、今作を好きになるのは、なかなか難しいものでした。
それは、私が「女性である」という至極簡単な理由からです。
アレックスが作中で取る行動は、到底受け入れられるものではありません。
むしろ、嫌悪感すら覚えました。
しかし、気が付いてみれば、今作の世界観に惹きつけられるようになっていました。
強烈なシーンの連続に呑まれながら、その中にある映画特有の表現に目が向くようになったからです。
ミルクバーの一見不道徳で悪趣味なインテリアは、映画だからこそ見る側の印象に残ります。
アレックス達が身にまとう白い服も、彼らが持つ異常性を見事に表現しています。
今作には原作小説がありますが、文章では視覚的に訴えることはできません。
それを理解した後は、私にとって今作は重要な映画となりました。
何度見ても変わらず衝撃を受ける、繰り返しの鑑賞に堪えられる映画作品。
大好きな映画はそれなりの数がありますが、衝撃を受け続けられる作品は多くありません。
今作を「嫌い」という人は少なくないことでしょう。
それ自体は不思議ではありませんが、私にとっては大切な作品の1つなのです。
まとめ
映画『時計じかけのオレンジ』について、批評と解説を書いてきました。
キューブリック監督作品は、ただでさえ見る人を選びます。
説明やセリフが少ないことが多く、過激な表現も少なくありません。
また、難解であると同時に芸術性の高さを謳われることが多いため、観賞する前から避けている人も多いことでしょう。
今作もまた、このようなキューブリック的要素を多く含んだ作品となっています。
しかしその分見ごたえは素晴らしく、公開からそれなりの時間が経った現在でも、他の作品に比べ見劣りすることはありません。
明確に見ない理由があるのでなければ、ぜひ今作を手に取ってみてください。
映画表現の可能性の高さに驚くはずです。
関連 【ネタバレあり】映画「2001年宇宙の旅」の批評と感想。